第二十九話 死姫と前夜祭3
「失礼しまーっす。本日シア……アリシア様の護衛に宛てがわれましたー、ブライアンでーす……ってうわ……」
緩いテンションで部屋に入ってきたブライアンが、私を見て一瞬硬くなった。
「よ、なんだお前が私の護衛か。今日は一日よろしくー」
ちらり、と首を動かして手を挙げると、すかさず「動かないでください」とソフィアの注意が飛ぶ。しょうがなく目線だけを動かすと、硬直の溶けたブライアンが苦笑した。
「シアン、なんだよな。……はー、一瞬部屋間違ったかと思ったぜ……」
「そんなに別人に見えるもん?それなら今までバレるんじゃないかってビクビクしてた私がバカみたいじゃんか」
ため息混じりにそう呟けば、「いやだってさぁ」とブライアンが唇を尖らせる。
「お前のそれ、もはや変装の域だって。化粧って怖ぇーなぁ、『母性殺し』『恋の伝道師』と呼ばれたお前をここまで女にするか」
「古い二つ名を引っ張り出してくるんじゃない、まったく」
ブライアンの言葉に、髪を弄っていたソフィアが小さく吹き出した。ちらりと横目で睨むと、「申し訳ありません」と口元を震わせたまま謝る。
入城した時のドレスは昼を過ぎた段階でまた剥ぎ取られ、私の服装は夜会に向けさらに気合の入ったドレスへと変わっている。化粧もさらにがっちりと塗りたくられ、鏡には誰?と問いたくなるような知らない女の顔が映っている。昼間でも十分厚いと思っていたあの化粧が、まさか最低限の薄化粧だったとは。女の世界は奥深いものである。
「はい、終わりです」の一言で解放された私は、改めてブライアンの方へと向き直る。するとさっきまで口を出してこなかったが、護衛にもうひとり、ロイも来ていた。
「ロイも今日はよろしく……ていうか、この前正装してた時とえらく印象が違うんだが」
「そうですか?俺はいつもこんな感じですが……」
「いや……なんというか、めちゃくちゃ暗い」
ロイは長めの黒髪の間から、キョトン、としたような表情を覗かせた。そこまで身長が高くないにもかかわらず猫背なロイは、やや俯いており、暗い印象が漂う。思い返してみれば確かに前からこんな印象な男だったような気もするが、伯爵家で彼がシアン・バードの変装をしていた時の印象がひどく強いため、激しい違和感を感じた。
私の感想に、ソフィアも胡乱な目で「近衛士にしては華やかさの欠片もない男ですね」とざっくり言い放った。流石にその感想は堪えたのか、ロイはびくりと肩を震わせる。
「……お前、ちょっとシアン・バードの真似してみ?」
「は?嫌ですよ、本人を前にして……ていうか、する必要がないでしょう」
「いいからいいから。背筋正してー、はい前向いてー、……」
私がパンパン、と手を叩くと、ロイは渋々体を動かした。するとよほど体の動かし方を熟知しているのか、一瞬で立ち居振る舞いが変わる。ソフィアは絶句し、それから徐に近くにあった小さなハサミを手に取る。
「……ロイ殿、ちょっとこちらに座ってくださいませ」
「は、はい?」
「この布なら汚れても良かったかしら。あぁ、少し手で支えていて下さります?これで受けるように……はい。ちょっと、姿勢は崩さない」
どうやらソフィアの中の何かに火が付いたらしかった。私とブライアンが見守る中、ソフィアは丁寧な手つきでロイの髪型を整えていく。ロイが状況をつかめずに固まっているうちに、ソフィアは切り落とした髪を布で包み、満足気な笑みを浮かべた。
「……え、あれ?」
「やっぱり、髪型を整えるだけでこんなに印象が変わるなんて……姫様以来の逸材ですわ」
「よくやったソフィア。完璧だ」
「お褒めいただき誠に光栄にございます」
深々と頭を下げるソフィアを横目に、私はロイの肩をポンと叩く。
「えぇと副隊長……」
「よかったな、ちゃんと胸を張って近衛士と言える格好になったじゃんか。仮にも一度シアン・バードの名を語った男として、これからもちゃんとした格好を心がけるように」
「えぇ……っ」
ロイは一瞬泣きそうな顔をしたが、ソフィアと私、さらにブライアンの三人に笑顔で頷かれて、彼も渋々、「分かりました……」と呟いた。
立ち居振る舞いのことをちょっと前まで立ち振る舞いだと思ってた。
この前現代文の授業で先生に聞いたところ、正しくは「立ち居振る舞い」だそう。
しかし電子辞書には既に立ち振る舞いの項目も載っていたため、立ち振る舞いでも間違いではないのかもしれない。