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2 雪に埋もれた記憶

 ファンからの報せを受け、町の診療所にリサラが駆け付けたとき。

 すでに治療は終わり、クラインは粗末な寝台の上で、白い包帯を体中に巻き、青白い顔をして横たわっていた。


 半狂乱でリサラが医師に説明を求めれば、クラインには鋭い剣などによる、何ヶ所も刃で切られたような傷があり、そのうち特に、胸元の深い裂傷が酷いとのこと。何とか一命は取り留めたものの、まだ意識は戻らず、安心とは言い切れないのが現状だと告げられた。


 なぜ。なぜ彼がそんな、刃を向けられるような事態に――――?


 涙に暮れながらそうもリサラは尋ねたが、その答えを知るものは居らず。診療所の扉が急に勢いよく開いたかと思えば、そこに血だらけのクラインが立っていたらしい。そして事情を聞く間もなく、倒れて意識を喪ったそうだ。

 詳しいことは不明のままだが、彼が何者かに、それも複数の剣を持つ人間に、襲われたことだけは確実。


 金目の物等が入った袋は無事だったことから、物取りの類ではないようだが……そんなクラインを襲った相手を突き止めるよりも、リサラには彼が目を覚ましてくれる方が大切だった。


 医師が席を外した隙に、リサラは自分の『歌』で、喉が嗄れるまでクラインの傷を癒し続けた。

 軽く手を切った程度の傷とは違い、すぐに目で分かるほどの効果は出なかったが、それでも彼女の『歌』に宿る力により、蒼白だったクラインの顔には徐々に生気が戻り始めた。


 …………それでも、彼の赤い瞳は開かず。


 それから数日経ち。

 順調に回復の兆しは見せているはずなのに、クラインの意識はまだ戻らない。毎日リサラは見舞いに行き、隙を見て歌を聞かせたが――――やはり彼は、一向に目を覚まさなかった。



 ●●●



「っ!」


 リサラはいつもの悪夢に魘され、普段よりもかなり早い時間帯に勢いよく飛び起きた。

 布団の上で荒い息を整えて、現実に戻って来れたことに安堵する。


「今日も、あの夢……」


 額を押さえて、苦々しい呟きを溢す。

 定期的に見ていた例の『黒い男』に追いかけられる夢は、クラインが倒れてから連日連夜、リサラを執拗に苛んでいた。


 ……クラインに会いたくて堪らない。

 会ってこの言い知れぬ不安を溶かすように、彼の暖かな腕で抱き締めて欲しかった。


 そう望んでも隣に彼が居ないことは変わらず、リサラは押し寄せる寂しさから逃げるように、窓ガラスの外へと視線をやると、


「こんな時間に……?」


 そこには、赤く丸い瞳に緑の耳の、見慣れた雪うさぎがいた。


 空は夜のベールが開きかけたところで、まだ辺りは薄暗い。てっきり近所の子供が、朝に雪掻きでもした折に作って置いていったのだと考えていたが、こんな時間にあることにリサラは違和感を抱いた。


 今までは確かめようとすらしなかったことが気になり、バッと窓を開いて身を乗り出す。

 そして目を凝らし、『雪うさぎを置きに来た人物』の足跡を探すが、窓の周辺の積もった雪は真っ平らで、そんな跡らしきものは見当たらなかった。寝ている間に雪が降り、足跡を消したとも考えられるが、ここ二日ほど空気は冷たいが快晴で、昨夜寝る前に外を確認したときも、空から純白の粉は落ちてはいなかったはずだ。現に今も、雪は降っていない。


 この雪うさぎは誰が作って、いつの間にどうやって置いたのか。


 何かが圧倒的におかしかった。

 外気によるものではない、得体の知れない寒気に襲われ、リサラは肩を震わせる。そして身体を室内に戻し、窓を固く閉め切ろうとした……その瞬間。


 ――――――不意に、リサラの瞳と雪うさぎの瞳が、ピタリと合ってしまった。


「っ!」


 いつか倉庫で走ったのと同じ、鈍い痛みがリサラの脳を襲う。次いで、記憶にないはずの光景や音が、いくつも頭に流れ込んできた。


『聖女様! どうぞ、その聖なる歌をお聞かせください!』

『私たちに神のご加護を!』

『癒しの歌をお恵みください、聖女様!』


 そんな、大勢の人の熱に浮かされたような声が聞こえる。場所は白い柱が立ち並び、大きな女神象が飾られた、何処かの神殿のようだ。

 そこに、老若男女、様々な人が押し寄せてきている。心なしか、怪我をしている人や顔色の悪い人が多い。そんな人々は皆一様に、祭壇の前に立つ女性を崇めているようだ。


 白いベールを被り、神官衣のような服を着て、犯しがたい神聖さを感じさせるその女性は。


「私……?」


 リサラは布団の上で蹲り、痛む頭を押さえて、か細い声でそう呟いた。


 崇められている女性はリサラだった。

 幾分か今より若く、5、6年ほど前の姿かと推測できる。


「『聖女』……? わたし、が?」


 声に出してみれば、その響きは酷く聞き覚えのあるものに感じてしまう。いや実際に、自分は『そう』呼ばれていたのだ。


 ――――そうだ。私は奇跡を起こす『聖女』として、とある国のある神殿に、もの心つく前からずっと居た。


 その国は万年雪に閉ざされた極々小さな国で、何処の国とも長年関わりを持たず、独自の『信仰』を何よりも重視していた。

 この国には古くより、特殊な『力』を持った娘が生まれる。その娘は『神の化身』であり、穢れ無きまま神殿に入り、その力を国民のために奮う義務がある。それが国の習わしであり掟であり、揺るぎない絶対の信仰だ。


 その神の力を宿した娘こそ―――――リサラだった。


「私は毎日、神殿で祈りを捧げて……それから、そう。私に会いに来た国民たちに、『癒しの歌』を歌っていた……ずっと、ずっとそうだったわ。私は幼い頃から、神殿から一歩も出たことはなかった。でも、えっと……」


 氷漬けにされていた記憶が、急速に溶けてリサラの脳内を満たしていく。


 頭の中の映像は切り替わり、今度は豪華な調度品に埋められた部屋で、リサラは一人で小窓の外を眺めていた。


『今日もあった……』


 そう言って微笑む、記憶の中のリサラの視線は――――――窓辺に置かれた雪うさぎへと注がれている。


 いつからだろう。

 祈りと歌を繰り返す変わりのない日々に、小さな変化が訪れたのは。


 国民たちは沢山の捧げものを神殿に置きにきたが、そのどれよりも、リサラはこっそりと届けられるこの贈り物を見るのが、何よりも楽しみだった。

 朝にはあり、寝る前には消え、また次の朝にはある。

 そんなふうにいつからか毎日、リサラの神殿内部に設けられた部屋の窓辺に、現れるようになった不格好な雪うさぎ。


「一生懸命作っているんだなって分かって……見ていると心が安らいだ。なかなか上達しないそれから、作っている人の気持ちまで伝わってきて……それで」


 飛んでいた意識を少しだけ現実に戻したリサラは、身体をゆっくりと起こし、無意識に窓辺の雪うさぎへと手を伸ばす。

 指先が白い塊に触れ、ひやりとした感覚が走った。


「そのうち、作っている人に興味が湧いて……」

 

 またしても、思考と記憶は遠い過去へと遡る。


 薄らと雪の上に残っている足跡から、どうも雪うさぎの製作者は男だと分かった。

 『聖女』であるリサラの部屋の処まで、神殿の奥に入っていけるということは、これを作っているのは神官様か、神殿の警護の者か。可能性は低いが、はたまた王族の者か。


 どんな人がどんな意図で作っているのか、想像を巡らせるのが楽しかった。

 夜通し起きて相手を直接確かめることも出来たが、リサラはそうはしなかった。……確かめたところで、自分がその人物と親しい仲になれるわけではないと弁えていたから。特に『男』となど、神に仕える神官様ならまだしも、それ以外との接触は固く禁じられている。下手に密通しているなどと広まれば、相手にも迷惑がかかるだろう。

 

 だからあくまで、リサラは雪うさぎ越しにいる『彼』に想いを馳せ続けた。

 幼い頃から神殿という狭い世界で、国民のためだけに生きてきたリサラにとって、見知らぬ世界を想起させてくれる『彼』と雪うさぎの存在は、彼女にとって何よりも尊いものになっていったのだ。


 『彼』について考えるだけで湧く、今まで味わったことのない、甘く優しく愛おしい暖かな想い。

 その感情に名前をつけるとしたら、『恋』が一番近かった。


 確かにリサラは雪うさぎ越しに――――顔も身分も性格も、名前さえも知らない『彼』に、淡い『恋』をしたのだ。


「うっ」


 一際、大きな痛みがリサラのこめかみに走る。

 あまりにも多くの記憶を一気に思い出したことで、脳が限界を訴え始めたようだ。


 それでも、リサラは必死に頭を押さえて耐える。ここから先こそが、最も大切な記憶が隠されている気がしたからだ。


「思い出して、ゆっくりと……そう、あれは私が、二十歳を迎える日が近づいてきたころ」


 『聖女』の最も重要な務めとして、『神帰りの儀』というのがある。

 二十歳になった聖女は神殿から出て、国の外れの山奥にある塔へ、数名の神官や従者と共に送られる。そこで『ある儀式』を行い、その『力』を神へと返す。そうすることで、また次の新しい『聖女』が生まれてくる、というものだ。


 このようにして、『力』はずっと受け継がれてきた。この儀式をせず、一人の『聖女』が二十歳を超えてもずっと力を持ち続けた場合は、いずれその『聖女』が国を滅ぼす存在となる。


 そんな言い伝えもあり、過去の例に倣ってリサラも、当然のようにこの儀を受けることになっていた。 

 詳しい儀式の内容を知るのは、一緒に塔へと赴き、儀式を執り行う数名のみ。受けるときまでリサラにも教えられてはいなかった。ただ伝えられたのは、その儀を終えて力を喪った『元聖女』は、あとはその塔で静かに一人、余生を過ごすのが習わしだということだけ。


 ……前々から分かっていたこととはいえ、そうなってしまえば、この雪うさぎを目にすることはもう二度とないだろう。

 力を喪い聖女で無くなることには、リサラは特に何の感慨も抱かなかったが、それだけがただただ悲しかった。


 そして塔に送られる日が、いよいよ数日後に迫ったある日。

 お別れするのならせめて、焦がれた『彼』の名前だけでも知りたいと考えたリサラは、小さな紙にその旨を綴った。


 『ここ三ヶ月ほど、毎朝欠かさず、可愛い雪うさぎを贈ってくださりありがとうございます。いつもとても嬉かったです。ご存知かもしれませんが、もう時期に私は聖女ではなくなり、この神殿から姿を消します。最後に、貴方のお名前だけでも教えてくださいませんか?』


 それだけ書いた紙を折り畳み、朝から窓辺に座っていた雪うさぎの緑の葉のところに、字が滲まないように気を付けて、そっと挿しておいた。

 務めを終えて室内に戻ってきたら、紙ごと雪うさぎは消えていて、リサラは次の日の朝がくるのを、期待と不安で胸を満たしながら待った。


 そして。


「次の日、起きればいつものように雪うさぎがいて、その耳の辺りには黄ばんだ小さな紙が……」


 ふと瞬きをすれば、手を伸ばしていた雪うさぎの葉のところには、先ほどまでは無かったはずの紙がささっていた。

 ちょうど、思い浮かべていた黄ばんだ小さな紙だ。


 ……もうリサラには自分が今、過去の記憶の中にいるのか、現実にいるのかさえも曖昧になってきていた。

 誘われるように手を伸ばし、繊細な手つきで紙を引き抜く。


「『彼』は返事をくれた。開けばそこには、端的に『彼』の名前だけが書かれていて……」


 ゆっくりと折り目を伸ばし――――目に飛び込んできた名前は。




「――――クライン、様?」




 手から紙が滑り落ち、淡雪のようにヒラヒラと舞って床に着地する。

 リサラはぼんやりとしていた意識をはっきりと覚醒させ、慌ててベッドから下りて、その紙を拾い上げた。


 力強く、それでいて少し右上がりの字は、間違いなく夫のものだ。

 記されている名も、『クライン・ニクス』――――リサラの最愛の人の名。


「どういうこと……? だって私は、盗賊に襲われ倒れていたところを、クライン様が助けてくれたって……それが二人の出会いだって、クライン様が私にそう言ったのよ? ああでも、『聖女』だった私が、盗賊に襲われる? 一体どういう状況で? その前に、彼が雪うさぎの製作者で、私の正体を以前から知っていたとしたら、なぜ黙っていたの? ……彼は私に、意図的に嘘をついていたとでもいうの? なんの、ために?」


 リサラにはもう、何が真実で偽りなのかも分からなかった。

 ……誰を、どの記憶を、どの情報を、信じればいいのかも分からない。


 スカートを広げて床に座り、ズキズキと痛む頭を押さえて唇を噛む。


 開いた窓ガラスの隙間から、雪うさぎの赤い瞳は、そんな彼女をじっと見ていて――――――そして、奥底に埋まっていた、リサラの最後の記憶が溢れ出す。


『聖女様。この雪深い山をもう暫し行けば、塔に着きますよ。乗り慣れない馬車でお疲れでしょうが、着いたらすぐに儀式を始めましょう。儀式は、夜が明ける前に終わらせなくてはいけませんから』

『ん? おい、馬を止めろ! 前方に誰かいるぞ!』

『黒いローブを着た……男だ。剣を持っている。盗賊か!?』

『いや、目を凝らしてよく見ろ! あの剣の紋様は――――っ!?』


 馬の嘶き。降りしきる雪。雪雲の隙間を縫うように光る三日月。

 黒いローブの男が、闇の中で剣を奮う。

 悲鳴や叫び声が木々に木霊し、白い地面が赤く染まる。


「……そう。塔に行く日、その道中の雪山で、私と数名の神官や従者が乗っていた馬車が襲われたんだわ。抵抗しようとした者は皆斬られて……わ、私は無我夢中で馬車を飛び出した。そして――――」


 ――――――あの『黒い男』に追いかけられる悪夢へと繋がる。


「まだ、まだよ。あと一つ、残された記憶が……」


 いつも夢の中では朧気な部分が、今なら確かな輪郭を持って思い出せる。

 逃げる途中で倒れたリサラの元に近付いてきた、あの黒い男。


 そのフードの下の瞳は――――雪うさぎのような赤。

 煌めく剣に刻まれた紋様は――――倉庫で見たものと同じ。


 あの黒い男は――――クラインだ。


「私に雪うさぎをくれたのも、クライン様。馬車を襲ったあの恐ろしい男も、クライン様。私の愛する夫も……クライン、様」


 一体どれが、彼の真実の姿なのだろう?


 すべての記憶を思い出しても、やはりクラインの正体や意図は分からなかった。

 もっと頭を働かせなくてはいけないのに、思考の許容量を越えたせいか、くらくらと気持ちの悪い眩暈がリサラを襲う。


 ついに床に倒れ、彼女が意識を失うと同時に――――――部屋のドアが鈍い音を立てて開いた。

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