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二人きりの反撃

挿絵(By みてみん)


「おい! そこで何をしてる?!」

 漁船に乗り込もうとした時、背後で旅館の主人の怒鳴り声が響いた。驚いて二人は固まった。

 ……まずい!……船はどうしても必要なのに!……

 志音が必死に考えを巡らせた時、アミカナは主人の下へと駆け寄った。

「ごめんなさい! 私は止めようって言ったんだけど、彼がどうしても漁船を操縦してみたいって言って……本当にごめんなさい!」

 どう収拾をつけるつもりか、彼女は彼の犯罪行為に対する謝罪を繰り返した。主人は、急に流暢に日本語を話すようになった留学生に戸惑っているようだった。不意に、彼女は主人に吐息を吹きかける。主人はその場にくずおれた。彼の沈黙を確認すると、スキップするように、彼女は戻って来た。

「何をしたんだ?!」

「別に何も。おじさんが私にメロメロになっただけ」

「何か吹きかけたんだろ?」

 そう言って、彼は何日か前の彼女の甘い吐息を思い出した。

「……そう言えば、あの時も!」

「静かに! また人が来るわよ」

 彼の大声を咎めると、勝ち誇ったように微笑む。

「魅惑の吐息は美女の特権よ。惑わされる男の方が甘いのよ」

 そういうと、彼女は志音の背中を叩いた。

「ここからはあなたの出番よ! 期待してるからね」


* * *


 軍に見つかる可能性を少しでも小さくするため、漁船は明かりをつけることなく、内海を進んでいた。全く光の無くなった志音の街を目指すのは至難の業かと思われたが、アミカナは判別できるというので、志音は彼女の指示に従って舵を取っていた。

「少しずれた。もう少し右ね……」

 彼の肩口で、背後に立った彼女が言う。初めは、舳先を目標に正確に向けるためにやっているのかと思ったが、それなら彼の腰に両手を回す必要はないはずだ。胸も背中に押し付けられている。

「あの……ちょっと近すぎない?……」

 遂に彼は聞いたが、彼女は黙っていた。

「アミ?」

「……しょうがないじゃない……」

「何が?」

「怖いの!」

 ぶっきらぼうに彼女が言う。

「……右も左も……足の底も、全部水なのよ……」

「まあ、そうだけど。船の上じゃん」

「船の上でも、怖いものは怖いの! この船、小さ過ぎるし……」

 そういうと、一層強く彼女は彼にしがみついた。

「ほら、今度は右に行き過ぎ。左に戻して!」

「いや、すごく舵が取りにくいんですけど……」

 大きく舵を切ったおかげで船が揺れて、彼女は「ひゃあ!」と声を出した。お互いの頬が触れる。

「……いい? 志音。もし万が一転覆するようなことがあれば、あんたを殺すからね!」

 震える声で彼女が恫喝する。彼は笑った。

「その前に、二人とも死ぬよ」

 やがて、月明かりの下、海際に立つ博物館――の廃墟が、志音の目にも見えてきた。


* * *


 コンクリートの打ちっぱなしが特徴だった博物館は、無惨な姿を晒していた。壁はそこかしこで崩れ、千切れた鉄筋の束の間から展示室の一部が覗いている。辺りは死の静寂に包まれていた。その中に二人は足を踏み入れた。

「何本かは使えそうだわ……」

 大量のガラスの破片の中から、彼女は日本刀を掘り出していた。

「これをどうやって装着するか……」

 一瞬思案した彼女は、シャツを脱ごうと両腕を腰に回して、そこで志音と目が合った。彼女がいつも肌着代わりにボディスーツを着ていることは知っていたので、彼は特に気にしなかったが、彼女はじっと彼を見つめた。そして、すがるような表情を作る。彼はその意味に気付いた。試着室でのシーンだ。

「「決して覗かないで下さいね」」

 芝居がかったように、二人同時にそう言うと、笑い合う。それを合図に、彼は彼女へ背を向けた。

 暫く、シャツやジーパンを引き裂いて紐状にしているであろう音を聞きながら、彼は瓦礫の中に埋もれてしまった赤い甲冑を眺めていた。

「用意できたわ」

 声をかけられて、彼は彼女を見た。久しぶりに見る黒いボディスーツの彼女は、腰の両脇に一本ずつ刀を携え、両肩の後ろからも一本ずつ柄が覗いている。そして、手には既に剥き出しの太刀が握られていた。月明かりに照らされた刃物の冷たい輝きに、彼は思わず後ずさった。彼女は太刀を掲げて刀身を眺める。

「これ、一番古いヤツよ。鎌倉時代のだったかな? 刃文が綺麗……」

「……いや……凄いけど、重くないの?……」

「大丈夫!」

 そう言って彼女は太刀を構えた。まるで何も身に付けていないかのように、ぶれることのないしなやかな動きだった。

「それより、志音は甲冑を付けなくていいの? 前から着たかったんでしょ?」

 構えを解いた彼女は、そう言うといたずらっぽく微笑んだ。

「そんなの付けたら、余計足手まといになるよ……」

 ため息をついた彼は、少しだけ口を尖らせた。

「それもそうね」

 笑いながら、彼女は歩き出す。確かにその通りだったが、彼の自尊心は少し傷付いた。そう、彼女は戦士だ。自分は、少しだけ役に立つ……例えるなら、戦士の肩に乗る子猿のようなものだ。子猿なら、危機を前に戦士の懐に隠れることもできるが、自分はそれすらもできない……。

 不意に振り返ると、真剣な青いまなざしで、彼女は彼を見た。

「大丈夫。あなたのことは、私が守るから」

 その時だった。

 何かが近づいてくる物音がした。瓦礫が乱雑に踏み付けられている。彼女は太刀を左手に持ち替えると、右手にアトロポスを握った。暗闇の中に小さな赤い光がいくつも揺らめく。

「……近接戦闘用か……」

 彼女が呟く。

 やがて現れたそれは、奇怪な蜘蛛のような形をした機械だった。大型犬と同じ位のサイズの黒い胴体に、三つセットになった赤い眼が、中央と左右の三か所で光っている。スローンの目の数と同じであった。八本の長い脚の先は鋭く尖っており、それらを巧みに動かして歩き回っている。明らかに陸軍の兵器ではない。

「……悪趣味ね……」

 呟く彼女の後ろで、志音は腰を抜かしていた。

 彼女は、蜘蛛が何も撃ってこないことを確認すると、ゆっくりとアトロポスを腰に戻した。両手で太刀を構える。彼女の動きに合わせて、三角を形作る眼がそれぞれ回転した。蜘蛛が飛び掛かる前に、砂煙を上げて、彼女は大きく踏み込んでいた。凄まじい金属音がして、脚が飛び散る。片側の足を全て失って、蜘蛛は激しく地面に転がった。火花を散らしながら、瓦礫の中でバタバタと暴れる。とどめを刺そうと近づくアミカナを見て、急に志音は叫んだ。

「気を付けて! そいつは針を飛ばす!」

 ハッとした彼女は身をかわした。彼女の動きを追いかけるロングヘアの中を長大な針が突き抜けたのはその直後だった。それは、蜘蛛の口と思われる部分から射出されていた。彼女はすぐさま駆け寄ると、蜘蛛の頭部に太刀を深々と突き立てた。一際大きな火花を散らして、九つの目は光を失った。

「志音! 大丈夫?」

 息をつくと、彼女は座り込んだままの彼に声をかける。志音は体の震えが止まらなかった。彼の下へと歩み寄った彼女は、優しく彼の肩に手をかける。

「……蜘蛛、苦手だった?……」

 微笑む彼女を見て、彼はただ首を横に振った。

「そう……。でも、どうして分かったの? 針のこと」

 そう言われて、彼は虚空を見つめる。……一体、どういうことだ……

 彼の様子に眉を顰める彼女に、彼は言葉を絞り出した。

「……知ってる……」

「何?」

「……僕は、あの蜘蛛を知っている……」

「……どういうこと? あれを見るのは、私達初めてのはずよ」

「分からない! でも、知ってるんだ!」

 ……何だ……どこで見たんだ……あの球体の出現で、僕は飛ばされて、その時歌を聞いた。そして……どうなった?……まだ続きがあるのか?!……三つセットの赤い光が、グルグルと回る……これは、何の記憶だ?!

 頭を抱えた志音は、急に立ち上がり、夢遊病患者のように暗闇の方と歩き出す。彼の様子の急変に戸惑うアミカナは、跪いたまま、その背中を目で追っていた。

 その時、彼の行く先に、新たな九つの赤い目が光った。ハッとして、アミカナは彼の後を追う。動く目標を探知して、鋼の蜘蛛から、50センチはあろうかという針が、立て続けに発射された。志音をかばうように飛び込みながら、アミカナは太刀を投げつけた。直撃を受けた蜘蛛は、倒れ込んだ二人を前に、完全に沈黙した。

「……志音、大丈夫?……」

 彼の上に覆いかぶさった彼女が尋ねる。

「……ああ、大丈夫……」

 我に返った彼が何とか答えると、彼女はゆっくりと起き上がり、そのまま近くの壁へと寄りかかった。

 続いて身を起こした彼が目にしたのは、彼女の左肩を刺し貫く太い針であった。志音は血の気が引いた。

「アミ?!」

 彼女は苦しそうに顔をゆがめている。

「……私は大丈夫……」

 そう言うと、彼女は針を掴んで一気に引き抜いた。鮮血が飛び散ることを予想し、傷口を押さえようとした志音だったが、金属同士が擦れるような不快な音の後に彼が目にしたのは、紫色の小さな火花だった。彼女の傷口からは、銀色のメカニカルな構造が覗いていた。それが、彼女の息遣いに合わせて微妙な動作を繰り返している。志音は思わず後ずさった。

「どういうことだ……これは一体……」

 彼女は傷口を押さえながら、取り乱す志音を見ると、観念したかのようにひときわゆっくりと息をついた。

「……言ったでしょ。時間転送では、生物を生きたまま過去に送ることはできないの……」

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