第十三章 告発の夜
午後八時過ぎ。名古屋市中区・栄。
繁華街の光が雨に滲む。
三浦沙耶と直人は、雑居ビルの四階にある小さな編集室に身を潜めていた。
部屋の中は古びたパソコンと段ボール箱だらけ。
ホワイトボードには「生活保護受給者の不正処理件数」「補助金関連NPOリスト」といった文字が並ぶ。
男が一人、椅子に深く腰掛けていた。
髪に白いものが混じり、無精髭を生やしたままノートパソコンを叩いている。
「葛城真です。」
低く擦れた声。
「話は三浦さんから聞きました。例のUSB、見せてもらえますか。」
直人は少し躊躇いながら、ポケットから取り出す。
手が震えていた。
「……これに全部、入ってます。俺が働いてた“希望の灯”の職員名簿と会計データ。
厚生統合局に直接送信されとったログも。」
葛城はデータを確認しながら黙り込み、次第に表情を引き締めた。
「本物だな……。
ここまで明確に残ってるケースは珍しい。
これ、完全に“国ぐるみ”の助成金詐取ですよ。」
「つまり、厚生統合局が裏で操作してるってことですか?」
沙耶が問う。
「いや、それだけじゃない。
統合局のデータ処理システムには、ある医療企業の名前が出てくる。
“セルバイオ・ジャパン”——抗精神薬を製造してる会社です。
再就労支援と称して、服薬データを実験的に集めてる。」
「……つまり俺ら障害者が、薬のモルモットやったってことか。」
直人の声は低かった。
「おそらくは。
国の研究委託金がセルバイオに流れ、そのデータ提供を“希望の灯”が担っていた。
つまり、精神障害者支援を装った人体データのビジネスモデルです。」
直人は呆然とし、次の瞬間、吐き気を堪えるようにうつむいた。
耳鳴りがした。
(まただ……声が聞こえる……)
「逃げるな。見届けろ。お前が見た現実を、語れ。」
顔を上げると、天井の蛍光灯が揺れて見えた。
沙耶の声が遠くなる。
意識の焦点がぼやけ、現実と幻覚が入り交じる。
——あの日、桐島が笑っていた。
——「君たちは未来の社会の礎になる」
——手元の書類に、赤い印。
——“β被験者No.017”
直人は立ち上がり、声を荒げた。
「俺は実験台やったんやな!? 最初から、全部決まっとったんか!」
葛城は慌てて手を伸ばした。
「落ち着いてください、木村さん! あなたの証言がなければ——」
「俺の証言なんか、誰が信じる!? 精神障害者やぞ!」
その叫びが部屋に響いた。
外の通りを走る車の音が、遠くに吸い込まれていく。
沙耶はそっと肩に手を置いた。
「直人さん……あなたが生きてここにいることが、もう“証拠”なの。
誰も声をあげない世界で、あなただけが“記録”を持ってる。」
直人は涙をこらえ、ゆっくり座り直した。
「……俺、もう逃げへん。」
葛城は頷き、PCを操作した。
「今夜、データを国外のサーバーにバックアップします。
ただし——公開した瞬間、あなた方の身は保証できません。」
「公安が動く……?」
「ええ。厚生統合局の情報セキュリティ部は、実質的に公安の管轄です。
内部告発者を“誤認逮捕”して潰すのはよくある手口。
去年も、似た事件で死者が出ている。」
その言葉に、沙耶の顔が一瞬凍った。
「……それって、“八雲研究所”の件ですか?」
葛城は無言で頷いた。
「表向きは“自殺”。でも遺体には拘束痕があった。」
空気が重く沈む。
直人は震える声で言った。
「……それでも、出すしかない。」
そのとき、編集室のブレーカーが突然落ちた。
真っ暗な中、電子音が一瞬鳴り、モニターが消える。
葛城が叫んだ。
「通信遮断……! 誰かが侵入してる!」
階下から足音。
男たちの低い声。
「対象確認——」
沙耶は即座に直人の腕を掴んだ。
「裏口!」
三人は暗闇の中を走り抜けた。
階段を駆け下り、ビルの裏通りへ。
そこには黒いSUVが一台、アイドリングを続けていた。
「乗れ!」
運転席の男が叫ぶ。葛城の旧知のカメラマンだった。
車が急発進する。
後ろから複数のライトが追いかけてくる。
「誰や……あれ!」
「公安の現場班。……早すぎる。完全に情報が漏れてる。」
雨の中、車は高架下を抜けていく。
直人は窓の外を見つめた。
都市の光が、まるで血のように滲んでいた。
胸の奥で、再び“声”が囁く。
「お前が逃げても、世界は変わらない。
だが——お前が暴いたなら、誰かが生き延びる。」
直人は震える手でUSBを握りしめた。
もう恐怖ではなかった。
その重みが、彼に“意味”を与えていた。




