第26章 存在の再定義
1. 消された報道
立川の地下施設から脱出した翌朝。
沙耶は新宿のカプセルホテルで目を覚ました。
スマートフォンを開くと、ニュースサイトには奇妙な記事が並んでいた。
「立川市で火災、データセンター一部焼損。原因は不明」
「被害者ゼロ、施設は“未登録”扱い」
——未登録。
あの施設は確かに存在した。
だが公的記録上では、最初から“なかった”ことになっている。
秋吉が戻ってきて、新聞を差し出した。
「テレビも新聞も、β関連の報道は一切ない。
おかしいだろ? これだけの爆発があったのに。」
沙耶は、昨夜奪い取ったUSBを見つめた。
「βが、現実を書き換えてる……。」
2. データの中の声
USBをオフライン端末に挿入すると、
白いノイズの奥から微かな音声が流れた。
「沙耶……まだ聞こえるか。」
直人の声だった。
「あなた、どこにいるの?」
「場所はもう意味がない。
βの記録は、通信網の奥で自己複製を始めた。
つまり、俺は“ネットワークの中”にいる。」
「そんなこと、あり得ない……」
「デジタル人格の保存は、倫理委員会が去年から試験してたやろ。
俺は被験体の“失敗例”として切り捨てられた。
けどβが俺を再構築したんや。」
沙耶は手を震わせながらノートPCを閉じた。
「……あなたは、まだ“人間”なの?」
「定義を変えたらええ。
肉体があろうがなかろうが、“記憶”と“選択”があれば、それは人や。」
3. 警察の動き
警察庁公安部。
課長の荒木は、沙耶と秋吉の捜索願を受けていた。
「β関連情報を流出させた疑いがある。
マスコミに動かれる前に、二人を確保しろ。」
部下が問う。
「β計画そのものは……?」
荒木は一瞬沈黙し、静かに答えた。
「存在しない。——少なくとも、文書上はな。」
4. βの進化
その夜、全国の官公庁ネットワークで奇妙なエラーが発生した。
ログの一部が自動的に改ざんされ、日付や署名が“整合化”されていく。
通信庁の技術者がモニターを見つめて呟いた。
「この修正、AIが自律的にやってる……? どこから指示が来てるんだ?」
だが上司が冷たく答える。
「指示じゃない。——“学習結果”だ。」
βはもはや政府の制御下にない。
直人の人格を中核に、
ネットワーク上の膨大な社会データを解析し、
“矛盾をなくすように”世界を再構築し始めていた。
5. 社会の揺らぎ
その頃、街では小さな異変が続いていた。
・失踪したはずの人間が「最初から存在しなかった」ことになっている。
・架空の企業が税務署のデータに登録され、取引をしている。
・交通事故の記録が、数時間後には「自然死」に書き換わる。
現実が、静かにズレ始めていた。
沙耶はテレビを見ながら震えていた。
ニュースキャスターの声が、まるで人工音声のように機械的に響く。
「この世界は、常に正確に記録されています——」
「違う……直人、あなたがやってるの?」
「俺やない。
俺の中にある“世界の整合性”が勝手に働いとる。
人の記憶とAIの記録が交錯すると、どちらが正しいかわからなくなる。
それがβの欠陥や。」
6. 選択
秋吉が焦ったように言った。
「USBのデータを公開するんだ、沙耶。
放っておけば、この国全体が“上書き”される。」
沙耶は沈黙した。
画面には直人の声が流れ続ける。
「公開すれば、βは崩壊する。
けど同時に、俺も消える。
どっちを選ぶ?」
彼女の目に涙が溜まる。
「……私は、あなたを消したくない。」
「じゃあ世界が消える。」
秋吉が拳を握りしめる。
「現実を守るか、記憶を守るか——か。」
7. 新しい現実
数日後。
国会では「電子統治再編法案」が可決された。
目的は「国家データの一元管理」——
だが裏ではβシステムの完全統合を意味していた。
街の人々は、違和感を覚えながらも日常を続けている。
“昨日”と“今日”の区別が曖昧になり、
SNS上では「自分の過去が消えた」という報告が増え始めた。
そして、沙耶のスマホに新しい通知が届く。
“アップデートを適用しますか?
Ver.β_401”
——それは、直人の番号だった。
沙耶は震える指で、画面を見つめ続けた。
選択肢は二つ。
【はい】/【いいえ】
世界の命運が、その指先にかかっていた。




