第22章 告発
1. 国連ジュネーブ本部
2025年3月。
スイス・ジュネーブ。
冬の名残を残す朝の空気の中、三浦沙耶は国連人権理事会のホールに足を踏み入れた。
照明は眩しく、各国代表のイヤホンが一斉に光っている。
通訳の声が英語・フランス語・中国語に重なり合い、
会場全体がざわめいていた。
壇上に立つと、沙耶は小さく息を吸い込み、
ゆっくりと原稿を開いた。
「私は、かつて日本で“β計画”と呼ばれた国家プロジェクトの被害者、
そしてその内部告発者と関わりを持った者です。」
空気が一瞬、凍る。
2. 告発の内容
プロジェクターの映像が壁一面に映し出された。
そこには、直人の手帳と、SDカードに残された動画の一部が再生される。
『俺らは実験動物やない。
けど、生きてる限り、誰かに観られてる気がする。
βって、そういう仕組みや。
人の“逸脱”を学習するための社会の目や。』
会場内の同時通訳が止まるほどの静寂。
沙耶は続けた。
「この記録は、すべて日本国内の行政サーバーに保存され、
知的・精神障害を持つ者たちを“行動データ”として扱っていました。
倫理審査を経ず、本人の同意もなく。」
記者席からカメラのシャッター音が連続して響く。
国連の担当官が低く問う。
「あなたは、これが国家主導であったと断定するのですか?」
沙耶ははっきりと答えた。
「はい。証拠は、政府自身の記録です。」
3. 外交圧力
その頃、東京・外務省。
モニター越しに会見を見守っていた官僚たちは沈黙していた。
「放送を止めろ。衛星経由の国際中継を遮断しろ。」
「無理です、YouTubeとBBCが同時配信しています。もう止まりません。」
長官が額を押さえ、ぼそりと呟いた。
「……βが、ここまで出るとはな。」
一方で官邸では、
「国内向け声明を用意しろ。“フェイク報道”として片付ける」
という指示が飛んでいた。
だがそのとき、あるメールが内閣情報調査室の端末に届く。
件名:《For The Public Record》
送信元:不明。
添付ファイルのタイトル——《β_MASTER.zip》。
中には、国家機密級のサーバーデータの完全複製が入っていた。
4. 暗号の解読
同じ頃、ジュネーブの会場裏。
沙耶のもとに、ICIJのジャーナリストが駆け寄った。
「三浦さん、あなたの映像データ……一部に追加ファイルが見つかった。」
「追加?」
ノートPCの画面には、ファイルツリーの奥に隠された一行が表示されていた。
/log/β017_final_key.txt
開いてみると、
そこにはたった一文だけが書かれていた。
『β=存在の再定義。破壊ではなく“変化”の設計。——N』
沙耶は息を呑んだ。
「直人……あなた、まだ終わらせてなかったのね。」
5. 国家の反撃
その日の夜。
日本政府は異例の“反証会見”を開いた。
内閣報道官が淡々と読み上げる。
「β計画と称されるものは存在しません。
また、映像および文書は、国外勢力による情報操作の可能性があります。」
だが、会見後に一部記者がSNSで公開した写真には、
政府資料の表紙に確かに刻まれた“β-01”の印字が写っていた。
さらに翌日、国際ハッカー集団《0dayJustice》が声明を発表。
「βデータは我々が保護した。隠蔽は許されない。」
国家と市民の情報戦が、現実の中で始まった。
6. 真実と沈黙
ジュネーブの夜。
ホテルの部屋で沙耶は一人、直人の映像の最後の数秒を見返していた。
「もし俺が死んでも、信じてくれる奴が一人でもおったら、
βは“成功”や。……生きるって、そういうもんや。」
画面が暗転した後、かすかにノイズが残る。
耳を澄ますと、
そのノイズの奥から微かな声が聞こえた。
——「沙耶……もう、灰の中から見とるで。」
幻聴か、それとも録音されたものか分からない。
だが彼女は微笑んだ。
「うん、分かってる。まだ終わらせない。」
7. 新たな告発へ
数日後、ICIJの取材チームは正式に「β記録」の国際調査報告書を発表した。
表紙には、
“The Beta Project: Humanity in Observation”
と記されている。
沙耶は共同執筆者として名を連ねた。
そこに添えられた一文は、直人の言葉だった。
「人間を観察する社会があるなら、
その社会もまた、観察されるべきや。」
報告書は世界中で翻訳され、SNSで拡散された。
日本政府は沈黙を続けたが、
官僚の内部リークが止まることはなかった。
8. エピローグ:灰の街
東京・多摩の廃工場跡地。
夕暮れの光の中、男が一人、
壁にスプレーで何かを書きつけていた。
「βは、まだ終わらん」
男の右手には火傷の痕。
背後で電車の音が遠ざかる。
その顔を誰も確かめることはできなかった。




