15通 好きだけど、距離を置くしかないときもある件
シャワーを浴びて戻ると、海里くんはもう、タオルケットにくるまって眠る体勢になっていた。小さく息をついて、そっと隣に滑り込む。
残っていたぬくもりが心地よくて、自然と肩の力が抜ける。耳元で、海里くんの呼吸が、静かに響いた。
「……起きてる?」
小さな声で尋ねると、すぐに返事が返ってきた。
「んーー、……起きてるよ」
眠たそうなその声が、くすぐったいくらいに嬉しくて。ぼんやりしていても、僕の声にだけはちゃんと応えてくれる。この人の、そういうところがずるくて……好きだった。
しばらく沈黙が落ちて。そして、意を決して口を開いた。
「ねぇ……来週も、デートしよ?」
「……うん。しよっか。……ずっとしよう」
〝ずっと〟。
そのたった三文字が、胸に刺さった。
優しい言葉だった。
でも、それを断ち切ろうとしているのは、ほかでもない、自分自身だ。
罪悪感が、喉の奥で重く渦巻く。それでも、言わなきゃいけなくて。黙っていたら、きっとどこかで、僕たちは壊れてしまうから。
「ねぇ……海里くん」
「ん? どした?」
「……ちょっと、話があるんだ」
唇が、少しだけ震える。そのことに気づいた瞬間、余計に情けなくなって、悔しくなった。でも、逃げたくなかった。逃げちゃいけないと思った。
「……好き、なんだ。海里くんのこと、本気で」
これだけは、ちゃんと伝えたかった。これから何を言っても、誤魔化さないために。でも、海里くんは何も言わずに、僕の髪をそっと撫でてくれた。
その優しさが、逆に辛かった。
「俺も、南ちゃんが好きだよ」
その言葉が、真っ直ぐに胸に届く。嬉しかった。涙が出るほど、嬉しかった。
……でも、嬉しいだけじゃ、前に進めない。
「あのね……高校を卒業するまでは、距離を置きたい」
その瞬間、空気が変わったのがわかった。海里くんの気配が、少しだけ張りつめた。
「……どうして?」
ほら、やっぱり聞かれた。
うまく説明なんて、できる自信はなかったけどーーそれでも、言わなきゃ。視線を逸らして、でもすぐに戻して。まっすぐ、海里くんを見つめた。
「……まだ僕、子どもだし。大学生の海里くんと一緒にいるのが、正直、怖いんだ。歩幅が合わないまま無理に歩いたら、どっちかが転んじゃいそうで。……僕、海里くんのこと、傷つけたくないんだよ」
言葉にしてみると、自分の臆病さばかりが浮かび上がってくる気がした。
でも、それでも、今のままじゃダメだって、ちゃんと分かっていたから、僕は、言うことをやめられなかった。
「だから……卒業までは、少し離れたい。その間に、もし、海里くんに他の好きな人ができたら……諦める」
本当は、できてほしくない。
できてほしくないなんて、言葉じゃ足りないくらい、思ってる。
でも、それすら言えない自分が、子どもで、ちいさくて、情けなかった。
「……でも、僕がちゃんと大人になって、気持ちに自信を持てたら。そのときは、もう一度会ってほしい」
長い沈黙のあと、海里くんが、そっと手を握ってくれた。温かくて、やわらかくて、だけどしっかりと強くて。
その感触に、堪えていた涙が、一気に溢れそうになった。
「……うん。待つよ。南ちゃんが十八になったら、俺を迎えに来て」
「……当たり前でしょ」
その『当たり前』に、たくさんの願いと祈りを込めていて。この人を好きになってよかった。ちゃんと、話せてよかった。
頬を伝う涙が、シーツに小さな染みを落とした。
「……ありがとう、海里くん」
本当は、もっともっと言いたいことがある。
でも、今はこれが、僕の精一杯だった。
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しばらくすると、眠気が静かに降りてきて。目を閉じる前に、ぽつりと囁いた。
「ねぇ、来週も……ちゃんとデートしようね?」
「……え?」
海里くんの驚いた声に、思わずくすっと笑ってしまう。そりゃそうだ。さっき、あんな話をしたばかりだもんね。
「最後の週末くらい、ちゃんと笑って過ごしたいじゃん。来週までは、ちゃんと『恋人』でいたい。……だめ?」
少しの間のあと、海里くんが、そっと僕の手を握り返してくれた。
「……うん。最後の週末を、大切にしよう」
ありがとう、海里くん。
その手をぎゅっと握ったまま、そっと目を閉じる。これは、きっと、この恋の『いったんのおしまい』。
でも、また会いたいと思えるように、ちゃんと大人になる。
そう、心の中で何度も誓いながら、僕は、海里くんのぬくもりに包まれて、眠りについた。