第42話:失墜の罠、リオの決断
フロンティアの往来、昼下がりの穏やかな陽光とは裏腹に、リオの周囲には不穏な空気が漂っていた。目の前に立つ商人風の男たち。その穏やかな物腰の裏に隠された冷徹な悪意を、【言語魔法】は明確に捉えていた。「影狼」――王国の闇に潜む特殊部隊。彼らは、前回の直接的な襲撃が失敗に終わったことを受け、より巧妙で、より社会的なダメージを与える罠を仕掛けてきたのだ。
「何か、ご用でしょうか?」
リオは警戒を解かず、努めて冷静に問いかけた。男たちの思考からは、「評判失墜」「証拠捏造」「民衆扇動」といった不吉なキーワードが断片的に読み取れる。彼らは、リオが何か不正な手段で「賢者」の名声を得ている、あるいはその力で悪事を働いているといった偽りの情報を流布し、彼を社会的に孤立させようと企んでいるのだ。
「ええ、少しばかり……。実は、我々は遠方から薬の行商に来た者なのですが、この街でリオ殿の素晴らしい治癒魔法の噂を耳にしましてな。ぜひ一度、そのお力を見せていただきたいと……」
リーダー格の男が、にこやかな笑顔で言った。しかし、その目の奥は笑っていない。
「と言いますのも、我々の仲間の一人が、旅の途中で原因不明の熱病にかかってしまいましてな。この街の医者にも診てもらったのですが、芳しくない。もし、リオ殿のお力で治していただけるのなら、謝礼はいくらでも……」
男はそう言って、近くの路地裏を指差した。そこには、顔色の悪い男が、ぐったりとした様子で壁にもたれかかっているのが見える。いかにも重病人といった風情だ。
(……罠だ。間違いなく)
リオは直感した。この状況自体が、彼らが仕組んだ芝居なのだ。おそらく、あの男は本当に病気などではなく、リオが治癒魔法を使えば、それを「効果がなかった」「むしろ悪化した」などと触れ回り、リオの評判を貶めるつもりなのだろう。あるいは、もっと悪質な場合、治癒魔法をかけた途端に男が「死んだ」ことにして、リオを殺人者に仕立て上げる可能性すらある。
周囲には、何人かの野次馬が集まり始めていた。男たちの声が大きかったためか、あるいは彼らが意図的に人を集めたのか。この状況で下手に断れば、「賢者なのに困っている人を見捨てるのか」という悪評が立つかもしれない。
(どうする……? この状況、どう切り抜ける……?)
リオの脳裏で、様々な選択肢が高速で回転する。
1. **断固として治療を拒否する:** しかし、それでは「冷酷な賢者」というレッテルを貼られかねない。
2. **治療を試みる:** だが、それは相手の思う壺だ。どんな結果になろうと、彼らに都合よく解釈されるだろう。
3. **その場から逃げる:** 最も無責任な対応であり、疑惑を深めるだけだ。
どれも、リオにとっては不利な状況に変わりない。
(……いや、待てよ。彼らの目的は、俺の評判を失墜させること。そして、俺の力の「秘密」を探ること……。ならば……)
リオの中に、一つの大胆な考えが浮かんだ。危険な賭けだが、この状況を逆手に取る唯一の方法かもしれない。
「……分かりました。俺にできることがあるか分かりませんが、一度、診させてください」
リオは、あえて男たちの申し出を受けた。周囲の野次馬から、わずかな安堵と期待の声が上がる。男たちは、計画通りに進んでいることに、内心ほくそ笑んでいるのが【言語魔法】で伝わってくる。
リオは、ぐったりとしている男の元へ近づいた。リリアナやグレイがいれば、もっと慎重な判断を促されただろう。しかし、今は一人だ。自分自身で決断し、行動しなければならない。
男の脈を取り、顔色を窺う。確かに、巧妙に衰弱しているように装ってはいるが、その瞳の奥には、隠しきれない健康的な光と、わずかな緊張の色が見える。
(やはり、仮病か……。だが、彼らが仕掛けた罠なら、何か「仕込み」があるはずだ……)
リオは【言語魔法】の感度を最大限に高め、男の体内を探る。すると、微弱ながらも、異質な魔力の反応を感じ取った。それは、男の体内に意図的に仕込まれた、遅効性の毒か、あるいは何らかの呪いの類だろう。リオが治癒魔法を使ったとしても、この「仕込み」が発動すれば、男の容態は悪化し、全てリオの責任にされるという算段だ。
(……汚い手を使いやがる……!)
リオは怒りを覚えたが、表情には出さなかった。
「……かなり、衰弱していますね。ですが、諦めるのはまだ早い。俺の魔法で、少しでも楽にしてあげましょう」
リオはそう言うと、右手を男の額にかざした。そして、治癒魔法【ヒーリング・ライト】を発動させる――かのように見せかけて、実際には別の魔法を準備していた。
それは、「賢者の迷宮」で得た啓示と、これまでの訓練の中で、彼が密かに研究を進めていた、新たな古代魔法の応用だった。
(【マテリアル・クリエイト】……そして、【言語魔法】による精密制御……。物質の組成を、直接操作する……!)
リオの目的は、治療ではない。男の体内に仕込まれた「毒」あるいは「呪い」の魔術的な構造を【言語魔法】で正確に読み取り、【マテリアル・クリエイト】の応用――物質変換に近い力――を使って、その構造を無害なものへと「書き換える」ことだ。これは、通常の治癒魔法よりも遥かに高度で、精密な魔力制御と、対象の構造への深い理解を必要とする、危険な試みだった。もし失敗すれば、男の体は取り返しのつかないダメージを受けるかもしれない。
しかし、リオには勝算があった。啓示によって高まった【言語魔法】の解析能力と、これまでの訓練で培ってきた【マテリアル・クリエイト】の制御力。そして何より、仲間を守り、この状況を打開したいという強い意志。
リオの掌から、淡い光が放たれる。それは【ヒーリング・ライト】の温かな光とは少し違う、より集束された、知的な輝きを帯びた光だった。その光が、男の体内にゆっくりと浸透していく。
周囲の野次馬や、罠を仕掛けた男たちは、リオが治癒魔法を行っているとしか思っていない。しかし、リオの意識は、ミクロの世界で繰り広げられる、魔術的な構造の解体と再構築に全集中していた。
(……見つけた。これが、毒の核か……。この魔術配列を……無効化する……!)
数秒間の、息詰まるような集中。リオの額からは、再び玉のような汗が流れ落ちる。そして……。
「……ふぅ」
リオは小さく息を吐き、手を離した。ぐったりとしていた男の表情が、わずかに変わった。苦悶の色が薄れ、代わりに、困惑と……そして、何かから解放されたような、安堵の表情が浮かんでいる。
「……あれ……? 体が……なんだか、軽い……?」
男は、自分の体に起こった変化に気づき、驚いたように呟いた。
「どうやら、あなたの体の中に、良くないものが巣食っていたようですね。取り除いておきましたよ」
リオは、何でもないことのように言った。
「なっ……!?」
罠を仕掛けた男たちの顔色が変わる。彼らの計画では、リオが治癒魔法を使った後、男の容態は悪化するはずだったのだ。それが、逆に回復してしまった。
「う、嘘だ! そんなはずは……!」リーダー格の男が狼狽する。
「おい、お前、本当に具合が良くなったのか!?」
「あ、ああ……。なんだか、ずっと肩にのしかかっていた重いものが、すっと消えたような……」
仮病を演じていた男も、予期せぬ体調の変化に戸惑いを隠せない。彼自身も、自分が本当に何らかの毒を仕込まれていたとは知らなかったのかもしれない。
周囲の野次馬たちからは、驚きと称賛の声が上がり始めた。
「すごい……! 本当に治しちまった!」
「やっぱり、賢者様は本物だ!」
「あんなに具合が悪そうだったのに……奇跡だ!」
男たちの企みは、完全に裏目に出た。リオの評判を失墜させるどころか、逆にその「奇跡の力」を、衆人環視の中で証明してしまったのだ。
「さて、と」リオは、顔面蒼白になっているリーダー格の男に向き直った。「あなた方の『仲間』は、もう大丈夫のようですね。何か、他に御用は?」
その声は穏やかだったが、その瞳の奥には、冷たい怒りの光が宿っていた。
「くっ……! お、覚えていろ……!」
リーダー格の男は、捨て台詞を吐くと、仲間たちと共に、そそくさとその場を立ち去っていった。彼らの背中には、野次馬たちからの嘲笑と、「影狼も大したことないな」といった囁き声が突き刺さる。
リオは、その場に残った仮病の男――今は本当に体調が良くなった男――に、静かに語りかけた。
「……あなたも、利用されただけでしょう。ですが、人に害をなす企みに加担したのは事実です。二度と、このようなことに関わらない方がいい」
男は、リオの言葉に何も答えられず、ただ俯いて震えていた。
この一件は、すぐにフロンティア中に広まった。「賢者リオ、王都から来た悪徳商人の仕掛けた罠を見破り、逆に病人を救う」という、やや脚色された美談として。リオの名声はさらに高まり、彼を陥れようとした者たちは、逆に面目を失う結果となった。
しかし、リオ自身は、決して楽観視していなかった。
(今回の危機は乗り越えられた。だが、敵は必ず次の手を打ってくる。そして、俺の力の特異性が、さらに彼らの警戒心を高めたはずだ……)
【マテリアル・クリエイト】の応用による「解毒」あるいは「解呪」に近い力。それは、通常の治癒魔法とは明らかに異なる、より根源的な力だ。この一件で、王国の闇は、リオ・アシュトンという存在を、単なる「便利な治癒魔法使い」としてではなく、真に「危険視すべき、未知の力を持つ者」として認識したに違いない。
リオの決断は、一時的な勝利をもたらしたが、同時に、彼と仲間たちを、より深く、そして危険な陰謀の渦中へと引きずり込んでいくことになったのだ。彼の「賢者」としての道は、ますます険しさを増していく。しかし、彼の心には、困難に立ち向かう覚悟と、仲間への信頼が、以前にも増して強く灯っていた。
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