カイルと掃除2
死体に歓迎されるなんてことはなく、むしろ必要最低限な物しかない自宅へ足を踏み入れると、右手には二階へ続く階段、左手には奥の部屋へ続く廊下があった。
「…こっちだ」
クンクンと臭いを嗅いで、土足のまま階段を上がっていくカイルの背中を、私は「お邪魔します」と脱いだ靴を揃えてから追い掛ける。
「開けるぞ」
階段を上がった先にある部屋の扉を開けたカイルは、手探りで照明をつける。
明るくなった部屋には、被害者の血液が付着した凶器や指輪を製作するための道具が散乱している作業台と、左手が飾られているショーケースが置かれていた。
「こ、これは…」
ただ立ち竦む私とは対照的に、ルーカスに言われた通り、慣れた様子で証拠を探し回るカイルは、部屋の隅に置いてある黒いゴミ袋に近づき、しゃがみ込む。
「掃除対象で決まりだな」
きつく縛られた黒いゴミ袋をいとも簡単に開けたカイルは不敵な笑みを浮かべた。
「何ですか?それ」
「生首」
「な、ななななまくび!?」
「うっせぇ、でけぇ声出すな!」
「す、すみません…」
(あんたの声の方が余っ程でかいわよ!)
「ったく、切断されてた被害者の頭部だよ。で、そっちが左手。クソガキの言う通り、どうやら犯人の目的は左手だけだったみてぇだな」
そう袋を閉め直したカイルは立ち上がり、壁際に置かれたショーケースに近づく。
「…それにしても、何故左手なんでしょうか」
「何でって、これを嵌めるために決まってんだろ」
「こ、これって…」
コンコンとショーケースを指で叩くカイルに恐る恐る歩み寄ると、飾られていた左手にはシンプルな指輪が嵌められていた。
「指輪?……………まさかっ…」
「そう、僕が作った指輪を飾るための台座が欲しかったんだ」
突然部屋の外から男性の声が聞こえてきた。
開けたままにしていた扉へ振り返ると、そこにはアラン・バーナードと思わしき大柄な男性が包丁を左手に立っていた。
「女性の細くて白い指に嵌めてこそ、指輪は美しいからね」
不気味な笑みを浮かべるアランから私を庇うように、カイルは1歩前に出る。
「ようやくお出ましか、変態野郎」
「変態って、君、この芸術の素晴らしさが分からないのかい?可哀想に」
「あ?可哀想なのはてめぇの感性だ」
カイルが腰の鞘から剣を抜いて構えると、アランの顔から笑みが消える。
「その話しぶりだと僕の作品を鑑賞するために扉を蹴破ってまで不法侵入した訳じゃなさそうだ。…もしかして、僕を逮捕でもしに来たのかな?」
「逮捕?ハッ、何生ぬるいこと抜かしてやがんだ。俺はてめぇを捕まえに来たんじゃねぇ、この汚ぇ部屋ごと掃除しに来たんだよ!」
そう言い捨てたカイルが一息で距離を詰め、上段から斬り掛かる。
電光石火のような攻撃を、アランは左手に持っていた包丁で受け止めて弾き返す。
カイルが加速したのか、アランが減速したのか、何度目かの攻防で、
「遅せぇ」
「ぐあっ」
ついにアランの左肩から鮮やかな血飛沫が舞う。
(テディが言ってた通り、人間離れした身体能力ね。カイルが圧倒的に優勢だわ)
出血する左肩を押さえたアランに、カイルは容赦なく追い討ちを掛ける。
息をする間もない追撃を避けると、よたよたとショーケースの方へと逃げていく。
「逃がすかよ」
また一気に距離を詰め、剣を振り下ろすカイルを見て、これから繰り広げられるであろうグロテスクな光景を想像した私は俯き、ぎゅっと目を瞑る。
しかし、聞こえたのは肉を斬る音ではなく、ガシャンとガラスが割れる音だった。
「え?」と顔を上げて目を開くと、そこにはショーケースから剣を引き抜くカイルと、床を見つめ、魂が抜けたように膝から崩れ落ちるアランの姿があった。
「ちっ、ちょこまかすんじゃねぇよ。後で片付けんのが面倒臭くなるだろうが」
「あ、あ、あ、」
「おい、聞いてんっ…」
「あああああああああああああああ、ぼ、僕の最高傑作がぁっ」
頭を抱えながら絶叫するアランを見て、私達は驚きのあまり言葉を失う。
彼の視線の先には散らばったガラスの破片の中に指輪だけでなく、親指と人差し指と中指、薬指と小指で分裂した左手が転がっていた。
「指輪を指に嵌めなくては、女性の左手薬指に嵌めなくては…」
壊れたロボットのように呟いていたアランは動きが止め、ゆらりと立ち上がる。
「あ、そうだ、彼女の左手を貰えばいいじゃないか」
「え、」
虚ろな瞳と視線が交わる。
その瞬間、アランはこちらに向かって走り出した。
「…っ、避けろ!綿毛!」
珍しくカイルの焦った声が聞こえる。
いつの間にか振り下ろされた包丁に、私は目を瞑ることしか出来なかった。