第二話 死姫、暴れる
歴史書を見る限り、どうもエルヴァーレン王家は、一代に一人ぐらい、変人が生まれる家系であるらしい。
変人。いや、実際には変人ではない。「王族」という枠にとらわれずに、自分の興味のあるもののために生きてしまう人間だ。
先代は王族のくせに世界一周を始めた旅人。先々代は王族なのに下町の鍛冶屋に弟子入りして鍛冶師になったとかならないとか。そして、今代の私は、「死姫」という空蝉を作り、王宮の平和を守るべく、近衛士として仕事をしていた。
もちろん、騎士として仕事をしている私が王女であることを知っているのは、同じ王族のみである。ほかの人間は、私の正体を知らない。
どんよりとした空気をまとったまま、私は近衛士の制服に身を包み、とぼとぼと廊下を歩いていた。
右手には辞表、左手には近衛士の紋章の入った愛剣。
「やだなぁやだなぁ辞めたくないなぁ……これから私どうやって生きろってのさ……畜生」
「シアン、何ぶつくさ言ってんだよ。気持ち悪いぞ」
後ろからやってきた同僚が呆れたように声をかける。私はガバッと振り返ると、同僚の肩口にタックルをかました。
「ブライアアアアアアアンッ!!!俺お前のこと好きだったぞ!?お前の単細胞なあたりホント好きだった。うん、お前はホント良いやつだった!これからも達者でな!?」
「何いきなり!?だから気持ち悪ッ……ちょいまち。お前何すンの?何かあったの!?」
「うん、ちょっと私用でね」
右手の封筒をぴらぴらと振ると、ブライアンは固まった。
「……辞表、だと……?」
「そうそう。つか、ここだけの話、ちょいと特殊任務に引き抜かれてさ。形式的に辞表出すことになったん。しばらく……下手したら、もう二度と戻ってこれないと思う」
特殊任務。それの内容が「隊長の嫁になる」だとは口が裂けても言えない。そしてこの任務に達成はない。一生かけて完遂せなければならないというクソけったいな任務。
そんなことを露知らず、素直に危険な任務に当てられたと思ったらしいブライアンは、眉を八の字に曲げた。
「そう、か……気をつけろよ?」
「うんうん。ま、近衛士には戻れないかもしれないけど、顔出すぐらいなら出来るかもしんないからさ。また会いに来るよ」
と、言ったところで。
「聞いてねぇぞシアアアアアアアアン――――ッ!!」
「おろ?」
がしっと両脇から腕が伸びてきて、いつの間にか担ぎ上げられていた。
「そういう話は先に言え!!」
「てめぇら、シアンが辞職すんだってよ!?ここはあれやるしかねぇよな!?」
「まじかよ!?」
「えええええええ、ツッコミどころありまくりだけどよぅ、とりあえず?」
放り込まれた近衛士詰所内の全員が、声を揃えて叫ぶ。
「「「送別会だ――――――ッッ!!」」」
「所詮は酒か――――ッ!!」
私はちらりと上司の席に視線をやる。隊長はまだ来ていないようで、私は右手の辞表を隊長の机に置くと、ニタリ、と笑みを浮かべた。
「お前ら、ちょいと暴れ足りないようだな?んじゃ、俺の最後の餞別」
ひとつに括り肩に流していた髪を、後ろへと流す。
「お前ら表に出ろや。近衛士副隊長が、直々に全員の相手してやる」
少々憂さがたまっていたのかもしれない。
幼い頃から、体を動かすことが好きだった。どうも姫らしくはないと知っていたけれど、けしてやめることはできなかった。人目を忍び、木登り、駆けっこ、チャンバラごっこと、女らしくないことばかりしてきた。
『君はそれでいいんだよ、多分。姫らしくなんかじゃなくて、君らしく居ることが一番なんだ』
「副隊長ッ!!パス、パス――ッ!!」
「サーセン、シアンさっ……。も、無理っす!」
「……ん?」
気がつくと、辺りは死屍累々となっていた。私は頭をポリポリと掻くと、テヘッと笑う。
「悪ぃ、やりすぎちまった」
「まったくだな」
声を辿って視線を横へ回すと、苦笑する上司の姿にぶつかる。
「隊長」
「俺の部下を使い物にならなくしないでくれ。ま、お前にこれだけ圧倒されるこいつらもこいつらだけどなぁ」
苦笑しながら隊長はこちらへと歩いてくる。それだけで、一枚の絵のようだった。
少し長めの濡れ羽色の髪に、光の具合によって僅かに色味を変える紫の瞳。細身にもかかわらず鍛え上げられていることがひと目でわかる、引き締まった体。
近衛士は、ある種騎士の花形だ。王族警護として表舞台に立つことが多いため、必然的に容姿の整った人間が多くなる。
私自身もそこそこ整った容姿だと自負しているが、隊長には叶わなかった。
「シアン、これはお前ので間違いないな?」
隊長が持っているのが自分の書いた辞表であることを確認して、深く頷く。
「はい。今までお世話になりました、隊長。今月をもって、シアン・バードは近衛士副隊長の座を辞させていただきます。既に国王陛下にはお伝えしてあります」
そうか、と感情の読み取れない一言に、少し心がざわつく。
なんだろう。もしかしたら私は、引き止めて欲しかったのかもしれなかった。