第十四章 境界の都(トーキョー)
東名高速を走る夜行バンの中、
直人は窓の外に流れる灯りを無言で見つめていた。
助手席では葛城がノートパソコンを開き、
後部座席では三浦沙耶がスマートフォンを握りしめている。
外は雨。
ガラスを伝う水滴が街灯の光を歪める。
車内には重苦しい沈黙があった。
「……着くのは夜明け前ですね。」
葛城がつぶやく。
「東京の報道関係者は、みんな厚生統合局の動向にビビってる。
連絡取れたのは、独立メディアの“Civic Eye”だけです。」
「そんな小さなところで大丈夫なんか?」
直人が不安げに問う。
「大手には出せません。出した瞬間、記事が“差し替え”になる。
統合局には官邸直属の“報道連携室”があるんです。」
沙耶が続ける。
「つまり、情報統制。
都合の悪いニュースは、“事実確認中”のまま消える。
私も公安で見てきた。実際に……。」
直人はその言葉に反応した。
「公安って……やっぱり、あんた……?」
沙耶は短く頷いた。
「現職じゃない。
でも、統合局の内部監査を担当してた。
“希望の灯”に潜入したのも、実態を掴むため。
けど……私の報告は全部、揉み消された。」
「誰に……?」
「上層部。
厚生統合局局長・南條正嗣。
元警察庁次長。政界にも顔が利く。」
葛城が口を挟む。
「南條は現首相のブレーンでもある。
“障害者支援の新しい形”を政治資金に変えてる張本人ですよ。」
直人は唇を噛んだ。
「そんな人間が……国の“福祉”を動かしてるんか。」
雨脚が強くなる。
車体が小刻みに揺れるたび、直人の頭にざらついた映像が走る。
——桐島の笑い声。
——白い部屋。
——注射器の銀色の輝き。
——誰かの声が、「君は社会に希望を与える」と囁く。
直人は頭を押さえた。
「うるさい……やめろ……!」
沙耶が振り向く。
「直人さん、大丈夫? 発作?」
「違う……頭ん中で、何かが喋っとる。」
「見ろ。記録を思い出せ。真実は“データの奥”にある。」
直人は息を荒げ、ポケットからUSBを取り出した。
「これや……! この中にまだ何かある……!」
葛城が素早くパソコンを繋ぐ。
画面には膨大なフォルダ群。
会計データ、職員名簿、服薬記録——そして最下部に一つだけ、暗号化されたファイルがあった。
【Project_Limn】
「……リムン?」
沙耶が小声でつぶやいた。
「ラテン語で“境界”って意味。」
葛城がパスワード解除を試みる。
「何重にもロックがかかってる……。だが、この中に“核心”がある。」
直人の視界が揺れる。
まるで自分の記憶が、このファイルと繋がっているような感覚。
「俺……ここにいたこと、ある気がする。」
「どういうこと?」
「“希望の灯”の地下に……部屋があった。
白い壁、番号付きのベッド。俺の枕元に“017”ってプレートが……」
沙耶の顔が蒼白になる。
「……β被験者。あの記録、本当だったのね。」
葛城が声を荒げた。
「つまり、“希望の灯”は就労支援施設なんかじゃない。
統合局の臨床データセンターだ。」
直人は頭を抱えた。
「なんで……なんで俺なんかが選ばれたんや。」
「選ばれたんじゃない。
“捨てられて、行き場のない人間”が都合よかっただけ。」
沙耶の声は震えていた。
「彼らにとって、あなたは“誰でもない存在”だった。」
その瞬間、葛城のパソコンが警告音を発した。
「通信遮断……GPSが逆探知されてる!」
沙耶はハンドルを握る運転手に叫ぶ。
「ルート変更! 東京駅は避けて!」
車は環八を外れて住宅街へ。
背後からは黒い車列が近づいてくる。
無音のパトランプが、一瞬だけ闇に光を落とした。
直人は幻聴の中で、再び“声”を聞いた。
「これは国の病気。治すのは、お前だ。」
「……俺が、治す?」
口の中で呟いた言葉に、誰も気づかなかった。
夜明け、車は東京郊外の多摩川沿いにたどり着いた。
川の向こうに見える高層ビル群が、ぼんやりと朝焼けを反射している。
葛城は息を整えながら言った。
「今夜、Civic Eye の編集部で会見準備をします。
俺が責任を取る。
でも……直人さん、あなたにも“出てもらう”必要がある。」
「……俺が?」
「あなたが語らないと、何も始まらない。
“精神障害者”という肩書きのまま、真実を暴く。
それこそが、この国が最も隠したがってる現実だ。」
直人はしばらく黙り、
やがて小さく頷いた。
「……やるよ。
誰かが、俺らの声を聞かんと。」
そのとき、遠くの高架を走る列車の音が響いた。
新しい朝が始まる。
しかしその光の下で、
国家と個人の“境界線”は、ますます曖昧になっていく。




