第九話 死姫、振り返る
嫁入りから二週間ほど経った、ある日のことである。
夕方屋敷に帰ってくるなり隊長が、いや、そろそろちゃんと名前で呼ぼう。アルバードが、私に一通の手紙を渡した。
「これは?」
「陛下からだ。一ヶ月後にある王太子殿下の誕生記念パーティーの際、私と君の結婚祝いも兼ねたいとのことだよ」
「あら、そうなのですか……」
おかしいな。鳥肌が止まらないんだが。
あのクソオヤジに、私を祝福するなんて親らしい感情があるとは思えない。万一あったとしても、そこには絶対嫌がらせがある。罠がある。
私は手の中の手紙に視線を落とした。
「これ、開けてもよろしいですか?」
「あぁ。どうぞ」
ペーパーナイフを使って封を切り、紙の中央に書かれた簡潔な短文に目を通す。
『アリシア・エルヴァーレンは、主賓としてこの度の誕生記念パーティーに参加すること。なお、その際顔を隠すような装身具などは禁止とし、ごく一般的な夜会の服装で参加すること。これは勅命である』
こんなことに勅命を使うんじゃない、父上!!
私は舌打ちしたいのをこらえた。どこまでも邪魔をしてくれる……!
どうやら、父上は結婚式の時に「だって仮面つけちゃダメなんて言われてないもん」と言い逃れしたことを根に持っているらしい。勅命を使われては、ただの小娘である私に逆らいようはない。
いつの間にか険しい顔になっていたらしい。アルバードが手紙を覗き込もうとしてきたので、私はとっさにそれを隠した。
「何か書いてあったのか?」
「い、いえ!お父様の悪い冗談に少し呆れていただけなんです」
そうか?と私をじっくり眺めながら、不意に、口の端を上げる。
「パーティーの際には、素顔を見させていただきたいな、アリシア」
「……、……ぜ、善慮しますわ」
そろそろ、覚悟を決めるべき?
「まぁ、当たり前ですね。むしろ今まで仮面つけてられた旦那様の優しさに感謝なさいませ」
部屋に戻ってソフィアに相談したところ、潰れたカエルを見下ろすような目を向けながらそう言われた。
「ソフィア、何か抜け道はないかな。私はまだバレるわけには、バレるわけには行かないんだ!!」
「諦めてください。そうですね、夜会の前に一度旦那様とゆっくりと話し合ってみてはいかがです?そしたらもうなにも怖くないですよきっと恐らく多分」
「返事が適当すぎる!!ソフィアー、ソフィア様ー、助けてくれー」
ソフィアはしばらく私をジト目で見ていたのだが、やがてゆっくりと口を開いた。
「私にできるのは、あくまでも時間稼ぎ。あなたが選んでしまった選択は、もはや覆せないんですよ」
「……」
ずきん、と胸が痛む。
「そんなに、彼に正体が知られたくないのならば、結婚を断ればよかったのです。陛下に粘って、変えてくれと頼み込めば。結婚してしまったのは貴方なのです。シアン・バードという人物の逃げ道は、もはやないのです。……貴方は」
私は。
何故、結婚したのですか?
「……申し訳ありません。大丈夫ですか?」
「…………」
何かが、頬の上を流れていく。
何を求めたんだろう。どうありたかったんだろう。
「大丈夫、だから、ごめん…………ほんとごめん。最低だ、私……」
私はなんて愚かで、なんてわがままな人間なんだろう。
私は崩れるように寝台に座り込んだ。気持ちが悪い。苦しい。
目を背けていたことがある。うやむやにしたかったことがある。このままで、この中途半端な歪な生活が、ずっと続けばいい、そう思っていた。
「私、好きなんだ、多分」
出会いは騎士団。幼馴染の敵を取るために騎士団に入って、そこでシアン・バードとして隊長に出会った。
彼の剣術が綺麗で、いいな、と思った。それから追いかけ始めた。
副官として、一緒に仕事が出来て、嬉しかった。楽しかった。
彼が好きだった。ずっと傍にいたかった。
だから、結婚の話も、断りきれなかった。
「これからも、目を背け続けるつもりなんですか?」
ぐっと、唇を噛み締める。
言わなければならない。けれど、嫌われたくない。
嫌われるぐらいなら。幻滅されるぐらいなら、歪でもいい、この生活が続けば良い。
私はなんて弱虫なんだろう。なんて卑怯で、最低なんだろう。
「父上は、なんでもお見通し、か」
きっとあの人にはこんな私の弱い一面も映っている。恥ずかしくて、悔しい。
震える声をなんとか押さえ込んで、ゆっくりと声を出した。
「ごめん、ソフィア。……明日、話してくる」
「えぇ。それがいいと思います」
頑張ってくださいませ、と呟いて、部屋を出ていく気配。それを感じながら、私はベッドに崩れ落ちた。
見た目だけ、格好つけてるだけ。
私の内面なんて、最低以外に言い様がないんだ。