ルーカスと拒絶
(や、やってしまったあああああ!)
行き先も決めずに部屋から飛び出した私は階段の踊り場で頭を抱えていた。
(あんな怒ってるヴィンセントの命令に逆らうなんて…殺される!モザイクなしじゃ放送できないぐらい残酷に殺されるっ!)
自分主演のスプラッタ映画を脳内で再生してしまい、震えと涙が止まらない。
「ゔぅ、まだ誰も味方にできてないのに…もう一人で逃げるしか……」
「何ブツブツ言ってるんですか?」
「え?」
振り返ろうとした瞬間、足が階段の縁を滑り、ふわりと体が浮いた。
(ああ、今世も十八歳で死ぬのか。せめて十九歳になりたかった、な……)
死を覚悟して目を瞑ったのに、衝撃ではなく柔らかい温もりが体を包み込む。
「あれ?」と恐る恐る目を開けるとーー
「今度は上からですか」
「ル、ルーカス様!」
この温もりの持ち主とは思えないほど冷めた目に見下ろされていた。
(…って、ちょっと待って!もしかしなくてもお姫様抱っこされてない!?)
少女漫画のようなシチュエーションに私の顔は熱を帯びていく。けれどーー
「次は下からですか?それとも斜めから?」
降り出した嫌味に一瞬で冷やされた。
「…普通に前からの予定です」
「それは残念。あなたならモグラのように現れてくれると思ったのですが」
「誰がモグラですか!誰が!」
「ぴったりでしょう?だっ、て……………」
夕立のように突然嫌味が止む。
「ルーカス様?」と訝しげに問いかけると、彼は顔を背けて呟いた。
「………見えてますよ」
「?見えてるってなに、が……………あ」
(ああああああああああっ!)
視線を落とすと、はだけたブラウスから真っ白な下着が顔を出していた。
「み、みみみみないでください!」
「それを言うなら見せないでください、迷惑です」
「迷惑!?今迷惑って言いました!?」
「はい、迷うに惑うで迷惑って言いました」
「いくらこちらの不注意とはいえ、女性の下着を見といてあなたねぇ…っ」
「女性??」
「心底不思議そうな顔するの止めてもらっていいですか?一つ歳上ですよー?」
「ああ、すみません。あまりに凹凸のない体だったので忘れてました」
「おい」
ルーカスは胸を隠す私をそっと床へ降ろした。
毒舌とは裏腹に、その動きは驚くほど優しく胸で渦巻いていた怒りが萎んでいく。
「それにしても、気が緩みすぎなんじゃないですか?独り言は大きいわ、階段から落ちるわ、ボタン留め忘れてる上にーー」
ほんのり温かい手がボタンを留め終えた私の右手を掴む。
「取れかけてるなんて」
「あ…」
袖からぶら下がるボタンに気づいた私を見て、ルーカスは深いため息を吐いた。
「………じっとしててください」
そう言って、彼は懐から取り出したソーイングセットでボタンを縫い直していく。
「………ルーカス様って、弱点とかあるんですか?」
「嫌がらせでもするつもりですか?」
「しませんよ!ただ頭も剣の腕も良いし、爆弾も解体できるし、こうやって裁縫も出来るし、逆にできないことあるのかな~って…」
「言っときますけど、いくら褒めても昨日の貸しはなかったことにしませんよ」
「え!?あれってカイル様だけじゃないんですか!?」
「当たり前です。カイルさんとあなたの頼みでしょう?」
(げぇ、こいつに借りを作るなんて、ヤクザにお金を借りるようなもんじゃない…)
「その件じゃないなら、一体何のために僕を褒めるんですか?目的は?」
「いや、疑いすぎじゃないですか?………強いて言うなら自分のためです」
「自分のため?」
「はい、思ったことは口に出した方が楽なので」
パチン、と糸を切る音がした。
袖を見ると、新品かと錯覚してしまうぐらいボタンが綺麗に縫い付けられていた。
「わぁ、ありがとうございます。あはは、先程の件といい、あなたには助けられてばかりです、ね……」
紺青色の瞳がこちらを見つめていた。
夜の海のようだなと思っていると、ようやく瞬きをしたルーカスが視線を逸らす。
「すみません、そんな風に褒められたことがなかったので驚いてしまって」
「褒められたことがない…?」
「…………………………僕は、失敗作ですから。自分で自分の体を縫って破れた部分を隠しているだけにすぎない」
自虐的な笑みを浮かべながら、ルーカスは裁縫道具を仕舞う。
「そんなことより、ヴィンセント様がどこに居るか知ってっ…」
「こんなところで何をしているんだ?ルーカス」
背後から重厚感のある声が聞こえてくる。
振り返ると、そこには群青色の髪に紺青色の瞳をした男性が立っていた。
「父上…」
(父上ってことは、この人がダニエル・クロード侯爵…!)
私を一瞥したものの、公爵は何も言わずにこちらへ向かって歩き出した。
「私はヴィンセント様を謁見の間に連れてくるように命じたはずだが?」
「申し訳ございません。お探ししたのですが見当たらず、今この者に確認をっ…」
パシン、と乾いた音が響く。
見上げると、ルーカスの頬が赤く染まっていた。
「騎士のくせに主人の居場所も知らないのか?」
「…申し訳、ございません」
(なに、これ………)
目の前の光景に思考が停止する。
こんな言葉を、声を、視線を、自分の子供に向ける親がいるのだろうかと。
「あまつさえメイド風情に助けを求めるとは…この失敗作が」
『…………………………僕は、失敗作ですから』
ルーカスの痛々しい笑みが脳裏に浮かぶ。
「全く、貴様はどれだけ私とオリビア様に泥を塗れば気が済っ…」
「あのっ」
気づくと、私はクロード公爵の言葉を遮っていた。
「お、おいっ」と珍しく焦った声を上げながら、ルーカスは私の肩を掴む。
「確かに性格は少し…いや、かなり問題がありますけど、あなたが彼の良さに気づいていないだけで失敗作ではありません!それにーー」
『はぁ、何やってるんですか…』
『………言っときますけど、僕の貸しは高いですからね』
『今度は上からですか』
「あなたの作品でもありませんから!」
啖呵を切った瞬間、隣から息を呑む音が聞こえた。
「……………ほう」
冷たい手が私の頬を掴んで強引に引き寄せる。
「いっ…」
「あれはメイドの躾すらできていないようだな」
紺青色の瞳が目の前まで迫る。
凍りついた真冬の夜の海のような瞳に自然と体が震えた。
「…十五分だ」
「え?」
「失敗作じゃないなら、十五分以内にヴィンセント様を謁見の間までお連れしろ」
そう言い捨てて、クロード公爵は去って行った。
嵐が通り過ぎたように辺りは静まり返る。
「………って、言ってますけど、どうしましょうか?ルーカスさっ…」
そう肩に触れようとした瞬間ーー
「え?」
ルーカスは私の手を振り払った。




