表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『境界線の夜明け』  作者: キロヒカ.オツマ―


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/43

最終章 βの残響



令和十二年、名古屋。

あれから五年の歳月が流れていた。

街は再開発が進み、高層マンションが立ち並ぶ一方で、古い団地はゆっくりと取り壊されていった。

人々の生活は便利になり、行政システムはより自動化された。

しかし、その根底に流れる“管理”の思想は、形を変えて残っている。


新しく導入された社会福祉ネットワークシステム「CARE-NET」。

その設計書の脚注に、見慣れない英数字があった。


β.NAO-01(旧試験ログ参照)


それは、誰かが意図的に残した“署名”のようなものだった。

直人の行動は歴史から消されたはずなのに、データの奥底でその名は生き続けていた。


1. 山崎の記憶


山崎亜紀は現在、大学で非常勤講師として福祉行政を教えていた。

講義のテーマは「情報福祉と倫理」。

学生たちは若く、デジタル福祉を当然のように受け入れている。

だが、彼女は授業の最後に、必ずこう問いかける。


「システムが人を支えるとき、

その人の“痛み”はどこに記録されると思う?」


教室は静まり返る。

誰もすぐには答えられない。

それでいいのだ、と彼女は思う。

考え続けること、それこそが「記録の継承」なのだから。


講義が終わると、彼女は職員室でパソコンを開き、古いメールを確認する。

送信元は表示されない。

ただ一行だけ、英数字が並んでいた。


NAO-01:稼働中。


彼女は微笑んだ。

「あなた、本当にしぶといわね」と独りごちる。

その言葉に返すように、風が窓を揺らした。


2. 沙耶の歩み


三浦沙耶は、市内の就労支援センターの所長になっていた。

支援の現場は相変わらず混乱と矛盾の連続だ。

福祉と経済、現実と理想の板挟み。

だが、彼女は折れなかった。

直人がかつて残した日記の一節をコピーし、デスクの内側に貼っている。


「弱さは罪じゃない。

それを理解しようとすることが、社会の始まりなんだ。」


利用者の青年がうまく職場に馴染めず、苛立ちを見せた。

沙耶は静かに向き合い、ただ一言、言った。


「あなたの苦しさは、誰かの責任じゃない。

でも、それを知ろうとする人は、必ずいる。」


青年は泣いた。

その涙を見て、沙耶は思う。

――直人が見たかった“現実の優しさ”は、確かに今も残っている。


3. 秋吉の記録


秋吉大地は、全国を巡る講演を続けていた。

テーマは「報道倫理と人間の尊厳」。

派手なスクープではなく、地味で、誰も見ないような一次情報を掘り続ける。

講演の最後に、彼は必ずこの言葉で締める。


「匿名のまま死んだ人が、社会を変えることはある。

それを伝えるのが、記者の仕事だと思っています。」


聴衆の中には涙ぐむ人もいる。

講演が終わると、彼は小さなUSBを握りしめる。

そこには、直人の声をもとに再構成された記録音声が入っている。

公開することはない。

だが、それを手放さないことが、彼の“祈り”だった。


4. 名古屋の片隅で


夕暮れ時、名古屋の公園。

老朽化したベンチに、一人の少年が座っている。

母親を亡くし、施設を転々としている少年だ。

彼はリサイクルショップで拾った古いノートを膝に広げ、何かを書いている。


ノートの表紙には薄く刻まれていた。


「Naoto’s Diary」


偶然手に入れた古びた手帳。

そこには、断片的な言葉が残っていた。


「俺は、生きたかった。

誰かのためじゃなく、自分のために。」


少年はその文字をゆっくりとなぞりながら、小さく呟いた。

「……生きる、か。」


その瞬間、風が吹いた。

落ち葉が宙を舞い、街の音に混ざって消えていく。

それは、β計画の残響――

だがもう、恐怖の響きではない。

“誰かの選択が、確かに誰かを動かす”という、小さな証の音だった。


終わりに


記録は消えても、影響は消えない。

制度は形を変え、人々は忘れ、時代は進む。

だが、名もなき一人の行動が、社会のどこかに微かな“倫理”を植え付ける。

それが現実であり、人間の可能性だ。


直人はもういない。

けれど、彼が選んだ「真実に向き合う」という生き方だけは、

確かに、この世界のどこかで続いている。


「記録とは、生きていた証。

そして、生き続けるための約束だ。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ