17通 嘘を吐いたのは僕の方な件
ーー南ちゃんは、嘘つきだ。
『南ちゃんが十八になったら、俺を迎えに来て』
『……当たり前でしょ』
あの日、まっすぐにそう言って、笑ったくせに。何年経っても、南ちゃんは現れなかった。
『本気で好きだからこそ離れたい』ーーそんな、綺麗ごとみたいな言葉を残して。
手を繋いで、キスまでして。それで全部おしまいにしたのは、そっちのくせに。……それでも、俺は、待っていたんだ。
『どうせ来ない』って言いながら。
『もう忘れた』って顔をしながら。
『期待なんかしていない』フリをしながら。
ーー八年後
会いたかった。
ずっと、ずっと……会いたかった。
連絡先は変わって、消息も分からなくなって。それでも諦められなかった。会いたくて、声が聞きたくて、それでも何もできないまま、時間だけが過ぎていった。
ふとした拍子にスマホを開いては、何度もSNSで名前を検索してしまう。出てくるのは、同じ名前の『知らない誰か』ばかりで。
『別に、偶然見かけただけ』ーーそんなふうに言い訳をしながら、探す。
そんなある日、ほんの偶然だった。大学を卒業した、という書き込みを見つけて、心臓が跳ねた。
社会人になったと知り、俺は、気づくと、南ちゃんの職場の近くに来ていた。
ーー『偶然』を装って。
「……久しぶり、南ちゃん」
声が震えそうになるのを必死で抑える。けれど、目の前の南ちゃんは驚きすらせず、穏やかに微笑んだ。
「あ……海里くん」
まるで、ただの知り合いに再会したみたいな口調だった。懐かしいのに、どこか、遠い。
「……南ちゃんは、仕事帰り?」
「うん、まあね。そっちは……営業帰り?」
「……なんで分かったの?」
「ネクタイ、緩んでるから」
そんな他愛もないやりとりを交わしながら、俺は喉の奥に、言葉を詰まらせていた。
本当は、こう言いたかったのだ。
『迎えにきた』
『俺は、ずっと待っていた』ーーって。
けれど、南ちゃんは缶コーヒーを買って、当たり前のように、自販機の横のベンチに腰を下ろした。
「懐かしいね、こうして話すの。……なんか、昔に戻ったみたい」
声は優しいのに、どこか線を引かれている気がする。自分だけが『戻れない場所』に立っているように感じた。
「……懐かしむだけで、終わらせるつもり?」
やっとの思いでそう言った俺に、南ちゃんはまっすぐ俺を見た。
「……海里くん。僕たち、あれで終わったんじゃないの?」
頭の奥で、何かが爆ぜた。気づいたら、南ちゃんの肩を掴んでいた。
「『高校卒業したら、もう一度会ってほしい』って言ったの、そっちだろ!」
「……でも、会わなかった」
「違う! 俺は……ずっと、待ってた! なのに南ちゃんからは、何の連絡もなかった!」
声がうわずっていく。口から溢れる言葉は止まらなくて。もう、止められなかった。言葉が感情を追い越して、溢れ落ちる。
「……なんで、『全部過去のことです』みたいな顔でいられるの?」
張りつめていた糸が、ぐしゃぐしゃに切れる。南ちゃんの反応が、悔しくて、悲しくて、たまらなかった。
「……南ちゃんは、嘘つきだよ」
ぽろりと、一筋の涙が頬を伝う。
「『好き』って言って、俺を待たせて……結局、来なかった。忘れたフリをしているのは、南ちゃんの方じゃないの?」
沈黙が落ちた。周囲の音が、消えてしまったように思えた。
「……俺は、待ってたよ。ずっと、ずっとーー南ちゃんが迎えに来てくれるの、信じてた」
何年分の想いだったんだろう。気づけば、拳を膝の上で爪が刺さるくらい、ぎゅっと握っていて。カフェの喧騒が、遠くに感じるくらい、夜の空気が、冷たく染みる。
そして、南ちゃんの表情が、少しだけ崩れたのが分かった。
*
『南ちゃんは、嘘つきだよ』
その一言が、胸のど真ん中に、鋭く突き刺さる。
やめてよ。
そんな顔で言わないで。
そんな声で呼ばないで。
大人みたいに冷たくしてよ。
そうじゃないと、このまま、崩れてしまいそうだから。
あのときーー僕は、逃げた。
『卒業したらもう一度会って欲しい』なんて、言ったのに。いざ卒業したら、怖くなった。
もし、海里くんに新しい恋人がいたら?
もし、僕のことなんてもう覚えていなかったら?
そう、考えたら、足がすくんだ。いつの間にか大学生になっていて、気づいたら、社会人になっていた。だから、連絡先も送らず、タイミングを逃して、ずっと、見ないふりをして生きてきた。
『本当に好きだったから、もう会わない』
そう、自己満足の言い訳をして。
ーーでも、今日。
海里くんは、何も言わずに、会いに来た。僕がやらなきゃいけなかったはずのことを海里くんが、ちゃんと果たしてくれた。
ほんとは、泣きたかった。抱きしめて欲しかった。なのに、口から出たのは『懐かしいね、こうして話すの。なんか、昔に戻ったみたい』なんて、冷たい言葉で。
……僕は、ずっとずっと嘘つきだ。
「……ごめん、ね。ほんと」
笑おうとしたけど、声は震えていて。でも、もうそれしか言えなくて。『僕もずっと好きだった』なんて、言ったら泣いてしまいそうだった。
そんなの、大人になった『つもり』の僕には、格好悪くて出来なくて。僕は、その場で立ち上がり、海里くんの手を何も言わずに振りほどいた。
「……もう行くね。ありがとう、会ってくれて」
立ち上がって、そっと背を向ける。海里くんの手の感触が、まだ指先に残っていて。それを名残惜しく思いながらも、もう顔を見ていられなくて、一歩だけ、歩き出した。
「南ーー」
名前を呼ばれた声に、足がぴたりと止まる。ふと、振り返りそうになったけれど、それはできなかった。
目が合ったら、涙が溢れてしまいそうだったから。
だから僕は、そのまま歩き出した。
駅の雑踏の中に、何かを落として。
背中に、さっきまでの声が残る。
『南ちゃんは……嘘つきだよ』
その声が、いちばん優しくて、いちばん痛かった。