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『境界線の夜明け』  作者: キロヒカ.オツマ―


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第42章 記録の帰結



名古屋地方裁判所。

初夏の陽光が白い庁舎の外壁を照らしていた。

報道陣の数は少なく、玄関前に並んだカメラマンの多くは新米だった。

「β計画」関連の裁判は、すでに世間の大きな話題ではなくなっていた。


だが、この日の審理には一つの意味があった。

――「直人・仮名」として記された亡き被験者の行動が、法のもとでどう評価されるか。

原告は市民団体「βプロジェクト被害者の会」。

被告は国と名古屋市。

焦点は、個人の同意なく行われたデータ実験の違法性と、国家責任の所在だった。


証人として呼ばれたのは山崎亜紀。

彼女は市役所職員の立場を辞しており、現在は小さなNPOの理事として活動している。

証言台に立つと、静かに深呼吸をして言葉を選んだ。


「彼は、自分が何者かを知るために行動しました。

システムを止めたのは、破壊ではなく、検証のためです。

人間を“管理データ”として扱う仕組みを見直すきっかけを作ったのは、彼の勇気でした。」


法廷は静まり返った。

裁判官の表情は読めない。

だが、その場にいた誰もが、彼女の声の震えの中に“事実”を感じていた。


1. 行政の再編


裁判の最終弁論が行われるころ、厚労省は静かに組織再編を進めていた。

「障害者行動データ管理局」は解体され、業務は複数の独立機関に分割。

監視体制の透明化と、第三者委員会による監査が制度として導入された。

しかし、そこに直人の名は一切残っていない。


山崎はそれを知っていた。

彼の記録は機密扱いのまま封印され、実在を証明する公的文書も存在しない。

ただ、β計画のデータベースのどこかに、“削除不能な識別タグ”が今も残っているという噂だけがあった。

技術者の間では、それを**「NAO-01」**と呼んでいる。


2. メディアの影


秋吉大地は独立系ニュースサイトを立ち上げた。

彼の記事のタイトルは地味だ。

「福祉情報システム運用と法的責任」

だがその中には、行政文書に存在しない証言と匿名の手記が記されていた。

——「ある被験者の記録」

——「市役所職員の葛藤」

——「実験データを止めた者の足跡」


それらの記事は引用も拡散もされない。

コメント欄はほぼ空白。

けれど読んだ者の一部には、確実に“何か”が残った。

大地はわかっていた。

正義とは、喝采ではなく、記憶として生き残ることだと。


3. 沙耶の現在


三浦沙耶は今、福祉現場で働いている。

発達障害の若者たちの生活支援。

書類の山と格闘しながら、彼女はふと直人のことを思い出す。

かつて彼が書き残した日記の一節を、いつもノートの最後に書き写している。


「俺たちは社会の“端”じゃない。社会の“形”そのものなんだ。」


その言葉が、彼女の働く意味になっている。

支援の現場では日々トラブルが起こる。

書類ミス、予算の不足、行政の冷たさ。

だが、それでも彼女は現場を離れない。

直人が命をかけて示した「現実」は、単なる悲劇ではなく、問いの遺産として残っているからだ。


4. 山崎の決意


裁判が終わった夜。

山崎は名古屋駅近くの屋上駐車場に立っていた。

遠くに高層ビル群、夜風が髪を揺らす。

彼女はスマートフォンを取り出し、ひとつの匿名サーバーにアクセスした。

そこに直人の残した最後の暗号ファイルが保管されている。

タイトルは「記録:β」。


アクセスコードを入力すると、画面に文字が浮かんだ。


「見ている人へ。

俺たちの生きた証は、数字じゃない。

記録とは、誰かに残る“視線”のことだ。」


彼女は静かに目を閉じ、ファイルをそのまま開かずに削除した。

そして、自分の胸の内でつぶやく。


「もう、十分よ。あの人はもう“数字”じゃない。」


彼女は空を見上げた。

夜空には、街の光にかき消されながらも、わずかな星が瞬いていた。

その一つ一つが、確かにそこに存在している――まるで、彼のように。


5. 終わりと始まり


β計画は歴史の片隅に追いやられた。

しかし、完全に消えたわけではない。

国の公式記録にも、学術論文にも残らない“無名の抵抗”として、

直人の行動は、人知れず次の世代の倫理指針やシステム設計の根底に影響を与え続けている。


それは、彼が望んだ「一発逆転」ではなかった。

だが、彼の生は確かに“社会を変えた”。

見た目も、経歴も、地位もなく、49歳まで誰にも愛されず、虐げられてきた男の選択が、

制度のひずみを一つ正すきっかけになったのだ。


誰も彼を称えない。

けれど、彼の名もなき抵抗が、世界のどこかで誰かを救う。

それが現実というものだ。


終章への序文


数年後、名古屋市博物館で行われた小さな特別展。

テーマは「無名の市民の記録」。

その展示の片隅に、一冊の手帳がガラスケースに収められていた。

タイトルも、作者の名も記されていない。

ただ、ページの隅に小さくこう書かれていた。


「直人、記録、名古屋。」


展示の説明文には、こうあった。

——“匿名の市民によって残された記録。

社会制度と個人の尊厳の交差点に立った、名もなき抵抗の記録である。”

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