しおんの花言葉
<木曜日>
「志音! 起きて!」
眠い目を開けると、朝の日差しの中で、青い瞳の女性が、微笑みながら話しかけている。一瞬、何が起こったのか分からず、彼は驚いて身を起こした。そうだった。未来からのミステリアスな来訪者を泊めたんだった……。日曜日の夜からの全てのことが、夢だったのではないかという疑念があった。目を覚ますと、美しい姫も煌びやかな御殿も消え、山中のあばら家だけが残る……そんなおとぎ話の結末を、彼女の笑顔が鮮やかに打ち砕いていた。
「今日もいい天気よ!」
窓の外を眺めて、明るく彼女は言う。昨夜の彼の願いは、どうやら叶ったようであった。
「あなた、車運転できる?」
唐突に彼女は聞いた。
「……ああ、免許は持ってるけど……」
ゆっくりと頭を掻きながら、志音は答えた。
「じゃあ、今からドライブ行きましょ!」
予想もしなかった提案に、彼は思わず立ち上がった。
「ドライブ?!……歌の謎解きは?」
「ドライブしながらでもできるわよ。さあ、早く!」
いや……運転しながら思い出させようというのか?……
立ち尽くす彼の足元にあった毛布を、彼女は強引に引っ張った。よろめく彼に構わず、くるくると適当に巻き取ると、ベッドの上に放り出す。
「待って待って!……朝御飯は?」
「私はもうサプリメントを飲んだからいいわ。志音は途中の……コンビニエンス・ストアで買ったら?」
飛び切りの笑顔で、有無を言わせない彼女が戻って来ていた。志音はため息をついた。もはや彼に選択の余地はないらしい。
「……で、どこに行きたいわけ?」
待ってましたとばかりに彼女は地図を取り出すと、志音の住む街の対岸となる半島を指さした。
「海!」
* * *
レンタカーを借りた二人は、半島へと車を走らせていた。空は晴れ渡り、開け放った窓からの風が心地よい。左手に青く輝く内海を眺めながら、アミカナは言った。
「前も言ったけど、メタクニームがあれほどの質量を転送させた例はない」
風に舞う後れ毛を耳にかける。
「物体を時間転送させるためには、小さな物であっても膨大なエネルギーを必要とするの。あの球体を転送させるためには、それこそ天文学的な数値のエネルギーが要るわ」
そう言って、志音の方に顔を向ける。
「それを実際に転送させたのだから、何かしら明確な勝算があってのことなのよ。だから、犯行声明の歌も流した」
「う~ん……」
彼は唸るしかなかった。宗教的組織が考えることは、得てして非論理的だ。それを、自分達が考えて解明することができるのだろうか?……
「……あのさ、未来からの物体を時間が迂回し切らなかったら、歴史改変は起こらないんだよね?」
志音は、気になっていたことに話題を変えた。
「ええ」
「じゃあ、アトロポスであの球体を吹き飛ばすのが、一番手っ取り早いってこと? まあ、今は陸軍が包囲してるから、簡単には近づけないけど……」
「原理的にはそう」
「それじゃあ、今、歌を解読しようとしているのは?」
そう問われて、アミカナは海の方を見つめた。呟くように話す。
「……任務が成功しなかった時のことも考えないとね。例えあの球体を吹き飛ばせなかったとしても、改変は最小限に抑えないと……」
……任務が失敗した時のことも考えているのか……。彼女の覚悟を知って、彼は思案した。
「援軍を呼ぶことはできないの?」
「援軍?」
驚いて彼を見る。
「ラキシス機関に連絡して、エージェントをもっと送ってもらうとか」
彼女は笑った。
「さすがにそれは無理ね」
そういうと、再び海に視線を戻す。
「ラキシス機関と連絡を取ることはできないわ。少なくとも、こちらから呼びかけることはできない。この世界に転送された瞬間から、私は孤立無援なの。私一人でかたをつけるしかない……」
「……そうなんだ。本当に、たった一人で……」
彼女が物理的に一人なのは明らかだったが、ラキシス機関と何らかのやり取りはあるものだと思っていた。しかし、それもないとすると、彼女の孤独感は想像を絶するものだ。昨夜、繰り返しついていた彼女の苦しそうなため息を思い出した。彼女の選択に、世界の命運がかかっている。彼女は世界を回す者だ。聞こえはいいが、その重圧に、自分なら耐えることはできない。もし、選択が間違っていたら……そう考えると、選択の前から逃げ出したくなる。志音はちらりと彼女を見た。おそらく、年齢は彼とあまり変わらない。しかし、彼女の明るく無邪気な振る舞いは、もしかしたら自分自身を鼓舞するためなのかも知れない。「自分は強い」と暗示をかけなければ、責任に押し潰されてしまうだろうから……。だからこそ、少しでも彼女の力になりたいと思った。
<……お前に力なんてあるのか?……>
不意に、彼の中のもう一人が囁く。
<彼女が、本当にお前を頼りにしていると思ってるのか?……だとしたらおめでたいな>
……うるさい……
<世界を回す者の、たった一人の協力者なら、責任を負わずに名声だけを手に入れることができるしな……>
……うるさい!……
<身の程を弁えた方がいいんじゃないか? お前はこの世界の代表でも何でもない。彼女がたまたまお前に声を掛けただけさ……>
「うるさい!」
思わず声が出た。アミカナが驚いて彼を見る。
「え? 何?」
「あ……いや……ちょっと、また歌のことを思い出しててさ……」
慌てて、何とかそれらしい理由をひねり出すと、彼は大袈裟に左右を見回した。
「ちょっと、次のコンビニに入ろうか?」
* * *
コンビニのレジ前では、三つ繋がったディスプレイで、フライドチキンの名前が騒々しく連呼されている。志音が会計を済ませる間、アミカナは見るともなしにその映像に目をやっていた。
コンビニから駐車場へと向かう途中で、ふとアミカナは聞いた。
「ねえ、志音。志音の名前って、どういう意味?」
「ああ、『こころざし』に『おと』って書くけど、漢字にはあまり意味はなくて、『しおん』っていう音に親の思い入れがあるらしい。僕は、なよっとした感じであんまり好きじゃないけど」
彼女は噴き出した。
「ハッ、さすが令和時代! 考え方が古いわねぇ!」
「……うるさいよ……」
「ごめんごめん……しおん…いい響きよ……」
彼女に宥められて、彼は息をついた。
「僕の母親が、紫苑っていう花が好きでさ。僕は一人っ子なんだけど、なかなか子供ができなくて、ようやく僕が生まれた時に、この喜びを忘れないようにって思って、それで、『しおん』って名前にしたらしい」
「どういうこと?」
彼女は眉を顰める。
「ああ、ごめん。紫苑の花言葉は『あなたを忘れない』だから……」
彼女は目を見開いた。立ち止まると、驚きと戸惑いの瞳で、志音を見つめる。
「……え、何?……」
思いがけない彼女の反応に、彼は困惑した。彼女は何も言わないまま、時が過ぎる。
クラクションが鳴らされて、慌てて二人は道を開けた。
「……そう……なんだ……」
呟きながら、彼女は胸に手を当てていた。
「アミカナは? アミカナには何か意味はあるの?」
彼女の様子を気にしながら志音は尋ねたが、視線を落としたまま、彼女は答えなかった。
「アミカナ?」
「……ああ、ごめんなさい。私の名前ね……」
ようやく現実に引き戻されたような顔の彼女は、一瞬微笑むと遠くを見つめた。
「そうね……『ミカみたいなもの』って意味かな……」
「どういうこと?」
眉を顰める彼の方に向き直ると、彼女は、晴れた日差しにも負けないくらいの笑顔を見せた。
「嘘よ!……本当は、昔々あるところに、アミ・ミカ・カナっていう三姉妹がいて……」
志音は肩をすくめる。
「……それ、絶対違うだろ?」
彼女は、勢いよく彼の腕を取った。はずみで、彼の持った買い物袋がガサガサと揺れる。
「とにかく、ご飯食べたら、□□神社、行こ!」




