ヴィンセントと抵抗
(あれ?私はどこに向かってるの?)
いつの間にか、私は見覚えのある草地を歩いていた。
暖かい陽の光を浴びて野花が輝き、優しい風が頬を撫でる。
その風に背中を押されるように、私は木漏れ日の下で眠る少年の顔を覗き込んだ。
「ヴィンセント様」
髪を耳にかけながら名前を呼ぶと、亜麻色の長いまつ毛が震え、菫色の瞳にいつもより幼いオフィーリアの姿が映った。
(そうか、これはオフィーリアの記憶だ…)
「オフィ…。どうしてここに……」
「そろそろチャペルへ向かう時間なのにお部屋にいらっしゃらなかったので」
「いや、そうじゃなくて、どうして僕の居場所が分かったの?」
「どうしてってーー」
そっと膝を折り、草の上に腰を下ろす。
「よく窓からこちらを眺めているではありませんか」
動かぬ若草色の瞳とは対照的に、菫色の瞳がほんの微かに揺れる。
「………君は僕のことを見てるんだね」
「はい、私はヴィンセント様のメイドですから」
たった一言に、ヴィンセントは「そうだね」と心の底から嬉しそうに微笑む。
初めて見た彼の歳相応な笑顔に心臓が跳ねると同時に何故か既視感を感じた。
「それより早くチャペルへ向かいましょう。ラウデスが始まってしまいます」
「…別に構わないよ」
「ですが、毎日参加されているヴィンセント様が欠席されたら皆さん心配っ…」
「心配なんかしないさ」
言葉を被せられ、オフィーリアは「え?」と首を傾げる。
「むしろ、もう神託に存在しない僕なんて死ねばいいのにと思ってるはずだよ」
「存在しない?」
「あれ、話してなかったっけ?女神の神託だと、僕は八歳で死ぬことになってるんだ。皇后陛下…母上に手をかけられてね」
元々の性格なのか、記憶を失ったせいなのか、オフィーリアは感情が乏しい。
そんな機械のような彼女でさえ言葉を詰まらせているというのに、ヴィンセントはまるで他人事のように平然と話し続ける。
「あ、でも安心して。母上は階段で足を滑らせて亡くなったし、父上やその取り巻きも死んでくれと思っていても、今更殺そうとは思ってないだろうから」
「………皇后陛下を恨んでいるのですか?」
「恨んでないよ。ただーー」
朝だというのに、まだ夜を宿した瞳がこちらを貫く。
「女神には消えて欲しいと思うけどね」
草の香りに混じって、湿っぽい土の香りが鼻腔をくすぐる。
闇をうつした瞳も相まって、その香りは女神に対する憎悪のようだった。
「あはは、そんな不安そうな顔をしなくても、こんな話君以外にはしないよ。この帝国において、女神への不敬は誰であろうと絞首刑だからね」
そう言うと、ヴィンセントはこちらに手を伸ばす。
「きっと、あの女に嫌われてる僕は天国へは行けない。…だからさオフィ、君が落ちてきてよ。地獄でも可愛がってあげるから」
氷のように冷えた手が、同じく冷たいオフィーリアの頬に触れる。
その瞬間、またしても世界はノイズに包まれ、意識が砂のように崩れていった。
××××××××××××××××××××
「ーー以上です」
見慣れた部屋の中、私は任務の報告をしながら、いつも通りヴィンセントの首元にクラバットを巻いていた。
こっそり彼の顔を見上げて今朝見た夢を思い出す。
『あれ、話してなかったっけ?女神の神託だと、僕は八歳で死ぬことになってるんだ。皇后陛下…母上に手をかけられてね』
(ヴィンセントも女神の被害者だったんだ。カイルと同じように……)
視線を下げると、数時間前まで朱く染まっていた自分の手が視界に入る。
鼻の奥を刺すような鉄の匂いも彼の一部だと主張するような温かさも鮮明に覚えていて、洗ったはずなのにまだ血が染み付いているような気がした。
あの後、カイルは私の腕の中で意識を失った。
「カイル様?…っ、カイル様!!」
名前を呼んでも体を揺さぶっても反応がない彼に頭が真っ白になる。
泣きそうになったその瞬間、ルーカスとテディが駆けつけてくれたのだ。
(あとは任せてくださいって言われたから、エイダンのこともカイルのことも任せちゃったけど大丈夫だよね?……ああ、いつもみたいにカイルに怒られたい)
どうやら大丈夫じゃないのは私のようだ。
嫌な予感を振り払うように頭を小さく振ると、頭上から柔らかい声が降ってきた。
「カイルのことが心配?」
「え?ええ、まぁ…」
「へぇ、随分と仲良くなったんだね」
「仲良く………」
『悪かった。………心配、かけて』
『……………やる』
『お前となら楽しそうだ』
『そばにいねぇと守れねぇだろ、バカ』
カイルと過ごした三日間が脳裏に蘇る。
「そう、ですね」
思わず笑みが零す私にヴィンセントは何も言わなかった。
「これもヴィンセント様に協力していただいたお陰です、ありがとうございます。他の方々とも親交を深めたいので、ぜひまた個人任務をっ…」
「寝たの?」
聞き間違いかと疑うような突拍子のない発言に、私は「え?」と顔を上げる。
その瞬間、息が止まった。
微笑んではいるものの、菫色の瞳は怒りを通り越して狂気を宿していたからだ。
「ね、ねてません…」
声が震える。
今すぐ逃げ出したいのに足が凍りついたように動かない。
「一晩中一緒に居たのに?」
「何で知っ…」
「知らないわけないじゃないか。…君、自分が誰のものか忘れちゃった?」
そう言って、ヴィンセントは私の頭を触れる。
このまま握り潰されてしまうのではと錯覚するぐらい、彼は殺気を纏っていた。
「一昨日の夜、何してたの?」
「雨宿り、してました。雷も酷かったので」
「その間は?」
「お、お話をしてました」
「どこか触れられた?頭?唇?胸?それともーー」
白くて長い指が体をなぞり、甘い香りが毒のように絡みつく。
「全部?」
耳元で囁かれた瞬間、カイルに抱き締められた記憶が頭を過ぎり顔が熱を帯びる。
そんな私を見て、貼り付けていた微笑みさえボロボロと剥がれ落ちていった。
「……………脱いで」
「え?」
「聞こえなかった?脱いでって言ったんだ」
冷えきった声に押されるように、私は一歩後ろへ下がった。
巻いてる途中だったクラバットがヴィンセントの首元からはらりと滑り落ちる。
その境界線を踏みつけて彼は私に近づいた。
「まさか脱げない理由なんてないよね?」
そう言うと、彼は私のブラウスのボタンを一つ、また一つと器用に外していく。
露になった真っ白な首元に彼から贈られたスピネルのネックレスが輝いていた。
(確かにヴィンセントが想像してるようなことはない。でもーー)
「り、理由ならあります…っ」
俯いたまま、私は次のボタンを外そうとするヴィンセントの手を掴んだ。
「………何?」
「何ってーー」
「恥ずかしいからに決まってるじゃないですか!」
火照った顔で睨みつけると、ヴィンセントは驚いたように瞬きを繰り返す。
その隙をついて、私は彼の手を振り払い、「失礼します!」と部屋を飛び出した。
「………………温かい」
手首に残る温もりを確かめながら、彼は静かに呟く。
寂しげに零れた言葉はそのまま静寂へと吸い込まれいった。




