テディと任務2
「ここが被害者のクラスですか…」
夕日に照らされた廊下を歩いていた私達は、『2-A』という札がついた教室の前で立ち止まった。
(まだ誰か残ってるかもしれないし、ここは慎重に…)
そんな思考を否定するように、テディは「お邪魔しまーす」と躊躇なく扉を開く。
「えっ、ちょ、ちょっと!」
「誰も居ないね。みんな帰っちゃったのかな」
教壇から辺りを見渡すテディを見て、私は小さくため息を吐きながら教室へ足を踏み入れた。
「もう十七時ですからね。部活に所属していない生徒は帰宅しているのではないでしょうか」
「部活…」
「どうしましょう?外から運動部の声が聞こえますし、とりあえずグラウンドに行ってみますか?」
その問いへの返事は「はい」でも「いいえ」でもなく、何かが床に落ちる音だった。
「は?」と振り返ると、テディの足元に黒板消しやチョークが散らばっている。
「な、何やってるんですか!?」
「あはは、ごめんごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「ぼーっとって…さっき扉を開ける時も思いましたけど、私達は今潜入してるんですよ!?もっと緊張感を持って下さい!」
しゃがんで落とした物を拾っていると、「だからごめんって~」と言ったそばから緊張感のない声が近づいてきた。
「あーもう、せっかくの綺麗な靴がチョークの粉で真っ白じゃないですか」
「チョーク…」
「どうせ友達から借りたんでしょうけど、ちゃんと大事に使わないとダメっ…」
「ねぇ」
言葉を遮られ、ハンカチで汚れを拭う手が止まる。
顔を上げると、また空色の瞳が探るようにこちらを見つめていた。
「もしかして君、学校に来たことあるの?」
「?もちろん、ありまっ…」
す、と言い切る前に自分が今"オフィーリア"であることを思い出した。
「…せん!あはは、私は孤児ですから!」
(あっぶねぇ!前世とごっちゃになって、ありますって言うところだった…!)
すぐに笑って誤魔化したものの、詐欺師の目は欺けないようで、テディは「じゃあ」と私の手の中にあるチョークを指さした。
「どうして、これの名前を知ってるの?」
「そ、それは…」
言葉を詰まらせた、その時。
良いのか悪いのか、廊下から男子生徒の話し声が聞こえてきた。
「大変、どこか隠れないとっ…」
「こっち」
「え?」と声を漏らした直後、二人の男子生徒が教室に入って来る。
「あれ、教室が開いてる。不用心だなぁ」
「明日提出の課題を忘れたお前が言うな」
部屋の奥へ向かう男子生徒達の会話をーー
(ちーー)
私達は教卓の中で聞いていた。
(ちっっっっっか!)
茹でダコのように真っ赤な私の顔と対照的に、至近距離にある端正な顔は余裕そうな笑みを浮かべている。
「危なかったね」
「はっ、はい…」
砂糖を溶かしたような甘い声に囁かれ、耳の奥まで熱を帯びていく。
(やばいやばいやばいやばい!目でっか、鼻たっか、顔ちっさ!めちゃくちゃいい匂いするんだが~!?!?)
どこを見ても眩しすぎて、ついに私は視線を落としたけれど、匂いからは逃げられなかった。
(死ぬ…このままじゃ興奮死する!…ハッ、そうだ!九九で心を落ち着かせっ…)
「…普通だな」
頭上から落ちてきた低い声に顔を上げると、空色の瞳が曇り始めていた。
「ねぇ、どうやってヴィンセント様とカイくんを落としたの?」
「お、落とした?」
「…え、まさか気づいてないの?カイくんがあんなことしたのに?」
「あんなこと…?」
鸚鵡返ししかしない私を見て、テディは深いため息を吐いた。
「…ド陰キャ、クソガキ、女顔」
(いや、何の呪文??)
「俺達のあだ名だよ。俺と真逆で、カイくんは人の名前を覚えないんだ」
『ちょ待てや、ド陰キャ!』
『首洗って待っとけ、クソガキ!』
『気色悪ぃこと言ってんじゃねぇぞ、女顔!』
(確かに、ヴィンセント様のことも"サイコ野郎"って呼んでたな…)
「どうせすぐに離れていくと思ってるからだろうね。…そんなカイくんが君の名前だけは覚えた。それってーー」
大きな手に手首を掴まれ、軽々と持ち上げられる。
「君を離したくないって思ってるからじゃないの?」
(じゃあ、あの時言おうとしたのは………)
鮫のようなギザギザした歯が脳裏に蘇る。
再び顔に熱が集まりかけた瞬間、「あーあ」とテディが肩を落とした。
「ガッカリだなぁ。あの二人を落としたから一体どんな子かと思えば、こんなつまんない子だったなんて」
(つまんない!?)
「しかも、任務の役にも立たないただのバカ」
(バ、バカ~!?!?)
「あ、安心して、別にカイくんのことをヴィンセント様にチクる気はないから。君はともかく、彼に居なくなられるのは俺も困っ…」
「ええ、私はバカですよ」
言葉を遮ると、テディは目を見開いた。
「足も遅いし力もないですよ。でも、ただのバカではありませんーー」
顔を上げて、先程まで直視できなかった顔を睨みつける。
「諦めの悪いバカですっ」
その瞬間、雲が晴れたような気がした。
しかし、まるで日傘を差したように、その瞳は前髪で隠されてしまう。
「だから、あなたみたいにすぐ諦める天才より、私の方が任務に役立てるはず…って、何震えてるんですか?」
「いや、まさかバカ宣言するとは思わなくて…しかも、あんな堂々と…くくくっ」
笑いを堪えていたテディは、目尻に浮かんだ涙を拭き、ゆっくり顔を上げた。
「じゃあ、俺も諦めないで待とうかなーー」
綺麗な顔が間近に迫り、息が止まる。
「君が、俺を落としてくれるまで」
彼の吐息が唇にかかって、まるでキスしてるみたいだった。
「…………………………は?」
「あっ、見つけたー!」
突然響いた大声に、私達の肩が同時に跳ね上がる。
「ふぅ、これで怒られずに済む」
「いや、そんな汚ないプリント提出したら逆に怒られるだろ」
色んな意味で助かったと私が胸を撫で下ろした、その時。
「…って、やっべぇ!おい、そろそろ出ないと門限間に合わねぇぞ!」
「え、もうそんな時間!?ちょ、ちょっと待て、すぐ片付けるから!」
「急げ急げ!…ったく、寄り道できねぇし、休みの日は外出禁止だし、デレクのせいで最悪だ」
(デレク…!)
「本当だよな。あいつがあんな時間に大聖堂前で殺されなければこんなことにはならなかったのに」
大聖堂前。
その言葉を聞いた瞬間、私達は何の合図もなく目を合わせた。
「いや、それを言うならーー」
「修道院の女に襲いに行かなければだろ?」




