第34章 K-Protocol(ケイ・プロトコル)
山崎がそのデータを初めて開いたのは、午前3時過ぎだった。
薄暗いワンルームの蛍光灯の下、彼女はUSBをノートPCに差し込み、慎重に暗号を解除していった。
ディレクトリには、複数のフォルダが並んでいる。
《β_Plan》《Test_Log》《K-Protocol》《Medical_AI_Integration》。
その中の一つ、「K-Protocol」を開くと、まず現れたのは臨床研究計画書のPDFだった。
研究名:K-Protocol
目的:精神・発達障害者に対する新規AI補助型行動解析装置の試験的運用。
実施主体:医療法人桜井総合医科研究所/厚生労働省地域医療研究推進室/名古屋市福祉局医療連携課
実験対象者:小川直人(ID:β00001)ほか4名
研究期間:令和3年7月〜令和7年3月(予定)
山崎の指が止まった。
――直人の名前が、そこにあった。
しかも、研究期間は“現在進行中”。
死亡したはずの人間が、いまだ「観察継続中」になっている。
続くページには、こう書かれていた。
《対象者の意識状態が臨界点を下回った場合、AIユニットによる自動応答型神経データ補完を実施し、被験者の行動再現性を維持する。》
つまり、“生存”ではなく、“行動データによる擬似的な再現”。
山崎は息を呑んだ。
「直人は……もう人間としての“生”ではなく、データとして“観察”されている……?」
背後で若い記者がノートパソコンに向かいながら言った。
「AI補助型って、たぶん“行動模倣アルゴリズム”のことですよ。
脳波とか感情パターンを機械学習して、人間の“思考反応”を再現する技術。
最近、医療AIの研究で試作されてます。」
「そんなもの、倫理審査を通るわけがない。」
山崎は唇を噛んだ。
しかし、別のフォルダにはその“倫理審査報告書”が存在していた。
しかも、そこには名古屋市福祉局・臨床倫理委員会の正式印が押されていた。
署名欄の一番下に見覚えのある名前がある。
――小田。
彼女の直属の上司だ。
「……全部、仕組まれてたんだ。」
声が震える。
β計画は、単なる医療実験ではなかった。
行政、医療法人、AI企業、大学の共同体制で、**“人間の意思をデータ化して制御する”**という前例のない研究だったのだ。
若い記者がモニターを指さした。
「これ見てください。“Naoto_v3.2”ってフォルダ、更新日時が昨日ですよ。」
「昨日……?」
山崎の背筋が凍った。
直人のデータが、いまだ“動いている”。
中を開くと、そこには無数のログが記録されていた。
《感情出力値:怒り+0.43/恐怖−0.12/信頼+0.31》
《発話応答パターン:対象“山崎”への応答生成中……》
「まさか……直人のAIが、今も私の名前を呼んでる?」
画面の下部に文字列が走った。
[system_log]
output_message: “山崎さん、僕は……まだ、終われないんだ。”
山崎は、立ち尽くした。
震える指で画面を閉じようとしたが、カーソルが動かない。
画面の奥で、まるで誰かが操作しているように、次々と新しいウィンドウが開かれていく。
映し出されたのは、白い無機質な病室。
ベッドの上に、生命維持装置に繋がれた男が横たわっていた。
人工呼吸器、脳波計、光センサー。
その胸が、かすかに上下している。
「……直人。」
彼女の声が震えた。
若い記者がモニターに近づく。
「この映像、どこから来てるんだ? ライブフィードだ。
IP追跡かけます――」
彼の指が止まる。
「……名古屋大学医学部附属病院、神経医療研究棟B棟。
非公開エリアです。」
山崎は、全身の血が逆流するような感覚を覚えた。
β計画、K-Protocol、AI。
そのすべてが、今も“生きている”。
そして直人もまた、“生かされている”。
彼女は決意したように立ち上がった。
「行くわ。私が確かめる。」
「危険ですよ。院内は監視だらけです。」
「いいえ。――今度こそ、終わらせる。」
彼女の瞳には、炎のような光が宿っていた。
雨の夜、直人が言った最後の言葉が蘇る。
《誰かひとりでも、信じてくれたら、それでいい。》
山崎は、その信頼を胸に刻んだまま、静かにドアを閉めた。
外の空気は冷たく、遠くでパトカーのサイレンが響いていた。




