師匠と私
【師匠と私と依頼人】
師匠は魔術師だ。私はその押しかけ弟子である。
街外れの森に住んでいるのは、「他人にわずらわされるのが嫌いなんだよ」などと孤高ぶっているけれど、実は商売に失敗したのではないだろうか。
ゼイムは魔術師に占術師、はては呪い屋に祈祷所があふれかえる一大《魔法都市》だ。道を歩けば呪いをかけられる、というのが冗談にならないところが恐ろしい。
ゼイムでは超一流の魔術師は街の中心に、もぐりは路地裏に店をかまえている。私には師匠の腕の良し悪しはわからないが、儲かってはいないようだ。売れれば大きい魔術師の薬といっても、そもそも森に訪れる人間が少ないのだから。
「ルート。客がきたぞ。表を見てこい」
危なっかしい手つきで薬草を百本切り(千切りには程遠い)にしていた師匠に呼ばれ、私は薬草を洗う手を止めた。私の方が上手く刻めるが、役割を交代すると大雑把な師匠のことだ、ジャリジャリ砂の入った薬が出来上がってしまう。
依頼人が来るなんて珍しい……そう思うことがすでに不敬だろうか。
ローブの裾で手を拭きながら玄関扉を開けると、庭の向こうに人影が現れたところだった。敷地にしかけられた結界が来訪を告げたのだろう。こういうときは師匠も魔術師なのだなぁ、と感慨深くなってしまう。
依頼人はずいぶん怒っているようだった。どすどすと敷石を踏み割る勢いで私の前に来ると帽子をかなぐり捨て、「魔術師はいるかっっ!!」と怒鳴った。
半身をずらして唾をよけながら、顔のみならず頭まで真っ赤にして怒る相手をまじまじと見てしまった。
…………これは、怒っても仕方ない。
視線に気づいた依頼人は私をぎょろりと睨みつけ、「いるのかいないのかどちらだ!?」と問い詰めた。噛みつかれそうな剣幕に私はすばやく扉を全開にし、中へ招き入れた。
奥から出てきた師匠が「今度はどんなご用件でしょう?」とぬけぬけ言うものだから、依頼人は怒りのあまり言葉を失ったようだ。雄牛のように鼻息を荒くし、床を踏みならした。
しかし人間だった依頼人は師匠に向かって突進せず、かわりに机をバン!と叩いた。
「どんなもこんなもあるか! わたしを見てわからんか!? お前の目は節穴か!!」
「無茶を言われる。俺はしがない魔術師です」
「魔術師でなくともわかるだろう! お前に依頼したことはなんだったか、今すぐ思い出せ!」
この依頼人が訪れるのは二度目だ。
一月前にほとほとと扉を叩き、帽子を目深にかぶった紳士が依頼に訪れた。身なりからしてかなり裕福な依頼人だ。とっておきのお茶を淹れ、師匠の後ろにひかえる。
まだ若いらしく張りのある声をした依頼人は、なぜか世間話を始めた。切り出しにくい本題らしいが、街外れに住む引きこもり魔術師が興味を持つはずもない。師匠の相槌が唸り声にかわりかけてハラハラするころ、ようやく依頼内容を明かした。
「……実は、あるものを豊かにしたいのだが」
ずばり固有名詞を出さない依頼人に私までイラッとしたが、取られた帽子で用件がわかった。
なんと言うべきか……ハゲていた。
前髪の名残すらなく、おでこがぐーんと広がっている。完璧な若ハゲだ。黒々とした眉毛が太いのも、なまじ目鼻立ちが整っているのも悲劇だった。
モテないのだ、と悔しそうに言われた。帽子を脱げば二度見され、カツラをかぶればガン見され、女性と縁がないのだと嘆く声はいつしかむせび泣きにかわってしまった。
彼は育毛薬を手にして意気揚々と帰ったはずだが……。
「たしか、あるものを豊かにというご依頼だったかと」
「豊かになったか、お前はどう思う?」
フッフッフッと引きつり笑いの依頼人は、色艶のよい頭部をつるりとなでた。
そう、つるりーんと。
……まったく生えていませんね。そして残っている分も育っていませんね。
「――あるもの、それは目に見えるところではありません」
「心が、などといったら依頼料を三倍にして返してもらうぞ」
胡乱な目をした依頼人が釘をさす。私もそんな精神論的ごまかしが通用するとは思えず、眩しいぐらいに輝く頭部と師匠の顔を交互に見つめた。
「もちろんそんなことは言いませんよ。俺の薬を飲み、あなたは豊かになったはずだ」
心当たりがあるでしょう、と師匠は意味ありげに依頼人を見やる。
「なにを言う! 豊かになどっ――…………まさか」
依頼人は途惑った顔をしていたが、ふとなにかに思い当ったようだ。驚愕を浮かべた彼に師匠は得たりと微笑む。「あの、あらぬ処の……」と口ごもる依頼人と師匠は二人でわかりあっているようだ。
「男の真の魅力とはなにか? 女性とは服を脱いでから本当の付き合いが始まるのですよ。夜になって虚飾を取り払ったあなたのギャランドゥに、彼女たちは目を奪われるはず」
「……ギャランドゥに」
「ええ。あなたのギャランドゥな魅力に――」
師匠と固い握手をかわした依頼人は、弾むような足取りで来た道を帰って行った。
わけがわからない私は師匠を追いかけて奥へ戻り、薬草を刻む背に問いかけた。
「師匠、あの人に渡したのは毛生え薬じゃなかったんですか?」
「ハゲをどうにかする薬といえばそれ以外ないだろうが」
「でもつるつるでしたよ」
「それがおかしい。俺は確かに育毛薬を作ったんだが……なんで生えてねえんだ?」
ふりむいた師匠は心底不思議そうに首をかしげた。
二流だ。
「……依頼料返せって言われなくてよかったですね」
「まったくだ。髭が濃いのに気づいて助かった。成分は間違っちゃいねえから、どこかはフサフサになってるはずだと賭けたんだが、大当たりだったな」
「ギャランドゥってなんですか?」
「ガキのおまえにはわからんだろうが、女を虜にする大人の男の魅力だ」
「……師匠も豊かなんですか?」
ちょっと心配になって尋ねると、「そう見えるか?」と逆に聞き返され、言葉に詰まった私の頭にポカリと拳が落ちてきた。
「おまえ、そこは嘘でも頷くところだろうが! 偉大なる師を敬えっ、気遣えっ、褒め称えろっ!」
「師匠かっこいいー!」
青臭い鉄拳が再び見舞われ、髪からパラパラと刻んだ薬草がふってきた。せめて手を洗ってからにしてほしい。
師匠は大きな溜息をついて独りごちた。
「あぁ~……嫁さんどっかに落ちてねえかなー……」
――さっきの台詞は本気で言ったのに、誤解されているようだ。
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【師匠と私と異世界召喚】
師匠は二流の魔術師だ。私はその三流の弟子である。
冷たいように見えて、師匠は案外お人好しだ。強引に押しかけてきた私を迷惑がっていたけれど、「なんでもします!」と必死で頼むとしぶしぶ家に入れてくれたのがその証拠である。
弟子の仕事は掃除から始まる。「雰囲気を出してんだよ」と目をそらして嘯くが、ようはものぐさで不器用。とっ散らかった物を整理整頓し、クモの巣と埃を払った揺り椅子でお茶をすする師匠はまんざらでもない様子だった。
食事の用意も弟子の仕事だ。味の批評はないものの、気にいった品は何度もおかわりをねだるので、好き嫌いが大変わかりやすい。
依頼人の持てなしも仕事の内だが……依頼人はあまり訪れない。
午後のひと時、私は師匠から魔術を学ぶ。腕は二流でも教えるのは抜群にうまい師匠によって、ずぶの素人である私も簡単な魔術をいくつか使えるようになった。
普段はムスッとしているかボンヤリしているかニヤけている師匠も、私に魔術の理を説く顔は真摯で格好良い。灰色に見える濃い銀髪と薄い青の瞳。引きこもりらしく肌は白いけれど背は高く、髪に櫛をいれて万年ローブを着替えたら、きっと言い寄る女性が現れるだろう。
「今日は召喚術を教えてやろう」
ぶ厚い魔術書を片手に、師匠は床に陣を描き始めた。私もいそいそ隣にしゃがみこむ。
ゼイム出身ながら家は食堂だったので、私は魔術の知識に乏しい。紙を折って作った小鳥が羽ばたいたり、息を吹きかけると人形が踊りだしたり、師匠が教えてくれる魔術はとても楽しいものだった。
たとえ終わった後に床の陣を拭きとるのが私であっても、一瞬の感動に勝るものはない。期待をこめて見つめる中、ときどき手を止めながら師匠は複雑な陣を描き続ける。
……床がデコボコなので線もガタガタしているが、いいのだろうか。首を伸ばして覗いた魔術書のなめらかな円と床の楕円を見比べ、思わず後退した私を咎める視線。
師匠を疑っているのではなく、過去の学習成果からくる反応です。
よし、と立ちあがった師匠は手をはたいて白墨の粉を落とし、私のかかえる壺から薬草をひと掴み取り出した。
「これはとても高度な召喚術だ。俺と同じ道を歩むなら、おまえも将来必要になるかもしれん。なにしろ魔術師はモテないからな。よく見ておけ」
「なにを召喚されるんですか?」
「嫁だ」
えっ?
師匠は呪文を唱え始めた。半ば伏せた瞳は鋭く魔術書の文字を追い、独特の抑揚で紡がれる言葉は歌のよう。ぼうぜんとする私をおいて、呪文は完成した。
「――出でよ! ぴちぴち十七歳の可愛い俺の嫁っ!!」
パッと召喚陣に投げられた薬草が緑の炎に包まれ、真っ白い煙を噴き上げた。
もうもうと立ちこめる白に視界を閉ざされ、師弟そろってゴホゲホと咳こむ。勘にたよって窓へと進み、ガラス戸を開け放って新鮮な空気をいれる。
涙目をこらして召喚陣を見ると――。
「……ゴホッ、師匠っ……誰も、いませんっ……」
「ゲホッ、そんなはずがっ――……」
薬草の燃えかすが散らばっているだけで、召喚陣には誰もいなかった。
難しい顔をして魔術書をくっていた師匠は、「不発の原因がわかった」と言った。
「端に注釈があった。小さくな。~~こういうものははじめに大きく書くものだろうがっ」
召喚陣を消さないよう燃えかすを掃除していた私は「ごもっともです」と相槌を打ち、たんに腕が悪かったからじゃないんだ……と認識をあらためた。
「俺の描いた陣も呪文も、召喚の対象をこの世界に限っていたのが原因だ。術に組み込まれた条件に合致する対象がいなかったから、なにも呼び出せなかったんだ」
「じゃあ次はどうされるんですか?」
「異世界から召喚する」
……え。
固まった私をよそに師匠は陣に文字を描き足し、あらたに呪文を唱え始めた。条件反射で身体が動いて壺を差し出す。ごっそり薬草を掴みとった師匠は大きく振りかぶった。
「――異世界から出でよ! むちむち十七歳の可愛い俺の嫁っ!!」
宙に舞った薬草は黄金の炎に包まれ、桃色の煙を噴き上げた。
これは成功したかもしれない。
甘ったるい匂いの煙を追い払い、私は戦々恐々と召喚陣を見た。
人影はない。
失敗……?
鏡うつしの表情を浮かべた師匠と二人、そろりと召喚陣に近づくと、燃えかすの中になにかあった。
「師匠……」
ちょこんと鎮座するものをつまみ上げ、手の平にのせて師匠へ渡そうとしたが、受け取ってもらえなかった。肩を震わせうつむいていた師匠は「なぜだっ!」と吠えて頭をかきむしっている。
有体に言って、人形だった。
しかもおそろしく精巧な造りだ。流れる髪の細さ、大きな瞳は透き通るように潤んで見え、自然な肌色は質感すら表現している。身体の微妙な陰影が角度を変えてできる影ではなく、着色されたものだと気づいて感嘆の吐息がもれた。人形の着ている衣服も見事な縫製で、爪の先ほどの凝った刺繍に職人の魂が宿っているようだ。
たしかに異世界からやってきたのだろう。このような人形は生まれて初めて見るし、噂に聞いたこともない。
「これが師匠のお嫁さん……」
「言うな」
面積の少ない布をまとった人形の顔は可愛くて、ぴちぴちむちむちの身体つきをしていた。召喚者の願望を体現しているなら、師匠は理想が高いか変態のどちらかだろう。
豊満な胸に触れたとき、私は驚くべき発見をした。
「師匠、この子の服は着脱可能のようです」
「黙れ」
上着が脱がせられるものだから、下の短いスカートも興味本位でめくった私は、さらに重大な秘密を発見をした。
「師匠っ、この子の下着は脱がせ、」
「黙れと言ってるだろうが!」
一喝した師匠は振り返ることもなく自分の部屋へ向かい、そのまま閉じこもってしまった。
私は召喚陣の後片付けをすませ、おいていかれた人形を前に思案に暮れた。
翌日。
ふて腐れた顔の師匠を喜ばせようと、私の使える数少ない魔術で人形に一枚一枚服を脱ぎつつ踊らせたところ、鉄拳を落とされ、人形を操る魔術一切の使用を禁止されてしまった。
+++++++++++++++
【師匠と私と挑戦状】
師匠は変態の魔術師だ。私はその物好きな弟子である。
玄関先に荷物をおろしてひと息ついた。しばらくぶりに見るものだから、扉のささくれすら愛おしい。
実家へ帰りたいと願い出たとき、「かまわんぞ」とあっさり答えた師匠に、内心愛想をつかされるのではないかと心配だった。
魔術師に弟子入りしたら、一人前になるまで師の下で修業に励むのが普通だ。強引に弟子にしてもらったのにろくな魔術も使えぬまま、一年そこそこで家に帰りたがる私をどう思うか。
見限られてもしょうがない……と諦めながら帰途についた。
結界の乱れから師匠は私の訪れに気づいているはず。
扉を叩くと返事はなかったが、押すと抵抗なく開いた。師匠の許しがないと開かない扉だ。安堵に肩の力が抜ける。
ほんの二週間留守にしただけで、家の中は見る影もなく散らかっていた。奥へと続く扉を開けると、師匠はいつものように危なっかしい手つきで洗い残しの泥がついた薬草を刻んでいた。
すうっと息を吸い、丸められた背に帰宅の挨拶をする。
「……師匠、ただいま帰りました」
「おう、帰ったか」
いつもと変わらない態度。その声を聞くまで胸に巣食っていた不安が、ゆっくり消えていく。
師匠はふり向かないまま、「家はどうだった?」と尋ねてきた。
「おかげさまで両親も元気にやっていました。街もあいかわらずにぎやかで、この森の静けさが恋しくなっていたんです。師匠の方はおかわりありませんでしたか?」
「ねえな。……いや、おまえがいなくなってからなにがどこにあるかさっぱりわからん。あちこち探し回ったぞ」
「すみません。もっとわかりやすく片づけるべきでした。お探しのものは見つかりましたか?」
「ああ。次から……いい、帰ってきたんならおまえに聞けばすむことだ」
師匠に不便をしいたというのに喜ぶなんて、弟子失格かもしれない。
「わがままを許していただき、ありがとうございました。両親にはもう家に戻るつもりはないことをはっきり告げてきました」
「将来を決めたのか」
「はい。ですから、これからもよろしくお願いします、師匠」
「反対されたんじゃねえか?」
世間一般では、魔術師というのは得体のしれない職種である。魔法都市ゼイムだからこそある程度理解を示されるが、地方にいくほど胡散臭がられ、呪い屋と混同されて排斥される例もある。
「渋い顔をされましたが、最終的には賛成してもらいました」
「ならいいが……。意外だな、真面目そうな親御さんだと思ったんだが」
「私の両親をごらんになったことがあるんですか?」
「当然だろう。子供のおまえを預かってるんだ。俺だって挨拶にいくぐらいの分別は持ち合わせているさ」
もっと反対するだろうと覚悟していた父親が、予想より早く折れた理由がわかった。母親が妙にウキウキしていたのも、弟がニヤニヤ笑っていたのも。
――背中でよかった。
驚いた顔もおもいきりゆるんだ頬も師匠からは見えない。
「師匠、一年前お作りになった薬をおぼえていますか?」
「一年前? いちいちおぼえているわけねえだろう。俺が扱うのは大概が薬だ」
「雨の日の夜、駆け込んできた少年をおぼえていませんか? 熱冷ましの薬をほしがった少年です」
「ああ……そういえば、金がないからといって肉と野菜をおいていった奴がいたな」
一年前、私は死にかけていた。
魔法都市ならではの“病”といってもいい。
生粋のゼイム育ちでありながら不注意だった。市のたつ日は人通りが多い。人ごみで肩がぶつかっただけ、ただそれだけで私は呪いをかけられてしまい、その晩から高熱にうなされて寝こんだ。
両親はなんとかして私を治そうとしたらしいが、普通の薬では治らない。呪いをとくためには馬鹿高い金を払って祈祷を頼むか、高価な薬を調合してもらわねばならない。
魔術師が提示した金額は一介の食堂の主人が用意できるものではなかった。足元を見て高利貸しをすすめる者もいたらしいが、もし借りていたら店をたたむどころか身ぐるみはがれてギャランドゥ(弟に教えてもらった)までむしられていただろう。
両親が手をつくしているころ、街を離れたのが弟だ。
街外れに住む魔術師は変わり者だという噂は以前からあった。一縷の望みにかけ、店の食材をかついで駆け込んだのが師匠の家だった。最初は断っていた師匠もローブにすがりつく弟に根負けし、小瓶一杯の薬を持たせてくれた。
ジャリッと砂がまじる薬を飲み、私の呪いは無事にとけた。……お腹も下したけれど。
元気になってから事情を聞いた私は、自分を救った魔術への興味と、命の恩人に恩返しがしたくて師匠の家に押しかけた。
調合を手伝うようになってはじめて薬の価値を知った。弟が渡した肉と野菜では一滴分にもならない。師匠は本当にお人好しだ。
「師匠、その少年は私の弟だったんです。あのときはありがとうございました。師匠に薬をもらわなかったら私は死んでいました」
考えるように手を止めたあと、耳を赤くした師匠はぶっきらぼうに言った。
「…………ふん。治ったんなら、代金分きっちり働いて返してもらおうか。疲れてなかったら手伝え」
「はい、師匠。――あ、その前に荷物を片づけていいですか? 師匠にもおみやげを買ってきたんです」
「変な気を遣わなくていいぞ」
「お世話になっているお礼です。大きさが合うがわかりませんが、新しい服を買ってきたんです。洗濯してるといってもずっと同じローブじゃ女性にもてませんよ」
「同じ格好のおまえが言うか? 生意気なっ」
「私は全然かまわないどころか、むしろ競争相手が減って嬉しいぐらいですけど。そうだ師匠、まだお嫁さん見つかってませんか?」
「ねえよ! ずっと募集中だっ! なんだルートっ、さっきからごちゃごちゃうるせえ――、なっ……」
苛立った様子でふりかえった師匠は、ポカンとした顔で固まってしまった。
おかしい、だろうか。
母親に見立ててもらった服は身体にぴったりはりつきすぎて気恥ずかしい。人形におよばないけれど、丈の短いスカートは私にとって充分冒険だった。ぶかぶかのローブでは感じることのなかった視線がむき出しの手足に突き刺さる。
「師匠のお嫁さんに、私が立候補していいですか?」
師への憧れ。恩人への感謝。二つでは胸に抱えた想いを言い表せなくなってしまった。
一歩一歩師匠に近づく。
薬草のついた手を取っても師匠は動かない。だらんとした腕は拒絶もしないけれど、握り返してくれることもなくて。
薄い青の瞳は驚きに瞠られたまま、瞬きを忘れてしまったようだ。
お互い立っていたら見えなかっただろう。背の高い師匠が椅子に腰かけているから、その瞳を覗きこむことができた。うつりこんだ私は硬い顔で一心に師匠を見つめている。
緊張してぎゅっと引き結んだ唇。頬がもえるように熱い。
……もしにっこり笑うことができたら、可愛いいと思ってくれますか……?
「大好きです、師匠」
あたたかな重なりは一瞬で終わった。急に脱力した師匠がずるずると椅子からすべり落ちたからだ。
慌てて握った手を引いて止めようとしたけれど、私の体格ではとてもかなわない。一緒に床に座り込むことになった。
「…………びっくりした」
赤い顔の師匠がぽつりとつぶやいた。
「そうですか? とくに隠してはいなかったんですけど」
「……女だってことを?」
「はい。師匠の真似をしたくてローブを着ていただけで、下はいつもスカートでしたよ」
「わかるわけねえだろ! めくって見てたら俺は変態じゃねえかっ!」
気づかれていないだろうな、とは思っていた。
人付き合いが得意でないらしい師匠は私にほとんど干渉しなかった。狭いながらも一室を与えられ、着替えもお風呂も別々、洗濯は弟子の仕事だったから下着でバレることもなかった。
誤解をとかずにいた理由。
最初は自衛もあったけれど、すぐにそんな人じゃないとわかって、好きになってからは言葉と裏腹に女性に免疫がなさそうな師匠の傍にずっといたくて黙っていた。
だから召喚術を見せられたときはあせってしまった。
「師匠がお嫁さんを召喚したときにもし十七歳と限定しなかったら、私が召喚陣に飛びこんでました」
「……おまえ、いくつなんだ?」
「十六です」
うっと喉を詰まらせた師匠が顔をしかめた。
「ルート」
「ルーベットです」
「偽名だったのかよっ」
「愛称です」
「……もうなんでもいい。ルーベット、俺がいくつか知ってるか?」
「二十六歳です」
「なんで知ってるんだ!? ……いや、それもいい。とにかく、大事なことだ、よく考えろ。俺とおまえは十も歳が離れているし、俺は魔術師なんだぞ?」
師匠は真面目でやさしい人だ。
一言断ればすむのに、自分からふったら傷つくと思って、私の方が思い直すようにしむけている。……ますます好きになってしまうから逆効果だけれど。
「一年間よく考えました。両親は結婚に賛成してくれています」
「おまえ、実家に帰ったのは……」
「あと三月すれば十七になります。それじゃいけませんか? あの人形みたいじゃないから、師匠の好みに合いませんか?」
「いいか、人形のことは忘れろ」
すごむ師匠にうなづくことができなかった。
忘れられるはずがない。人形だったから助かった。もし望み通りの人間が現れていたら、師匠は二度と私の手の届かない場所へ去っていただろう。
召喚者に引き取ってもらえなかった恋敵は私の部屋にいる。人形のつぶらな瞳が決心をうながしたのだ。眺めていてもほしいものは手に入らない、と。
「……師匠は私のことが、嫌い、ですか……?」
勇気をふりしぼって問いかける。
一年一緒に過ごして、私は師匠のことが大好きになったけれど、師匠は私のことをどう思っているんだろう?
薄い青の瞳をじいっと見上げると、う~とかあ~と言葉にならない唸り声を上げ、師匠は困り果てた様子で視線をさまよわせた。
「……なんだ、その、おまえのことは嫌いじゃねえ。魔術の方はいまいちだが、よく気がつくし、作るメシも美味いし、いい弟子だと思ってる。……だけどな、いきなりすぎておまえをそういう対象として見れねえんだよ」
それはそうかもしれない、と納得する思考と、師匠のばかっと叫ぶ心がせめぎあう。
持ちあげて落とすなんてひどい。恨みがましく睨めつけると「……すまん」なんて眉尻を下げるから、泣きそうになってしまった。
わかっている。誤解をいいことに騙していたつけだって。
でも、ただの弟子に戻って、師匠がお嫁さんを迎えるのを指をくわえて眺めているなんてできない。この人をあきらめられない。
「師匠。私が女だってわかってもらえたら、考え直してくれますか?」
「……ああ?」
きっと師匠はほどくことを忘れていたんだろう。こっそり堪能していた大きな手を持ち上げる。
訝しげな顔に、にっこりと。
これから叩きつける挑戦状に心臓はドキドキうるさいけれど、可愛く笑えただろうか。
「あの子には負けますけど、私、大きい方なんです」
ぺたりと胸に押し当てた両手が反射的といったふうに動き、実感してもらえたようだ。
慌てて手を引いた師匠は真っ赤になって鼻を押さえ、前かがみで部屋を出ていってしまった。
――師匠は素敵な魔術師だ。私はその幸せな奥さんである。