第六話 死姫、出かける
心を落ち着けるように、私は鎮静効果のあるという三杯目のハーブティーに口を付ける。
大の大人複数相手に、子供三人で勝てるわけがない。それでも、当時の私たちは、全力を尽くしたのだ。
その結果、私たちは、外回りをしていた近衛士たちが王宮の私たちのところに駆けつけるまで、全身傷だらけになりながらも戦い続けた。
近衛士達の足音を聞きつけ、敵は慌てて逃げ出した。私たちにはそれを追いかける余力などなかった。相手の姿が消えた瞬間に、デューイと幼馴染は崩れ落ちた。
慌てて駆け寄ろうとした私も、草に足を取られた。崩れ落ちたその時ほど、絶望に満ちていたことはない。
死んでしまう。二人が死んでしまう。
それでも、腕が動かなかった。そのまま深い闇に落ちるように吸い込まれ。
目覚めた時には、すでに私の幼馴染は、冷たい「モノ」になってしまっていた。
あの時付けられた傷は、今も私の体に残っている。その後騎士の仕事でいくつか傷が増えたが、その傷は深く、私の身に刻み込まれている。
あの日を境に、私は本格的に「王宮で守られる者」から「王宮を守る者」になろうと思った。もう二度と、あんなことを繰り返さないため。そして、彼を殺した犯人を捕らえるために。
「……剣、振りたいな……」
ぽつり、と小さく呟く。それと同時に、私はこの先一週間ほどの予定を組み立て始めた。
たとえ、嫁入りしてしまったのだとしても、立ち止まるわけには行かない。立ち止まれないのだ。
私は部屋の壁に取り付けられた紐を引いた。カララン、と離れたところで乾いた音がする。
一分もしないうちに、部屋に王宮から連れてきた馴染みのメイド――ソフィアが入ってくる。
「どうなさいました?」
「出かけてくるから、居留守よろしく」
メイドは無言で、エプロンから紙を細く折りたたんだ扇子のようなものを取り出し、私の頭の上に振り下ろした。
「ちょ、危なっ、何すんだよッ!」
跳んでドレスの裾を踏みたくないため、後ろに倒れこむようにして避け、その後腕のスプリングで横に転がって立ち上がった。
「いちいちオーバーリアクションな……お嬢様、いえ、奥様。今日は果たしてご婚約より何日目でしょうか」
「二日目」
今度は問答無用の横薙ぎ。慌てて腕でカバー。パッカーン、という小気味のいい音が響いた。腕がちょっとヒリヒリする。
「痛い」
「音の割に大して痛くない作りになってます。で、新婚ほやほやのお嫁様が、結婚二日目に、どこで何をしてこようってんですか?」
後ろに大魔神の幻影が見える彼女に、私は引きつった顔で必死に弁明を開始した。
「や、別に長い時間じゃないんだ!ちょ、ちょっとね?気分転換がてら、街に出てお得意さんまわってこよっかなー、みたいな。ほら、大丈夫、酔っ払って帰ってくることはないから!酒場っていろいろ情報あるよね!でもうん、大丈夫飲まないからさ!ちょっと行ってきてもいいかなー、なんてごめんなさいまじすんません」
「使用人に頭を下げるんじゃありません!」
「はいごめんなさいッ!」
恐る恐る彼女を伺うと、ソフィアは深々とため息をついた。
「私がごまかせるのは、せいぜい三時間です。それを過ぎたら知りません。バレても知りません。怒られるのはあなたです」
「うん、分かってる。ありがと」
ソフィアは手帳を出し、「アリシア様は実験中につき立ち入り禁止、と」と呟いた。え、実験って何。
「……どうなさいました?」
「実験て何」
「今まで使ってきた居留守の言い訳ですが」
「そういうの、主人の許可とってからやろうや。つか、実験……」
「全部丸投げしてた上に、今まで気にしなかったじゃないですか」
私は、反論することを諦めた。どうせ変な噂の絶えない女を作ってきたのだ。その一つがメイドが自主的に作ったものであっても、私は気にしない。
クローゼットを開け、その奥の奥に隠してある、シアン・バードの際の私服を取り出す。ドレスを脱ぐのもお手の物。するするとドレスを脱ぎ捨て、シャツとベストをまとい、ズボンの上から太ももにベルトを巻いて、ナイフを差す。最後に膝丈のロングコートを纏うと、デューイからもらったこの屋敷の警備図を懐に忍ばせる。あいつどこから手に入れてきたんだろう、こんなもの。
「んじゃ、行ってきまーす」
「はぁ。いってらっしゃいませ」
浮かない顔のソフィアに苦笑してから、私はバルコニーを飛び降りた。
足への負荷を、体全体を使ってできるだけ逃がす。止まっている暇はない。隊長の家の警備は、少人数ながら優秀なのだ。
「あー、やっぱ体動かすの、楽しいよなぁ」
ポツリとつぶやいて、笑った。
心の奥のわだかまりから、目を逸らすように。