第19章 灰の記録
朝刊の一面に、再び見慣れた三文字が踊っていた。
「β計画、再流出」
だが、今度の記事の出所は日本ではなかった。
英字で書かれたタイトルの下に、フランスの独立系ニュースサイト「Le Miroir」のロゴがあった。
記事には、政府内サーバーから新たに抽出された“β補助観察ファイル”が添付されていた。
ファイルの冒頭には、こう記されている。
【灰の記録】
木村直人/桐島玲奈観察補助ログ(1998-2005)
沙耶は、手の震えを抑えながらスマートフォンの画面を見つめた。
「……直人さん、あなたが残したのね……」
消えた男
直人が最後に確認されたのは、あの夜、施設跡地の監視カメラ映像。
午前4時12分、火の手が上がる直前に、扉の前で立ち尽くす姿が一瞬映っていた。
消防と警察は「放火の可能性」として現場検証を行ったが、遺体は発見されなかった。
「焼け跡からは、複数のUSBメモリの破片と、指紋の一部が出ただけ。
DNA鑑定でも確定には至っていません。」
報道番組でそう語るコメンテーターの声が、どこか他人事のように響いた。
SNSでは“木村直人生存説”“国外逃亡説”が飛び交い、
一方で政府筋は「被疑者死亡見込み」として事件の幕を引こうとしていた。
沙耶の覚悟
都内の狭いアパートの一室。
カーテンを閉め切り、パソコンの前に座る沙耶の顔には疲労の色が濃かった。
机の上には、直人から託されたUSBメモリ。
そして、「灰の記録」と題されたファイルのコピー。
開いてみると、内部には詳細な行動観察記録が残されていた。
そこには、桐島玲奈と直人が同時期に“観察対象”として扱われていた証拠があった。
「被験者β017・補助観察対象K・同居環境下における情動刺激反応の観察継続」
さらに、付属メモの末尾には、見覚えのある筆跡で一行が走っていた。
『この計画を止めるのは、お前しかおらん。——N.』
沙耶は唇を噛み、モニターを見据えた。
「……やっぱり、まだ生きてるんだね。」
社会の反応
午後のニュースで、厚生統合局の会見が中継された。
局長の顔は疲れ切っていた。
「一連の“灰の記録”について、当局は一切関与しておりません。
流出したデータは、改ざんの可能性が極めて高いと判断しています。」
報道陣のフラッシュが一斉に焚かれた。
だが、その翌日、国会において野党議員がβ計画関連の予算資料を提出。
厚生統合局が実際に“特定障害者データ収集事業”を外郭団体に委託していた事実が明らかになる。
一気に世論が沸騰した。
「障害者を“観察対象”にしていたのは本当だったのか」
「内部告発者を抹消しようとしたのでは」
街頭インタビューで、ある母親が涙ながらに言った。
「うちの子も、βっていう診断番号を病院で見たんです。怖くなって……」
現実が、虚構を追い越していくようだった。
追われる沙耶
夜。
沙耶はUSBを小さな封筒に入れ、郵便局の夜間投函口に差し込んだ。
宛先は、国際調査報道ネットワーク(ICIJ)の東京支局。
“β計画の完全版”と題した匿名資料。
ポストの投函口を閉めた瞬間、背後から声がした。
「——木村直人の関係者だな?」
黒いスーツの男が二人。
公安調査庁の徽章が胸に光る。
沙耶は息を呑んだ。
「彼のデータは、どこに送った?」
「……あんたたちが、何を隠そうとしてるのか、
もう世間は知ってる。止められないわ。」
男のひとりがため息をつき、
「そうか」とだけ言った瞬間、車のライトが二人の間を照らした。
ライトの奥から、声が響いた。
「乗れ、沙耶!」
ハンドルを握るのは——直人だった。
灰の中の再会
信号を無視して走り抜ける車の中、
沙耶は息を切らせながら言った。
「……生きてたのね……!」
直人は短く笑った。
「死んだことにしてもらった方が、都合がええんや。」
「でも、ニュースでは——」
「嘘ばっかりや。けど、“灰の記録”はもう外に出た。
俺らの存在は、消されへん。」
フロントガラス越しに見える夜明けの街が、少しずつ明るくなっていく。
直人はハンドルを握る手に力を込めた。
「……あとは、お前が続けろ。
俺はもう、表には出られん。」
沙耶は涙を拭い、頷いた。
「分かった。あんたの生きた証を、残す。」




