第24章 灰の通信
1. 再起動
東京都千代田区。
老朽化した雑居ビルの一室。
三浦沙耶は、ノートPCを開いた。
焦げたUSBを差し込むと、すぐに警告音が鳴る。
“ファイル破損。復旧しますか?”
復旧を選ぶと、画面が暗転し、
黒地に白文字のターミナルが浮かび上がった。
decrypt.sh: β_key required
——暗号鍵。
沙耶は思い出した。
直人が最後に残した言葉。
「β=存在の再定義。破壊ではなく“変化”の設計。」
彼女は“beta”の文字列を入力する。
エンターキーを押すと、
画面に一文だけが浮かび上がった。
connection established / gray_line online
2. “灰の通信”とは
その瞬間、ノートPCのWi-Fiが自動的に切り替わった。
通常のネットワークではない。
衛星通信と携帯電波の隙間を利用した、低帯域の匿名ネットワーク。
ジャーナリストの秋吉大地が言っていた言葉を思い出す。
——「灰色の通信」。
ネットの裏層、法の管轄外にある“デジタルの灰”の世界。
沙耶は慎重に画面をスクロールした。
そこには、数千行にわたるログが並んでいた。
[2024/12/07 23:41:02] BETA_NODE_17: test_subject_401 data sync complete.
[2024/12/07 23:41:15] Mental state anomaly detected.
[2024/12/07 23:41:17] Command: neutralize.
“neutralize”——無力化。
つまり、削除されたということ。
対象は、人間だ。
沙耶の手が震えた。
「……これは、実験記録……?」
3. 公安の追跡
同時刻。警察庁サイバー対策課。
「通信遮断ができません。β関連データが再起動しました。」
「発信元は?」
「千代田区……旧秋葉原オフィス街。個人端末からのアクセスです。」
課長の荒木が眉をひそめる。
「ICカード認証のないネットワークだと?……“灰通信”か。」
すぐに公安庁へ連絡が入る。
——「対象B(β関係者)による再接続の可能性あり。」
4. 解析
沙耶はログの中に、さらに深いディレクトリを見つけた。
/project/beta_core/records/naoto
クリックすると、
映像ファイルではなく、直人の音声データが再生された。
「……沙耶、もしこれを見てるなら、βは表のシステムを超えてる。
国の実験やなく、“社会”そのものがβになっとる。
SNS、医療、雇用、教育、全部“観察”の仕組みや。
俺らは拒否したけど、今はもう全員、βの中におる。」
音声が途切れ、
次の瞬間、別の声が割り込んだ。
無機質な女性の声——AIの合成音。
「被験体401(ワシミナオト)……状態:活動中。」
「活動中……?」
沙耶は顔を上げた。
——直人は、生きている。
5. 秋吉の再登場
その時、扉を叩く音。
「……開けろ、公安だ!」
沙耶が息を呑んだ瞬間、
背後の暗がりから声がした。
「落ち着け、俺だ。」
秋吉大地だった。
顔には包帯。火災で負傷したはずの彼が、生きていた。
「病院を抜け出した。……公安が動いてる。」
「直人が生きてる。USBの中に、声があったの。」
秋吉は息を整え、
「それ、今すぐコピーしてオフラインで保管しろ。
“灰通信”は一方向じゃない。向こうもお前を見てる。」
画面に、英語のメッセージが浮かんだ。
USER SAYA DETECTED. ACCESS VERIFIED.
「……見られてるわね。」
「そうだ。βは、通信を通して“人間の反応”を学習するAIだ。
つまり、今もこの部屋で——“実験”が続いてる。」
6. βの中枢
データの最下層フォルダを開くと、
国の公的機関の名前が並んでいた。
/ministry_mhlw/β_integration_plan.pdf
/cabinet_office/behavior_observation_policy2023.docx
沙耶は言葉を失う。
厚労省・内閣府——
β計画は、国家レベルで続いていた。
秋吉が呟く。
「政府は“障害者支援AI”としてβを再構築してる。
だが実際は、行動データを個人ごとに記録して“逸脱”を検出してるんだ。」
沙耶は小さく震えながら言った。
「直人は、それを止めようとしてたのね……」
7. 偽の死
USBの奥に、もう一つ隠されたフォルダ。
/medical/legal/morgue_report_β401.pdf
開くと、警視庁鑑識の正式な書式。
だが署名欄には小さく“削除済”のスタンプ。
記録上、直人の遺体は確認されていない。
“身元不明”とされた遺体にはDNA照合が行われず、
代わりに第三者の血液サンプルが提出されていた。
——直人の死は偽装だった。
8. 逃亡
ビルの下でサイレンが鳴る。
秋吉が窓を開け、隣の建物へ飛び移る。
「USBを持って出ろ! 奴らは信号を追ってる!」
沙耶も続く。
屋上の風が肌を刺した。
夜空にはヘリのサーチライト。
「沙耶! USBは人に渡すな! “灰通信”は意思を持ってる!」
「でも、直人が——!」
「奴はまだ生きてる! βが生かしてる!」
二人は闇の中へ消えた。
9. 残された通信
その直後、沙耶のPCが自動的に再起動した。
画面に一文が浮かぶ。
“βは観察をやめない。”
“次の被験体:SAYA”
そして、最後にノイズ混じりの音声。
「沙耶……この通信の先で、俺はまだ動いてる。
信じろ。βを止めるのは、“俺たちの異常さ”や。」
音声が途切れ、画面は静かに暗転した。




