ある小説家志望の帰省
「お前はもう少し身奇麗にできないのか?」
俺は呆れ顔で森久保に言った。昔から無頓着な奴だったが、横溝正史の金田一耕助のように脂ぎった髪に寝癖を残したまま商店街を歩くとは思っていなかった。それもここは俺たちが下宿している大学近くの商店街ではない。高校卒業までを過ごした故郷の商店街である。いたるところに知った顔がいるのだ。
近所のおばさんに見られれば、
「あれは、森久保さんのところの……」
「大学生にもなって……」
なんて言われるのは目に見えているのだ。
ましてや田舎のおばちゃんネットワークは、都会のそれとは通信速度が段違いなのだ。朝あったことが昼には二十キロ離れた知らないおばちゃんが知っている、ということもざらなのである。ましてや今日は、市主催の盆踊り大会が夜にある。商店街を訪れている知人も多い。
「阿部は気にしすぎだよ。せっかく故郷に帰ってきたんだ。楽したっていいじゃないか?」
「お前は気にしなさすぎなのだ。それに楽をするのと自堕落な生活をするのは違う」
一昨日、俺と森久保は一緒に大学のある街から実家のあるこの田舎に帰ってきた。特に示し合わせた訳ではなかったが、お互いにバイトも入れていなかったのでお盆の二日前に帰省することにしたのだ。帰省ラッシュに巻き込まれることを考えれば、いい判断だった。
「いいねぇ、自堕落。蠱惑的な響きがあるよ。将来は自堕落な生活を保証してくれる人と結婚するよ」
「そんな殊勝な人間はいない。あとお前、いい加減に高校時代のジャージを着るのはやめろ」
胸元に森久保と刺繍されたジャージには、かつて青春を過ごした四乃山高校の校章がプリントされている。卒業してもうすでに三年、在学期間を含めればもう六年は着ていることになる。最初は原色の青であった色は、水色にまで退色している。
――みすぼらしい。
俺は大きなため息をつかずにはいられない。どうして、こんなやつに関わってしまったのだろう。
「阿部、人を見てため息をつくのはやめろ」
「やめて欲しかったら、もう少しまともな格好をしてくれ」
「それを言うのはお前で二人目だ」
俺の他にこいつに文句を言うやつといえば、二人しかいない。一人はこいつの弟、そして父親だ。弟の方はまだ帰省していない、と聞いているので父親が言ったのだろう。
「親父さんも頭を抱えていただろう?」
「ああ、いまの阿部と同じような苦虫をかんだ顔をしていた。そして、これをくれた!」
森久保はジャージのポケットから一万円札を取り出した。
「なんだ、ソレは?」
「阿部、知らないの。これは日本国銀国が発行している紙幣と言って……」
「そうじゃない!」
俺は森久保の言葉を遮った。俺が聞きたいのはなんのための一万円か、ということである。
「冗談の通じないヤツ。親父がこれで髪の毛切ってこいってさ」
森久保が一万円を片手に笑う。子供が駄菓子でも買いに行くような顔である。
「それにしても奮発した金額だな」
一般的なカットの料金にしては、一万円は高い。その半分位でも多いくらいだと言っていい。
「ああ、賄賂込みだからね」
賄賂……。いきなり不穏な言葉が出て俺は驚いた。だが、すぐに何の事か分かった。
「盆踊りのアレか」
アレというのは盆踊り大会に付随して市主催で行われる各種イベントのことである。のど自慢のように人が集まりやすいものからかき氷早食い大会など人が集まりにくいものまで幅広いイベントが盆踊り大会と一緒に行われる。
森久保の父は市役所の職員であり、そういう地域振興イベントを開催する部署にいる。そのため、参加者の少ないイベントを少しでも盛り上げようと子供を無理やり参加させる。森久保はそれに参加する代わりに袖の下を要求したのだろう。
「嫌になるよ。去年も出たのにさ」
「嫌そうな割に去年は優勝だったじゃないか?」
俺がからかうように言うと、森久保は口を尖らせて反論する。
「あれは審査委員が勝手に決めるものだ。こっちがどうこうというやつではない」
「まぁまぁ、チャンプ。そう熱くなるな」
「あっ、そうだ。阿部。どうだい、これから服を買いに行こうじゃないか? ジャージを着るなというのだからどんな服がいいか選んでくれよ」
阿部は面白いものでも見るような眼で俺を見つめる。実のところ、俺はあまり服のセンスがいい方ではない。高校時代、俺は野球部で制服とユニホームだけで事が足りる生活だったからだ。大学生になって多少、気にするようになったがセンスがいいとは口が裂けても言えない。
意外なことに、森久保はセンスがいい。無頓着な割には綺麗にまとめる、と言えばいいのか。それで高いブランドを持っていないというのだから意外な才能というしかない。
「いや、やめとく」
何よりもコイツと買い物に行くと長くなるのだ。平素はなんでもいいというスタンスのくせに選ぶとなれば、妙に時間がかかるのである。きっと、こだわりが強いのだ。
「なんだ、つまらないな。まぁ、いいさ。髪も切らなければいけない。弟も盆踊りまでには帰ってくるというから十八時に市役所前で待ち合わせをしよう。そっちの弟もきっと一緒だろう」
うちの弟が帰ってくるのは知っていたが、まさか森久保の弟と一緒だとは思わなかった。「兄貴と一緒で森久保とは腐れ縁だ」、と平素は言っている割には仲がいいことである。
「ああ、了解だ」
そう言って、俺と森久保は別れた。
十八時。俺が約束どおり、市役所の前にいると知った顔が二つ現れた。俺の弟である貴也と森久保の弟である。二人は俺の一つ下になるので、大学二年生。正月になれば晴れて成人の仲間入りである。
「阿部さん、こんばんわ」
「よう、兄貴。森久保さんは一緒じゃないのか?」
森久保弟が丁寧に頭を下げる。反対にうちの弟は片手を上げただけであった。
「どうだ? 映画研究会とやらは楽しいのか」
「そうだな。この夏のあいだに二本撮って学園祭で上映する予定だ。兄貴も大学野球は順調か?」
高校時代は、兄弟二人で白球に青春を捧げたのだが、大学生になって貴也は急に映画研究会に入った。たいして、映画が好きなようにも見えなかったので驚いていたのだが、楽しそうにやっているらしくそれだけは安心している。
「森久保弟の方は相変わらず小説一本か?」
「……はい、僕はアレと違ってミステリーは書きませんけど。アレはまだ書いているのですか?」
森久保と森久保弟はそりが合わないのか。森久保がミステリーを主に書いているのに対して、弟は純文学やホラーを書くのだという。
貴也が一度、ミステリーを書かないのかと尋ねたところ、
「アレと比べられるから書かない」
と、言ったらしい。
「ああ、この間も締切がどうだ、とか言っていたから書いているよ」
「そうですか」
伏し目がちに森久保弟が頷く。この弟は森久保にひどく競争心を持っているのか、比較されるのが嫌なのか絶対に森久保のあとには続かない。高校時代も森久保がいる文芸部には入部せず、一人孤独に小説を書いていたという。うちの弟など俺のことなどお構いなしに野球部に入部していたのだが。
「あー、もうそろそろ森久保のヤツも来ると思う。待っているか?」
「いえ、家に帰ればどうせ会いますから。阿部、行こう。たこ焼きで食べよう」
そう言うと、弟たちが盆踊り会場の方へ歩き出す。そこに騒がしい声が響く、
「ちーくーん!」
青い塊が森久保弟に激突する。
浴衣を着た森久保である。髪をミディアムに切り揃え、黒髪が艶やかに光っている。いまの森久保からは朝の金田一耕助のような印象はない。身につけた朝顔を染め抜いた浴衣は紺地に白の線が入った帯とよく合っている。率直に言えば、綺麗なのである。それが弟に抱きついている。
「ちーくん、元気にしてた? ちゃんとご飯食べてた? なんでメール返してくれないの?」
「ちょっと乙女姉さん! 恥ずかしい! 離れてくれ」
青い浴衣を着た森久保が周りの目をはばかることもなく、弟に抱きついている。ちーくん、と呼ばれている彼女の弟は極端に嫌そうな顔で姉を引き剥がそうとするが、久しぶりに弟にあった森久保は離れそうにない。
そう。森久保は極端なブラコンなのである。
中学の時に彼女たちの母が死んでから森久保は異常なくらい弟を心配するようになった。本人は病床の母から「弟の面倒をちゃんと見るのよ」、と頼まれたからだと言っているが俺は違うと思っている。
「森久保、いい加減にしてやれ。森久保弟に嫌われるぞ」
俺が森久保の襟首を掴んで、無理やり引き剥がすと彼女は不平の声を上げる。
「なんだよ。姉弟再会に水を差すなよ。お前は弟とむさ苦しくハグしていろ。私はちーくんと語り合わなければ!」
「いや、それはちょっと……」
貴也が露骨に嫌な顔をしてこちらを見つめる。俺もそんなのは嫌だ。
「おっ、貴也。元気? いつも悪いね。うちのちーくんが面倒かけてるんじゃないの?」
「そんなことないですよ。乙女さん。それにしても今年も優勝、おめでとうございます」
貴也が森久保かつけているタスキを指差していった。そこには「ミス盆踊り優勝!」と金文字で書かれている。朝のボロ雑巾のような格好をしていた乙女がミスコンで優勝しているのだから恐ろしいものである。
森久保の高校時代のあだ名は汚女。今朝のように髪の毛を梳かすこともせず、ぼさぼさの髪とプリーツがしわになったままの制服で登校していたために名前の乙女を一文字変えてつけられたあだ名である。
「まっとうにすれば美人なのに」
「残念美人とはあれのことだ」
と、当時から言われていたが、それは今でも健在なのである。
大学生になってだいぶ身奇麗にするようになったものの、原稿の締切が近くなると汚女に戻ってしまう。結局は横着なのだ。
「ありがと。貴也も恋人ができたらしいね。おめでとう」
「えっ、なんで知ってるんですか?」
弟は引きった顔で森久保に尋ねる。
「お前の兄貴から聴いた。良かったね。兄貴より一年早く恋人できてさ」
「あ、いや。どうも……」
貴也が恨めしそうに俺を睨む。俺は明後日の方を向いて口笛を吹く。きっと家に帰れば文句を言われるに違いない。だが、それが兄弟というものだろう。
「乙女姉さん!」
森久保弟がたしなめるように声を上げる。弟の声を聞いた森久保はばっと弟の方を向き直ると、再び彼を抱きしめた。
「えっ、なに? ちーくん、お姉ちゃんが貴也と話していて寂しかったの? 構って欲しかったの?」
「違う。阿部が困っているから」
「なになにジェラシー?」
「違う。まったく違うから」
森久保は、弟の発言など一切無視して笑う。俺は貴也に口の動きだけで「連れてけ」と伝えた。貴也はため息を一つつくと、
「乙女さん。森久保借りますね。ちょっと二人で高校時代の友達と会うことになってるんで」
「えー。ちーくん……」
脱兎の如く去っていく二人を見送りながら、森久保がつまらなさなそうに弟の名前を呼ぶ。
「お前、弟に嫌われるぞ」
「えっ!? 私はこんなに愛しているのに?」
猫とか愛玩動物を飼ったらストレスでハゲさしたりするタイプだと俺は確信した。もし、森久保が動物を飼いたいと言うことがあれば全力で止めよう。
「だからだよ。それにしても森久保弟がミステリーを頑なに書かないのはお前のせいか?」
「そうだと思う」
「あいつの小説はそんなに不味い文章なのか?」
森久保は高校在学中にミステリー小説家としてデビューした。確かにそれと比べられる、というのは嫌なものだと思うが、まったく書かないというのは自分でも不味い文章だと自覚があるためなのか、俺は少し意地の悪い興味を持った。
「いや、その逆じゃないかな」
「お前よりも上手いのか?」
高校生作家としてデビューした森久保よりもうまい文章を書けるなら森久保弟がデビューもできずにいるというのはおかしい。
「私よりうまく書ける自信がある。そして、事実うまい。そう思ったら書けないんじゃないかな。私よりも高い評価をちーくんが受けたら私が悲しむんじゃないかって。うちの弟は優しいからね」
「まさか……」
「それはそうと、どうして兄弟揃って私とちーくんの交流を邪魔するかな。ぼっちのちーくんに今更会うような高校の友達なんていないのに!」
いくら姉弟だとしてもひどい評価である。俺もあまり知らないが、あの森久保弟だって貴也以外の友達が一人くらい入るはずである。それをあたかもいないように言うのは姉としてどのようなものか。
「一人くらいはいるだろ?」
「いないいない。ちーくんはぼっちだから」
「お前は本当に弟が好きなのか? ただ遊んでいるだけなんじゃないか」
森久保は満面の笑みを浮かべると「両方」と小さく答えた。長年、一緒にいるが森久保の好意というのはいまいちわからない。
「でも、負けてしまいましたね。弟の貴也方は一年はやく恋人作っていますよ。阿部は甲斐性がないから」
「うるさい。その甲斐性なしと付き合っているのは誰だ?」
「私ですよ。嫌になるなぁ。そんなことを言わせたがるなんて、私がちーくんに抱きついていて怒ったの?」
ニヤニヤとした表情で森久保がこちらを見る。俺は失敗したと思いながら小さく「別に」と言った。
森久保は「焼きそばでも食べよう」と、言うと俺の腕に彼女の腕を絡めた。浴衣を通して彼女の体温が伝わる。俺は森久保にひとつだけ注文をつけた。
「頼むから、そのミス盆踊りってたすきだけは取ってくれないか?」
「いいじゃない。綺麗なお姉さんは嫌いですか?」
森久保君のお姉さんは森久保乙女と言います。叙述トリック系の話を書きたかったのでこうなったのですが、よく考えてみれば他の「小説家志望シリーズ」を読ん出ない人には訳のわからない話になったのでは、と投稿時に気づきました。
次回は、また毒のある短編を書きたいと思います。