前置き(夜の始まり)
二十五階立てのマンションから眺めると、煌びやかすぎて眩しく感じた街の光も、まるで宝石が光を反射させた時のような輝きを見せている。
一人の少年が屋上から見える夜の街を眺めていると、一陣の風が吹き荒れた。夜に馴染む黒髪がその風に靡いて揺れる。
髪が落ち着いた頃、少年以外誰もいなかった屋上に男が現れた。その男は、夜には馴染まない白スーツを着ていた。
「シャホール」
白スーツの男は少年をそう呼んでいた。何故その名前なのか――分からないが、少年シャホールにとってはどうでもいいことだ。
白スーツの男はいつものように柔らかな笑みを浮かべていた。
「なんの用だ」
「いつもと同じですよ。仕事を与えに来ました」
男はシャホールに書類を渡した。その書類には一人の少女の写真と個人情報が乗っていた。
「今回は簡単な仕事ですから、あなた一人で行って貰います。たかが少女一人だけですから」
「…珍しいな、お前がそんな言い方をするとは」
男の最後の台詞が少し荒々しかった。シャホールはそのことに気づいた。
この男とは長い付き合いになるが、誰に対しても上品に接している。人を馬鹿にしたような言葉を聞いたのは今回が初めてだった。
男は何食わぬ顔で言った。
「そうですか?別に、その少女を特別注意する要素なんて全然ありますけど」
「………」
男の言葉に少年は眉を顰める。言い方が不愉快だからではない―――この男が言うからには、少女には注意しなければならないからだ。
写真をもう一度見たが、やはり普通の少女だ。一体何に注意しなければならないのだろう。
首を傾げているシャホールを目の端に入れて、男は青年に背を向けた。
「では、私はこれで」
「待っ―――」
シャホールは引き止めようとしたが遅かった。少年が白スーツの男を視界に入れたのは一瞬だけだった。
男は風と共にその場から去ってしまった。
太陽の光ではない光が夜を照らしている。
「井波千代…」
どんな少女なのだろうか――否、例えどんな少女でも少年は仕事をしなければならない。
それが、シャホールら欠陥製品に課せられた使命なのだから。
少年は屋上を後にした。街は相変わらず煌びやかだった。
続く