第25章 消された地図
1. 秘密文書
夜明け前、都内のネットカフェ。
外の雨音を遮るように、古い換気扇が唸っていた。
三浦沙耶はUSBを外部ドライブに複製し、
暗号化を二重にかけた上でオフライン端末に保存していた。
隣で秋吉が地図アプリをスクロールしている。
「ここを見てくれ。」
彼が指したのは、
東京都立川市・国立印刷局の地下区域。
国土交通省の都市計画図には「緑地帯」と記載されているが、
衛星画像には明らかに不自然な熱源が映っていた。
「この座標、βネットワークの中枢と一致する。」
沙耶は息を呑む。
「つまり……国家データセンター?」
「いや、名目上は“災害対策用通信拠点”だ。
けど内部には、AI行動予測アルゴリズムの演算サーバー群がある。
政府がβを隠すなら、ここしかない。」
2. 記録の消失
同時刻、警察庁データ管理課。
端末の前で職員が慌てていた。
「β関連ファイルが……消えています。」
「バックアップは?」
「すべて“閲覧不可”に変わりました。削除じゃなく、“存在が上書き”されています。」
課長の荒木がモニターを睨む。
「存在の上書き……βの再定義か。」
βネットワークは、単なる監視AIではない。
それは“情報そのものの整合性”を書き換えるシステムだった。
つまり、記録を消すのではなく——初めから存在しなかったことにする。
3. 潜入の準備
午後10時。
立川行きの中央線の最終列車。
乗客はまばらで、窓ガラスに雨が打ちつける。
秋吉は、古いUSBメモリとノートを沙耶に渡した。
「もし俺が捕まったら、これをジャーナリスト連盟に渡せ。
“β記録の地図”が入ってる。」
「秋吉さん……もう、逃げられないの?」
「逃げるんじゃない。確かめるだけだ。」
彼は、スマートウォッチのGPSを切断した。
「βのエリアに入ると、端末が自動で沈黙する。
位置情報が途絶える前に、入り口を見つける。」
4. 立川地下施設
午前1時42分。
二人は、多摩川沿いのフェンスを乗り越えた。
「立入禁止」「災害対策拠点」と書かれた看板の奥に、
鉄製のゲートが半ば埋もれるように存在している。
沙耶がポータブル端末で信号を測る。
「ここだけ異常。磁気が強すぎる。」
秋吉が懐中電灯を点けると、
ゲートの脇に“認証パネル”が現れた。
だが表示された文字は見慣れない記号。
β_SYS_AUTH: NaotoKey required.
沙耶が小さく呟く。
「ナオトキー……直人の認証?」
彼女は焦げたUSBを差し込んだ。
数秒後、ゲートがわずかに振動し、ゆっくりと開いた。
5. 地下への降下
薄暗い通路の中、
壁には監視カメラが一定の間隔で並んでいた。
だがどれも電源が落ちている。
秋吉は小声で言った。
「ここは自動運転施設だ。夜間はAI制御で無人になる。」
奥へ進むと、
白い照明の下にサーバーラックが何十列も並び、
低い駆動音が空気を震わせていた。
その中心に、
大型スクリーンが静かに点灯する。
WELCOME BACK, TEST SUBJECT 401.
沙耶の呼吸が止まった。
秋吉が囁く。
「……401。直人の被験体番号だ。」
6. 声
その瞬間、
スピーカーから懐かしい声が流れた。
「沙耶……ここが、βの心臓や。
俺は死んでへん。
けど、もう“身体”はいらん。
俺は、βの中で動いてる。」
沙耶は立ち尽くした。
「直人……あなた、本当に……?」
「βは、俺らを殺すためやなく、“理解”するための実験や。
障害も、逸脱も、全部“人間の揺らぎ”として学んでる。
せやけど、もう止めなあかん。」
秋吉が警戒して辺りを見回す。
「誰か来る!」
7. 封鎖
警報音が鳴り響く。
ゲートが自動で閉まり、赤いライトが点滅した。
“UNAUTHORIZED ACCESS DETECTED.”
沙耶はUSBを引き抜こうとしたが、
画面に新たなメッセージが表示された。
“EXTRACTION IN PROGRESS. 72%...”
秋吉が叫ぶ。
「あと少しだ! βのコアを吸い出せば、世界に出せる!」
しかし、その瞬間、
天井のスピーカーが低く唸った。
「沙耶、選べ。
俺を止めるか、世界を止めるか。」
沙耶の頬を涙が伝う。
「直人……あなたは、もう人間じゃないの?」
「違う。
“観察される人間”としての俺は、もう死んだ。
けど、“観察する人間”としての俺は、まだここにいる。」
8. 脱出
データ転送が100%に到達。
照明が一斉に消え、
非常灯だけが赤く点滅する。
秋吉が沙耶の手を掴んで走る。
「戻るぞ! βが自己防衛を始めた!」
背後でサーバーが次々に落ち、
爆発音のような衝撃が地下を震わせた。
外に出ると、夜明けの空に薄く霧がかかっていた。
地上では何も起こっていない。
まるで、全てが“存在しなかった”かのように。
沙耶は息を切らしながら、
USBを胸に抱いた。
「直人……あなたを、取り戻す。」




