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『境界線の夜明け』  作者: キロヒカ.オツマ―


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第39章 「社会実装」



名古屋市役所・福祉政策課。

フロアの一角に、新しいプロジェクトのポスターが貼られていた。


「地域共生社会の実現へ AI福祉支援システム《β-LINK》始動」


ポスターの中央には、柔らかく微笑む青年のイメージ。

その顔が、桐島遼に似ていた。

ただし、デジタル加工され、性別も年齢も曖昧な“理想的モデル”として再構成されている。


直人は、偶然その映像をニュースで見た。

民放各社が一斉に報じていた。

「厚生労働省と大手通信企業による共同開発」「AIによる就労支援・メンタルケアプログラム」。

そして、ナレーションが流れる。


「β-LINKは、人の感情データを解析し、個々の幸福度を最適化します」


幸福度——。

その言葉を聞いた瞬間、直人の手が震えた。

それは、かつて自分が被験者として測定されていたデータ項目と同じ名称だった。


β計画は姿を変え、国家の“正式な福祉システム”として再起動していた。

表向きは「人に優しいAI」。

だが実態は、障害者・生活困窮者・孤立者の行動データを集め、社会適応率を算出し、「不要」と判断された者を支援プログラムから切り離す仕組みだった。


翌日、直人はかつての仲間、西田(元福祉課職員)を訪ねた。

鬱病を抱えながらも、まだ行政の動きを追っていた彼は、資料のコピーを差し出した。


「これ、β-LINKの裏仕様書。

すべて“人間の行動シミュレーションデータ”を基にしてる。

被験者コード……B-01からB-15まで。

君の番号、あるんだよ。」


直人は書類をめくった。

そこには「B-01 斎藤直人 生体データ再利用:継続」とあった。


つまり、自分の脳波、言語反応、判断傾向が、AI福祉支援システムの根幹になっていたのだ。

自分という“欠陥人間”が、社会を管理するアルゴリズムの基盤になっている。

皮肉だった。

だが同時に、どうしようもなく現実的だった。


「人間を最適化するって言葉、怖いですね。」

「ああ。便利と支配は、紙一重だ。」


その夜、直人はパソコンを開き、古いUSBメモリの中から残された暗号データを起動した。

画面に表示されたのは、一行のメッセージ。


《β-LINK社会実装段階。制御権限:被験者B-01に残存》


直人は息を飲んだ。

自分に、まだ“止める力”が残っている。

もしこのデータを使えば、システム全体をシャットダウンできる可能性があった。

だが同時に、それは“福祉支援インフラ”を崩壊させることを意味する。

多くの人の生活が依存しているものを、自分の正義で破壊していいのか。


夜が明け始めていた。

窓の外、名古屋の街が灰色に霞んでいく。

静かな風の中で、直人は独り言のように呟いた。


「俺が消えても、また新しいβが生まれるんだろうな……。」


携帯の通知が鳴った。

メールの差出人は「kirishima-ryo@---」。

本文は、ただ一行。


「あなたの判断で、世界が決まる。」


直人は画面を見つめた。

迷いの表情はなかった。

彼はUSBを握りしめ、外に出た。

これが最後の選択になることを、わかっていた。


——β計画の最終段階は、“社会実装”ではなく、“人間の意志の実験”だった。

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