揺らぎの中の泡
<日曜日>
『メシア降臨まであと5分』
突如、球体内部からアナウンスが響き渡った。アミカナは顔色を変えた。頭の中に意識を集中し、自身が持っている情報との照合を始める。
「これは……球体が自然消滅するまでの秒読みよ。それをメシア降臨の合図にしている!」
彼女の言葉に、志音は慌てた。
「そんな……メシアは死んだのに!」
「メシア以外は全て自動機械だからね。プログラム通りに動くだけよ」
そう言うと、彼女は体に残った二本の針も引き抜いた。顔をゆがめる。
「メシアが死んでも、時間が球体を迂回すれば、あなたの街は廃墟のままになる。歴史が改変されてしまうわ。その前に、丸ごと叩き潰さないと!」
彼に向かって手を差し出す。
「アトロポスを!」
促されて、彼はアトロポスを彼女に渡した。
アミカナは、みぞおちの辺りにあったボディスーツのジッパープルに手をかけ、そこで志音の顔を見ると、一瞬躊躇した。
「あなたには見せたくなかったけど……」
彼女はそれを一気に引き下げた。白い肌が顕わになる。臍に人差し指を当てると、あり得ないほど差し込む。カチリと機械的な音がして、下腹部の人工皮膚が三方に裂けた。中には、様々なメカニカルな構造が覗いていた。
「私の体は戦闘特化型だから、呼吸も消化も必要ない。だから、空いたスペースに様々な装置を入れられる」
そう言って、彼女は彼を見た。
「志音、手を!」
訳が分からず、彼はたじろいだ。
「隙間があるでしょ。そこに手を入れて!」
そう言われて、改めて見直すと、彼女の腹腔には幅広の僅かな隙間があり、その奥に赤いラインが光っていた。
「あなたの匂いを調べる」
「僕の匂い?!」
「そう。あなたの体は、この球体共々、同じ未来のある時点からやって来た。だから、スキャンすれば、その匂いが分かる!」
彼は目を見開いた。
「分かった! それをそこら中の余剰次元に嗅がせて……」
頷くと、彼女は決意を込めて虚空を睨む。
「……そう、根こそぎ食わせる!」
彼は彼女の下腹部に手を差し入れた。
赤いスキャンラインが、彼の指先から手首へ向かってゆっくりと動いていく。
「……暫く時間がかかるわ。動かないで……」
少しだけ下腹部を突き出すようにして立つ彼女の前で、跪いた彼は手を差し込んだままじっとしていた。
「……何か……変な感じだね……」
気まずさを感じた彼が呟くように言うと、見下ろす彼女も恥ずかしげな笑みを浮かべた。
「……そうね……」
ふと、視線を逸らす。
「一番最初にこうしていれば、あなたがアンドロイドだって分かったんだけど……」
その言葉には若干の後悔の響きがあったが、彼は苦笑した。
「一番最初にこれはヤバいでしょ? 『私のお腹に手を入れて!』……だよ?」
「まあ、そうなんだけどね」
彼女も笑った。
「……ふ~ん……こういうのも『ヤバい』って言うんだ……」
呟くように言うと、彼女の顔からは次第に笑みが消え、険しい顔つきになった。彼を見る。
「……志音、アトロポスを原子崩壊の拡散モードで撃つということは……」
彼は頷いた。
「……分かってる。球体と一緒に、僕も余剰次元に食われるってことだ……」
「……ごめんなさい……」
彼女は、眉根を寄せると目を伏せた。
「謝ることじゃない。それが君の任務だから……」
スキャンの完了を告げる音が鳴った。彼女の中から手を取り出した志音に変わって、自分の手を差し入れたアミカナは、二本のエネルギーチューブを取り出した。一端が腹腔内に固定されたそれらのもう一端を、アトロポスのグリップの底に差し込む。それは、まるで臍の緒のようであった。彼女がアトロポスを起動させると、低い回転音が唸り出す。
しかし、途中でエラー音が響いた。
「ダメだわ、出力が足りない!」
彼女は、拳で針の刺さっていた右胸を二度三度と叩く。火花が飛び散ったが、エラー音は止まらなかった。
「ダメージを受け過ぎた。反応炉の一つがダウンしてる!」
出力不足では、拡散モードは使用できない。収束モードで撃つには、球体は大き過ぎる……。ここまで来て!……。アミカナの心には絶望の波が押し寄せた。
「僕の体をどうにかできないの?」
志音の言葉にハッとして、彼女は彼を見た。
「調べてみる! ちょっと横になって!」
仰向けになった彼の服を荒々しくはだける。
「私のような仕組みにはなっていないから……お腹、ちょっと裂くね。痛いかもよ」
彼女は、彼の人工皮膚を力任せに引き裂いて、フレームを露出させた。彼は顔をしかめた。
「……結構痛い……」
そういうと笑う。
「機械なのに痛いって……変だね……」
彼の体の内部構造を調べながら、彼女は微笑んだ。
「よくできてるでしょう?……知ってる? 私達の体、日本製よ……」
「なるほど……道理でこだわりが違うわけだ……」
ふと、彼は考え込む。
「……ねえ、セックスもできるのかな?」
「さあ? 試したかったね!」
手を止めずに、笑いながら彼女は答えた。
「型は違うけど……行けるかも!……」
彼女は、自分の体の中から出ているチューブの一本を外し、彼の体の中に差し込んだ。二人は、アトロポスを中心にチューブで繋がれた形になった。エラー音は止まった。
「これで、足りない分は何とか補える!」
『メシア降臨まであと1分』
機械的なアナウンスが響く。
二人は支え合いながら立ち上がると並び立った。
アミカナは、球体の上空に向かってアトロポスを構えた。二人の体からエネルギーが充填されて、回転音が上がっていく。
「さっき、どうして、って君は叫んだけど……」
不意に彼が言った。
「僕がアンドロイドになったから、こうして君にエネルギーを分け与えることができた。だから、これがベストさ……」
そういうと微笑む。
「……最後に、君の力になれてよかった……」
彼は呟いた。彼女は悲しげに目を伏せた。
「……いいえ……あなたはいつも……私の力になってくれていたわ……」
「……どうかな?……でも、だとしたら嬉しいよ……」
微かに震える彼女の右手を、彼の左手が支えた。
「大丈夫。君ならやれる。……それに、消え去るのは君だけじゃない。僕は先に行くけど、きっと向こうで会えるさ……」
「……志音……」
彼女は泣き出すように顔を歪め、歯を食いしばった。アトロポスは臨界に達していた。アミカナは引き金を引いた。
二人の頭上で、花火のように巨大な緑色の光が炸裂した。四方八方に飛び散った光の粒子は、枝垂れ柳のようにキラキラと瞬きながらゆっくりと落ちていき、やがて、それに呼応するかのように、地面全体が緑色に輝き出した。半壊した球体、蜘蛛達の残骸、そして志音の体も緑色の光に包まれていく。最期の瞬間、彼は彼女の耳元で囁いた。
「……じゃあ、また……」
* * *
気が付くと、彼女はとある公園に立ち尽くしていた。深夜の公園に人影はなかった。風が強めに拭いて、木々や草原を揺らしている。恐らく、雨が近い。ハッとして彼女は辺りを見渡した。さっきまでの球体と瓦礫の山はなかった。七日前と同じように、街には人々の生活の光が溢れていた。いや、七日間の出来事は全てなかったことになり、世界は七日前に戻っていた。
ふと、右手のアトロポスを見る。グリップの底から出たチューブの一本は、エネルギーの供給元を失って、だらりと垂れ下がっていた。二本とも引き抜くと、足元に落とす。
腹腔から10センチ四方の金属片を取り出した彼女は、臍に指を差して、下腹部の裂け目を閉じた。
……やったわ。ありがとう、志音……
『自然消滅まであと10分』
耳の中で、警告が鳴る。今度は、彼女が時間の流れに晒される番だった。
しかし、彼女には最後の仕事が残っていた。ラキシス機関への報告である。報告といっても、それが機関に届く可能性は極めて低かった。転送された世界で入手した材料で報告書を作り、それを地面に埋める。彼女が自然消滅しても報告書は地中に残り、後は、それが数百年後に無事ラキシス機関に届くことを祈るだけだった。
金属片は、志音の家にいる間に、彼女がネットショッピングで手に入れたチタン製だった。その表面には、クロートー文字と呼ばれるものがびっしりと彫り込まれていた。ラキシス機関が開発した文字で、ラキシス機関のみが解読可能であった。どこかで何かしらが発掘された際に、それがクロートー文字であれば、ラキシス機関が回収に動くという段取りであった。
彼女は、アトロポスの弾丸で開けた深い穴に報告書を入れてしっかり土を被せると、地面にへたり込んだ。関節が軋み、体中のあちこちが機能不全を起こしていた。
やがて、雨が降り出す。彼女は天を仰いだ。激しくなる雨脚が、彼女の額や頬に容赦なく打ち付ける。それはまるで、これまで溜まっていた涙を全て流し出せたかのようであった。絶え間なく肌を伝う雨の流れに合わせて、心がゆっくりと弛緩していくような気がした。浸水の警報音が頭の中に響く中、彼女は雨に打たれるのに任せていた。
『自然消滅まであと1分』
その時だった。
「……あの……」
背後から忘れられない声が響いた。彼女は目を大きく見開き、ゆっくりと振り返った。
そこには、傘をさした志音がいた。スローンに導かれて、公園へと足を運んだ志音。球体に捕らえられる前の志音。彼女に出会う前の志音。
「大丈夫ですか……」
深夜の公園で、雨の中、傘もささずに天を仰ぎ、一人地面に座り込んでいる女性に、おずおずと声をかける。それは、まだ夢が叶わないことに捕らわれている志音。まだ、逞しくなれていない志音。彼女に「アミ」と呼びかけることのない志音。
「……私は大丈夫……」
そういうと、彼女はゆっくりと立ち上がった。胸が詰まり、目頭が熱くなった――いや、泣く機能がないのだ、それは彼女の幻覚だった。……幻覚か……それを言うなら、何もかもがそうね……
……志音……
そう呼びかけようとして、彼女はやめた。
「少年!」
快活な声を上げる。
「ウジウジ悩んでんじゃねぇよ、バ~カ!」
朝日のようににっこりと笑った彼女は、小さく呟いた。
「……頑張ってね……」
その時、秒読みが0をカウントした。足がもつれて倒れ込みながら、彼女は光に包まれた。偽時間の揺らぎの中に生まれた泡は、静かに消え去っていった……
* * *
見も知らぬ女性が倒れ込みそうになって、思わず傘を放り出し、駆け寄ろうとした志音は、その人が眩い光に包まれて消えるのを見た。さっきのリングと全く一緒だった。
……一体、何だったんだろう……
全く説明のつかない出来事だったが、恐怖はなかった。幻ではない。確かに、雨音の中で彼女は言った。「頑張ってね」と……。その流麗な声が耳に残る。それ以上のことは、何も起きなかった。跳躍を期待してやってきた彼だったが、残ったのは、ずぶ濡れの衣服と、喪失感だけだった。
……喪失感?……
そう、何故かは分からない。しかし、胸の底からこみ上げるような喪失感があった。何か、絶対に失くしてはいけない大切なものを、自らの不注意で粉々に砕いてしまった……そんな感じだった。急激な苦しさに、たまらず彼は膝をついた。歯を食いしばる。雨に濡れながら、訳もなく、彼は涙を流した……。




