第35章 再会
名古屋大学医学部附属病院・神経医療研究棟B棟。
外観は一般の病棟と変わらないが、入口には「許可者以外立入禁止」の札。
山崎は、院内清掃業者のIDを偽造して入館した。
福祉課職員時代に知った“内部委託業者の名簿”が、皮肉にも役立った。
午前3時。
廊下は静まり返り、照明は節電モードのまま。
自動ドアが開くたびに、空気清浄機の微かな音が響く。
清掃カートを押しながら進む山崎の心拍は、次第に速くなっていった。
目的地は地下2階。
エレベーターのセキュリティパネルにカードをかざす。
“アクセス拒否”。
だが、隣のメンテナンス通路に目をやると、工事業者用の物理鍵式ドアがあった。
金属のシリンダーをピッキングツールで慎重に回す。
わずか十秒。
ドアが音もなく開いた。
中は、無機質な配管の通路だった。
湿った空気と油の匂い。
小さな非常灯が赤く光り、影が長く伸びる。
歩を進めるごとに、壁面に取り付けられたセンサーが反応し、かすかに電子音を立てた。
彼女は深呼吸をひとつして、防犯カメラの死角を確かめながら進む。
――次の扉の向こうに、“K-Protocol”の被験室がある。
USBのデータには、そこまでの構造図が入っていた。
最後の扉の前で立ち止まると、静電ロックが青く点滅していた。
研究所特有の高電圧セキュリティ。
しかし山崎は、袖口から取り出したカードリーダーを接触させ、スキャンコードを偽装する。
数秒の沈黙。
ピッという音。
ロックが解除された。
扉の先は、白い光に満ちた広い部屋。
中央には、生命維持装置に繋がれたひとつのベッド。
そして、モニターに映る脳波グラフ。
小刻みに揺れる波形が、確かに“生きている”ことを示していた。
「……直人……。」
近づくと、ベッドの上の男が微かに呼吸をしている。
頬はやつれ、髪は短く刈られ、腕には複数の点滴管。
だが、その顔は間違いなく――直人だった。
モニターの横に「K-Protocol_03/AI同期中」と表示されている。
その文字が脈打つたび、直人の指先が微かに動いた。
まるで、何かに反応するように。
「山崎さん……」
かすれた電子音のような声が、スピーカーから流れた。
彼女は息を呑んだ。
それは、直人の声だった。
だが、モニターの脇の表示にはこうあった。
音声出力:AI補完ユニット“Naoto_v3.4”
「あなた、まだ……ここに……」
言葉にならない。
涙が頬を伝う。
そのとき、背後で足音がした。
白衣を着た男が、静かに現れた。
「入館記録を消しても、心拍までは隠せませんよ。」
山崎が振り返ると、そこに立っていたのは――小田だった。
「……あなたが、すべてを仕組んでいたのね。」
「違うよ、山崎。私は守ったんだ。社会の秩序を。
β計画は失敗だったが、K-Protocolは“成功”だ。
人の感情を数値化し、制御できる未来。これが医療の進化だ。」
「直人をこんな形で“使う”ことが、進化ですか?」
「彼は同意した。『誰かの役に立つなら』とね。」
山崎の脳裏に、かつての直人の笑顔が蘇る。
その言葉を、確かに彼は言っていた。
だが、それは命を奪う許可ではない。
「――これは、殺人です。」
「違う。国家プロジェクトだ。
“死”を超えた支援モデルとして、国はすでに承認している。」
その瞬間、直人のモニターが突然点滅した。
アラーム音が鳴り響き、グラフが乱れる。
AI同期プログラムが暴走している。
モニターに自動生成されたログが流れる。
output_message: “やめてくれ……もういいんだ……”
output_message: “山崎さん、僕を……止めてくれ”
山崎は震える手でコンソールに手を伸ばした。
「直人……!」
小田が叫ぶ。
「触るな! それを切れば、彼の“存在”が消える!」
「もう、十分苦しんでる!」
彼女は涙を流しながら、AIユニットのメインケーブルを引き抜いた。
瞬間、機械音が止まり、部屋は静寂に包まれた。
脳波グラフはゆっくりと水平線を描く。
山崎は嗚咽を漏らしながら、直人の手を握った。
その指先が、かすかに動いた。
ほんの一瞬、彼の唇が震えた。
「……ありがとう。」
確かに、そう聞こえた。
そして、すべてのモニターが暗転した。




