カイルと掃除3
(殺される…っ)
そう目を瞑ったものの、痛みは訪れず、代わりに刃がぶつかり合う音が響く。
恐る恐る目を開けると、今朝タイディの拠点前で見掛けたジャックらしき青年が、アランの攻撃を剣で受け止めていた。
「え、」
唖然とする私の目の前で、青年は包丁を弾き、逆に下段から斬り上げる。
「ぐああああああっ!」
鮮血を撒き散らし、アランは呻き声を上げながら崩れ落ちた。
青年は剣を払って鞘に収めると、血に濡れた顔のままこちらに振り返る。
「………」
吸い込まれそうな漆黒の瞳。
視線が絡んだ瞬間、胸が強く跳ねた。
「大丈夫か?」
「は、はいっ、大丈夫です!むしろ、あなたの方こそ、顔に血が…」
「…問題ない」
そう手で拭おうとする青年に、私はハンカチを差し出した。
「手が汚れてしまいます。これ、使ってください」
「………」
(いや、だから何で何も言わないのよ!)
今朝同様、青年は何も言わずにこちらを見つめる。
無反応な彼に痺れを切らして、私は「失礼します」と勝手に血を拭った。
「そういえば、結局あなたは…」
ジャックさんですか?
そう聞こうとした瞬間、
「おいコラ、ド陰キャ!」
カイルの怒鳴り声に遮られた。
(ド陰キャってことは…やっぱり、この人がタイディのジャックだったんだ)
私がハンカチを仕舞う間に、カイルはズカズカと大股で近づいてきた。
「てめぇ、何サラッと美味しいところ横取りしてんだよ!?」
「美味しいところ?…ああ、プリンの件か。テディから聞いた、悪かったな」
「悪かったな、じゃねぇよ!一発ぶん殴らせ、ろ…って、違ぇわ!」
「じゃあ、クッキーの件か。悪い、美味しそうだったからつい」
「それもてめぇの仕業か!殺す!殴るんじゃなくて殺…いや、だから違ぇって!」
噛み合わない会話に、カイルの眉間に皺が寄っていく。
「俺が今聞いてんのは、どうして俺の獲物を、関係ねぇてめぇがとどめを刺したのかってことだよ!?ていうか、そもそも何でてめぇがここにっ…」
「僕が提案しました」
カイルの怒号を遮ったのは、部屋の外から聞こえた冷静な声だった。
振り返ると、扉口にルーカスとテディが立っていた。
「ルーカスさん!テディさんも!」
「やっほー」と手を振るテディの隣で、ルーカスは淡々と説明を続ける。
「拠点に戻ってきたジャックさんに報告したところ、以前近隣の町でも似たような事件が起きていたそうです。同一犯の場合、人数が多い方がいいと判断しました」
「そゆこと~」
「いらねぇよ!こいつの手伝いなんかなくても俺だけでっ…」
「オフィーリアさんを犠牲にして?」
たった一言で、吠えていたカイルを黙らせる。
「ヴィンセント様のお気に入りに何かあれば、次の掃除対象はあなたです。強さに驕って、油断するのは止めてください、迷惑です」
冷たく突き放されたカイルは俯き、悔しそうに唇を噛む。
険悪な雰囲気を和らげるように、テディが「まぁまぁ」と明るい声を上げる。
「結果無事だったんだからいいじゃん。そんなことより、騎士団に見つかる前に早く揉み消した方がいいんじゃない?」
テディがルーカスの頭に手を置くと、低身長を気にしている彼は、「分かってますよ」とムッとした表情でその手を振り払う。
「僕が引越しの手続きをするので、テディさんとカイルさんは部屋の掃除を…」
「えぇー、こんな汚い部屋を掃除するの?めんどくさいなぁ」
「では、テディさんが手続きをしますか?何故扉が壊れてるのか、何故家主でもないあなたが解約するのか説明して…」
「掃除シマス」
「理解が早くて助かります」
テディとの会話を切り上げたルーカスは、今度はジャックに視線を向ける。
「そしてジャックさん、あなたは死体処理とヴィンセント様への報告を。ついでにオフィーリアさんを城まで送り届けてください」
指示されたジャックではなく、私が「え?」と声を上げる。
「いえ、そんなお構いなく。一人で帰れますか、ら…」
断る私をよそに、ジャックは自分より大きなアランの死体を軽々と担ぐとーー
「行くぞ」
そう短く告げ、私の返事を待たずに歩き出した。
「いや、ちょっとっ…」
「先程も言った通り、あなたに何かあれば僕達がヴィンセント様に殺されてしまいます。廃教会と城は同じ方向ですし、僕達のためにも黙って送られてください」
「そうそう、甘えちゃいなよ。ほら、早く追いかけないと見失っちゃうぞ~」
「えっと、じゃあ、お疲れ様でした?」
お疲れ様という言葉が飛び交う中、ただ一人、カイルだけは黙り込んでいた。
その異様な静けさが胸に引っかかりながら、私は部屋を後にした。