表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『境界線の夜明け』  作者: キロヒカ.オツマ―


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/43

第29章 報告書の中の死



朝の光が、区福祉事務所の小さな窓から差し込んでいた。

前夜、薄い毛布にくるまって眠れぬまま過ごした直人は、職員の呼び声で目を覚ました。

「小川さん、警察の方が少しお話を伺いたいそうです。」


応接室のドアを開けると、警察手帳を下げた中年の刑事が待っていた。

名刺には「愛知県警中村署・生活安全課」と印字されている。

「桐島玲奈さんの件でね。君、最後に会ったのはいつだ?」


直人は数秒、言葉を探した。

「……2週間前。あの夜、研究棟の前で別れたきりです。」

刑事は小さくうなずき、鞄から書類を取り出した。

「これは、警察の検視報告書の概要。君の関係を確認するため、署で正式に話を聞きたい。」


紙の上に打たれた印字は無機質だった。

《桐島玲奈(28) 遺体発見日:令和7年9月14日 場所:名古屋市港区埠頭地区倉庫内 死因:薬物中毒(大量服用による急性中毒)》。

「自殺の可能性が高い」と小さく添えられている。


――息が止まった。

直人の頭の中で、あの夜の声が蘇った。

「直人さん、もし私がいなくなったら……」

あれは冗談じゃなかった。

そして“いなくなった”のではなく、“消された”のだという確信が、胸の奥で膨らんだ。


「……自殺じゃないと思います」

直人は震える声で言った。

刑事は無表情のまま、淡々と答えた。

「気持ちはわかるが、現場に外傷も争った形跡もなかった。服薬量は致死量を超えていたが、指紋は彼女自身のものだ。」

そして書類をしまいながら言った。

「ただし、彼女の勤務していた医療法人の帳簿に、少し妙な点がある。β計画って言葉、知ってるか?」


直人の体が反射的に強張った。

刑事はその反応を逃さなかった。

「やはり、知ってるんだな。」


取調べ室でもない狭い応接間で、二人は数分の沈黙を共有した。

その間、古いエアコンの音だけが響いていた。


刑事は立ち上がり、低い声で言った。

「上の指示で、この件は“個人の自死”として処理される。これ以上の調査はできない。……だが、俺たちも全員が納得してるわけじゃない。気をつけろ。お前、見られてる。」


その言葉を最後に、刑事は去った。

扉の閉まる音が、遠くの世界の出来事のように響いた。


――報告書の中の死。

彼女の人生は、数行の活字と判子で終わりとされた。

そこに血の温度も、声の震えも、残っていない。

ただの数字の羅列に、全てが置き換えられていた。


午後、福祉センターの担当職員が手続きを進めに来た。

「生活保護の再申請、今月中に通ると思います。それまで簡易宿泊所で過ごせますよ。」

職員は穏やかに言った。

だが、直人の心には何も響かなかった。

世の中の仕組みは、こうして淡々と動いていく。

誰かが死のうと、誰かが消えようと、申請と承認と印鑑のリズムは変わらない。


夜、直人はセンターを出た。

名古屋の夜風が、街の埃と排気を混ぜて肌を刺した。

ポケットの中の紙切れを握りしめる。

それは、桐島玲奈の《死亡診断書控》。

病院の署名欄には、β計画に関わる医師・安原の名前があった。


「……やっぱり、繋がってる。」


直人の中で何かが音を立てて崩れた。

そして、代わりに静かな怒りが芽生えた。

誰も彼を信じない。

だからこそ、彼自身が立ち上がるしかなかった。


――玲奈の死の真相を、自分の手で暴く。

その決意が、彼の運命を決定づける一歩となる。


彼は夜の街に消えていった。

再び、誰も知らない場所へ。

そして、β計画の“裏側”を暴く旅が、ここから始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ