カイルと任務2
「やっぱり、何も残ってないですね…」
瓦礫と化した酒場の前、私達は立ち尽くしていた。
「近隣の住民に聞き込みしてみますか?………カイル様?」
返事がないので振り向くと、カイルは眉を顰めていた。
「……………臭うな」
「失礼な!あなたと違って、毎日お風呂入ってますよ!」
「失礼なのはてめぇだ!俺だって、毎日入っとるわ!…じゃなくて、こう…硫黄を燃やしたような臭いがしねぇか?」
「いや、そんな臭いしませんけど……………あの、早く帰りたいから適当に言ってるわけじゃないですよね?」
「さっきからお前は俺を怒らせたいらしいな」
カイルはピクピクと青筋を立てていたけれど、吐き出したのは怒鳴り声ではなく、深いため息だった。
「…つーか、よく考えたらおかしくね?何で酒場が夜に営業してねぇんだよ?」
「確かに………定休日だった、とかでしょうか」
「いや、それはねぇ」
突然歩き出したカイルを追い掛けると、斜向かいの掲示板の前で立ち止まった。
「見ろ。この店の定休日は土曜だ」
「七日前は金曜日…」
「ああ。どうやら金曜だけ閉店が早いみてぇだな」
「稼ぎ時に営業してないなんて、気になりますね」
「そうだな。……………とりあえず、あそこの酒場に入ってみるか。何か情報が手に入るかもしれねぇ」
「そうですね…」
そう言葉を交わした私達は、放火現場の真向かいにある酒場に足を運んだ。
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扉を開くと、店内は人でごった返していた。
「うわ、凄く混んでますね。………って、大丈夫ですか?顔色が悪いですけど」
「大丈夫なわけあるか。ああクソッ、色んな臭いが混じって気持ち悪りぃ…」
“お酒で“ではなく、“臭いで“酔い、今にも吐きそうなカイルに気を取られている内に、若い男性スタッフが駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませ~!何名様ッスか?」
「あ、私達は…」
「二人」
隣から聞こえてきた死にそうな声に、私は「えっ」と驚きの声を漏らす。
「二名様ッスね。ご案内しまーす!」
人の間を縫うように進むスタッフの後を追いつつ、私はカイルに話し掛けた。
「…あの」
「んだよ?」
「私達は放火事件について聞きに来たんですよね?このままではお客さんだと勘違いされるのでは?」
「勘違いじゃねぇ、俺達は客だ。客のフリをして、話を聞き出せ」
「聞き出せって…まさか、私に全部押し付ける気じゃっ…」
「こちらでーす!」
私の言葉を遮り、スタッフが足を止める。
案内された席に座るカイルを見て、私も不満を飲み込んで腰を下ろした。
「ご注文はお決まりっスか?」
「コーラ」
「あれ、お酒じゃなくていいんスか?あ、ちなみに、俺のおすすめは…」
「コーラ」
ギロリと睨まれ、スタッフは肩を竦める。
「か、かっしこまりましたー。えっと、お嬢さんは?」
「私は………りんごジュースで」
「了解!少々お待ちくださいね~」
そう言って、男性スタッフは厨房へ向かう。
臭いに慣れてきたのか、先程より血色が良くなったカイルは頬杖をついた。
「案外真面目なんですね。仕事中とはいえ、一杯ぐらい飲んでも怒りませんよ」
「別に仕事中じゃなくても飲まねぇよ」
(仕事中じゃなくても?もしかして……)
「苦手なんですか?お酒」
「あ?……………あぁ!?俺に苦手なもんがあるわけねぇだろ!」
「でも、飲めないんですよね?」
「飲めないんじゃねぇ、飲まないんだ!」
「どっちも同じじゃないですか…」
「違ぇわ!飲めないだとっ………その、かっこ悪ぃ…だろ……」
さっきまでの威勢はどうしたのか、カイルは恥ずかしそうに視線を逸らす。
「別にかっこ悪くないと思いますけど」
深紅の瞳がこちらを見つめる。
「正直体に良くはないですし、飲まないことに越したことはないですから」
「…………………………お」
「お待たせしました!コーラとりんごジュースでーす!」
カイルが口を開いた瞬間、先程のスタッフがテーブルの上にジョッキを置く。
ビクッと肩を震わせ、顔を背ける彼の分も、私はお礼を口にした。
「ありがとうございます。お忙しいのに」
「いやいや、そんなに忙しくは………ありますね」
「やっぱり、金曜日の夜だからですか?」
「それもありますけど…ほら、ちょっと前に向かいの酒場で火事あったでしょ?そのせいというかお陰で、うちにお客さんが集中してるんスよ」
火事という単語に、私は思わず反応してしまう。
「そ、それは大変ですね…」
「そうなんスよ。…あ、でも、今より店長が寝込んだ時の方が大変でしたね。あそこのオーナーとうちの店長、一緒に土曜日のミサへ行くぐらい仲が良かったから」
「土曜日のミサ…もしかして、オーナーさんは女神派だったんですか?」
「そうそう、そのために金曜日は早く閉店して、土曜日は定休日にしてるぐらい熱狂的な信者ッスよ」
(女神派…)
「………そのオーナーとは会ったことがあるのか?」
普通に聞いても答えると判断したのか、今まで沈黙を貫いていたカイルが、唐突に質問を投げ掛ける。
案の定、スタッフは一瞬驚いた表情をしたものの、スラスラと答え始めた。
「会ったことどころか話したこともありますよ。よく店長に会いに来てたんで」
「最近、何か変わったことはなかったか?」
「変わったこと?………あ、そういえば、最近店内を模様替えしたって言ってたな。家具とかカーテンとか全部」
(模様替え…は、事件に関係なさそうね……)
そう考えているとーー
「は、離してください!」
女性の声に店内が静まり返る。
「いいじゃねぇか、一杯ぐらい付き合ってくれよ~」
視線を向けると、女性スタッフが酔っ払った中年男性に絡まれているようだった。
ヒソヒソとした声が行き交う中、カイルは何も言わずに立ち上がった。
「カイルさん?」
そして、そのまま歩き出すとーー
「目ぇ、覚めたか?」
カイルは中年男性の頭にコーラをぶちまけ、ジョッキを投げ捨てた。
再び静まり返った店内で、彼の予想外の行動に、私の頭は思考停止する。
「……………カイルさん!?」
「あぁ!?」と声を上げた中年男性と我に返った私は、ほぼ同時に立ち上がる。
「ついでに鏡見ろ。金も貰ってねぇのに、誰がてめぇの汚い面見ながら酒飲むんだよ。不味くなるわ」
「てめぇ、今なんつった!」
「耳まで悪いんか?風俗行けっつったんだよ、クソジジイ」
「こんのクソガキっ…」
殴り掛かろうとした中年男性を、スタッフ達が必死で抑え込む。
この状況でも逃げようとしないカイルの手を、私は後ろから掴んだ。
「とりあえず、一旦出ましょう!」
「はぁ?何でだよ?」
「何でも!」
怒号を浴びながら、私達は酒場を後にした。
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「どうしてあんなことしたんですか!?」
誰もいない路地裏で問い詰めると、カイルは耳を塞ぎ、顔を歪ませる。
「うるせぇ、でかい声出すな…」
「出させてるのはあなたです!女性が困っていたとはいえ、もっと穏便に解決できたでしょう?仕返しされたらどうするんですか!?」
「だからだ」
「え?」
「ガッシリとした体、傷だらけの顔、何よりテーブルに立て掛けられた大剣、どう見てもあの男は傭兵だ。一般人じゃ対抗できねぇ」
「あ、あなただって、仲間を連れて来られたら負けるかもしれません!」
「負けねぇよ」
「じゃあ、怪我してしまうかもしれないじゃないですか!あなたが怪我したら、誰かが心配するとか考えないんですか!?」
「心配?………ハッ、俺なんかの心配する奴なんているわけねぇだろ」
自嘲する顔が、愛に飢えていた前世の私と重なった。
「………いますよ」
「あ?」
「私が、心配します」
一瞬見開いた深紅の瞳が濁っていく。
「…………………………俺の心配じゃなくて、自分の心配だろ」
そう吐き捨てて、カイルは背を向ける。
「カイっ…」
「お前を見てると、イライラする」
遠ざかる背中を、私は追い掛けることができなかった。
彼の心が閉じる音が聞こえた気がしたから。