数年前、行き倒れの騎士を助けたらしい。記憶にない。だから求婚しないでほしい。
「アメリアさん、結婚を前提としたお付き合いをしてくださいませんか?」
────昔から、とぼけた人間な自覚はあった。
うちの家畜の名前ですら忘れるし、クラスメイトは覚えられなかった。特に、嫌なこと、忘れたいことをすぐに忘れる天才だった。いや、素直に言おう。薄らバカだった。
目の前の人の金糸は風に揺れ、海のような深い青色の瞳はまっすぐに私を見つめる。
「……誰、あんた」
だからと言って、妙に顔の整った騎士……なんなら求婚してきた人までも覚えていないのは、流石に酷かっただろうか。
「申し訳ないんだけど、ほんとに、誰ですか?」
覚えがない。というか、ある方がおかしい。
国境沿いの田舎町、その中でもとびきり穏やかな丘の上に立つ小さな宿屋。その若店主である私と美麗な騎士だなんて、何の縁があるだろう。いや、断言しよう。ない。
お客さんは雀の涙ほどの赤字で、今日だって、ただ自分の分の洗濯物を干していただけだった。そこにこの人がやってきて、一人で感激して涙ぐんだ後に、急にこんなことを言ってきたのだ。軽くホラーである。
「……あはは、やっぱりか」
しかしながら、その騎士はがっくりとしてそう笑った。まるで予想していたかのように。
「改めて自己紹介を。私はフランシス・オースティン。隣国の騎士であり、貴女に助けられた者です。恩に報いるため参りました」
傅いた騎士……フランシスとやらは、サッと立ち上がって私の洗濯籠を持って運んでくれる。あ、どうも。
騎士はスタスタと歩いて、しれっと家の中に入ってしまった。しかもなんでかランドリールームがどこかわかってる。
「ここで大丈夫ですか?」
「あ……はい」
っ。なんだその人懐こい笑顔は。……ま、こんなボロい家に防犯とか意味がないし、別にいいか。
とりあえずキッチンの椅子に腰かけるようにいいつつ、戸棚からポットと紅茶の缶を取り出した。秘蔵のクッキーは……出さなくていいや。
「お茶くらいは出しますけど、人違いだと思いますよ」
「いえ、貴女です。こちらを」
ポットを火にかけたところで、差し出された手紙を受け取る。
読まなくても宛名でわかる。この癖字、ばあちゃんが書いた手紙だ。
私がまだ歩き始めてもいない頃に両親は馬車の事故で死に、ばあちゃんに育てられた私としては、文字通り親の顔より見た字。まあそのばあちゃんも、一年前に死んだわけだけども。
「どうぞ、読んでください」
「はぁ……ばあちゃんの知り合いなら最初からそう言ってくれれば……ば!?」
【ヘタレ騎士へ
ちゃんと稼いでるかい? ヘタれたままならこの話はなしだよ。
あたしの目が黒くなくなったからね、うちの孫娘アメリアに手を出すことを許そう。
あの子はどーせ忘れてるだろうから、この手紙でも見せればいいさ。客の顔も覚えらんないくせに宿屋を継いだバカ娘だからね、住所は変わっていないよ。今頃赤字続きで困ってるだろうから、いい機会だろう。どこへでも好きに連れていきな。
追記 とはいえ大事な孫娘だ。泣かしたら祟るよ。
ハンナ・コックスより】
なぁに勝手してんだ、ばあちゃん。手を出すことを許すって何? てかなんで赤字続きってわかるのよ。
確かに死んだことを伝える手紙を大量に出させられたけど、まさかこんなのも混じってたなんて……。
「ですので、人違いではありません。そして、貴女の知り合いでもあります」
フランシスからそう言われ、顔をまじまじと見るも思い出せない。まつ毛は長いし、鼻筋が通ってて整った顔だなぁとしか思えない。二十代前半くらいだろうか。
と観察していたころでお湯が沸いたから茶を淹れつつ。
「粗茶ですが」
「お気遣いありがとうございます。その、ハンナさんの手紙のことではなく、最初に話した通り、恩を返すために参りました」
いや、初手で求婚してきたでしょ。
というか、恩、ねぇ。私が人を助けるなんてそんな殊勝なことするわけないと思うんだけど。
ズズッとお茶を啜りつつ、やっぱり身に覚えがない。もういっそ本人に聞くか。
「私って、どうやってそこまでの恩を売ったんです?」
フランシスはパチクリと瞬きをして、ゆっくりと話し始めた。
「あれは四年前の事です。私は騎士になりたての十八で、貴女は十四歳でした」
十四歳……なにしてたっけな。記憶にない。とりあえず、ばあちゃんはまだ生きてた。
「当時の私は初出兵したものの、怖くて逃げだしてしまい、この国境沿いの村で行き倒れになっていました」
はえー。考えられん。そのいかにもちゃんとしてそうな騎士の風貌で、そんなヘタレエピソードなんて。
「そこで、通りかかった貴女に救われたのです」
「ちょっとタンマ。絶対私じゃないです」
私はそんな慈善事業のようなことはしない。特にこんな見てくれのいい騎士だなんて、面倒ごとに決まっている。
「……水を求める私に、持っていたバケツで井戸の水をぶっかけてくださいました」
私かもしれない。
「ずぶぬれになった私が、そうではなく飲み水をと言ったところ、足を持って引きずり、宿まで連れ帰ってくれました」
感慨深そうに頷いて語るフランシス。
うん、私だ。めんどくさいからってばあちゃんに丸投げするつもりだったんだ。多分。
「そしてハンナさんと喧嘩になっていました。というのも……
『ばあちゃん、これ落ちてた』
『勝手に拾ってくんじゃないよ! あんたロクに面倒も見ないだろ!』
『飼うなんて言ってないよ』
『拾ったらね、飼わなきゃいけないんだよ!』
という風にナチュラルに捨て犬扱いされたもので」
うーん、私とばあちゃんらしい。ばあちゃんは宿屋の女将なだけあって、情に厚かったから。
「お二人の激闘の末、傷が癒えるまでならと泊めてもらえることになったんです」
話を聞く限り確かに私だけども、どうしよう。ここまで言われても思い出せない。
「あの、その対応されて恩を感じたんですか?」
マゾ?
「もちろん、最初はどうしてこんな目にと思いましたよ。それでも、一緒に過ごすうちに感謝は募っていきました」
あまりにも優しく、愛おしそうに笑うから、何とも言えなくなった。胸の中でチリッと何かが燻る。なんだ、この違和感。いや、深く考えるのはよそう。
「戦場から逃げた臆病者だと告白した時、貴女は言いました。好んで死のうとする馬鹿はそうそういない、と」
私が言いそうなことだ。多分鼻で笑ってそう言ったんだろう。
「逃げたことは恥じることではない。守るべき人が自分だっただけだと。私は、貴女によって救われ、守るべき人ができました。騎士としての覚悟が決まったんです」
おそらく適当に言ったであろうことが、なんか大層な話になってる。
「私は国へ帰り、叱責と懲罰を受け、もう一度見習いからやり直すことになりました。覚悟が決まったからか、腕は上がって副団長となり、去年の叙勲式で爵位を貰いました」
たったの四年で……本当にヘタレだっただけなのか。そこまで出世した上に、その顔ならモテるでしょうに、わざわざ恩返しに来た上求婚してくるなんて酔狂な。
「で、どうしてそっから手を出す出さないなんてことに?」
「そ、こは、もう気にしないでください。とにかく、恩返しをしにきたんですから」
ふーん。
とはいえ、覚えてないことで求婚されても困ってたからいいけども。
「……とりあえず、電球でも変えてくれる?」
「ええ、喜んで」
フランシスは立ち上がって、騎士らしく恭しく手に接吻をした。こちらを見上げてニッと笑う。
ひゃ……。
こいつ……絶対恩返しだけじゃない。本当に家に上げてよかったんだろうか。結局思い出せてないし。
「どこの電球ですか? 私なら脚立要りませんよ!」
*
『アメリア、あんたあのヘタレのこと好きだろ』
『ばあちゃん突然何言い出すの。ついにボケた?』
『色ボケしてんのはあんただろ。あんたが名前覚えて世話焼いてんのなんて珍しいじゃないか』
拾われて二ヶ月が経った頃、家の裏の川で腕の傷の包帯を洗っていると、そんな会話が聞こえてきた。
その時にはアメリアさんに惚れていた僕は、歓喜と共に耳を澄ませる。彼女は僕に興味なんてなさそうだったけど、もしかしたら、告白してもいいのかもしれない。
『別に……あの、ほら、最初飼ってた犬に似てるから構いたくなるだけだよ。良い人だとは思うけどね』
『ふぅん?』
『ほんとにそれだけだってば。大体騎士と田舎娘なんて身分が合わないでしょ。私には、ばあちゃんも宿もあるし。どうせ、すぐいなくなるんだから』
アメリアさんは、目を逸らして少し俯いてそう言った。息を呑む。また、彼女に水をぶっかけられた気がした。
逃げ出した臆病者は、どうにかするための力なんて持っていなかった。
ハンナさんだけが、ただ大きなため息を吐いて鼻を鳴らした。
『まあいいよ。アメリア、洗濯物は干したかい』
『ばあちゃんそれ今日5回目。干したよ干した』
『あー、そうかい。それならいいんだ』
『ばあちゃんったら昔っからそうなんだから』
二人は何事もない日常に戻り、僕は立ち尽くしたまま。思いもよらない失恋に、胸が痛くて。目の前が真っ暗になった。
『……聞いてたのかい』
『ひえっ』
いつの間にか背後に立っていたハンナさんに驚いて、僕は腰を抜かした。今日は厄日だろうか。
『これはばばの独り言だ。最近ねぇ、物忘れが激しくなってきたんだよ。認めたくはないがね』
『きっと、数年後にはあの子のこともわからなくなる』
『でも、あたしはあの子のやっかいになるしかないんだ。あの子も、投げ出してくれないだろう』
『嫌なもんだよ。ついこの間までおしめ変えてた子の世話になんのは』
『だからね、せめて、あたしがいなくなった後は苦労しないで欲しいんだ』
『恩返し、したいんだろう? だったらしっかり出世して、あの子を嫁に取ってくんな。守ってくんな。死んだら、手紙を出すように言っておくから』
傷が治って、出て行く日、彼女は長い黒髪をバッサリと切っていた。赤い瞳は、いつもより潤んでいたような気がした。
『髪が伸びるまでは、あんたのこと覚えてられるかもね』
彼女はそう言って笑った。
……まあ喜ばしいことにハンナさんは長生きして、再会した時には元の髪の長さに戻っていたわけだけれども。
また一から、惚れてもらえるように頑張ろう。今度は髪なんて切らせないように。
読んで下さりありがとうございました。
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