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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

百合っぽいもの

朝になったらデートしよ

作者: 相沢ごはん

pixivにも同様の文章を投稿しております。


(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)

「配られたカードで勝負するしかないんだから」

 口の中で誰にも聞こえないように呟く。漫画『ピーナッツ』でのスヌーピーの有名な言葉だ。私も確かにそう思っていた。だから、そういう気持ちでがんばっていたのだけれど、そもそも、人員が足りないのだ。あの仕事量をこの人数で回そうとするから、どこかに無理が生じる。配られたカードが足りないんだよ! と心の中で叫ぶ。

 午後八時すぎ、会社からの帰り道。急に脚に力が入らなくなった。駅までもうすぐなのに、立っていられない。私は雑踏をふらふらとよろめくように歩いて、街路樹の縁石に尻もちをつくようにして座り込んだ。くらくらとめまいがして、なぜだか涙が止まらない。

 今日は金曜日ということで、早めに上がらせてもらえた。今週は特にきつかった。家に帰って、早く眠りたかった。家に帰るだけなのに、こんなことになるなんて。もしかしたら、気がゆるんでしまったのかもしれない。

「どうしたんですか?」

 突然声をかけられた。かわいらしい声だ。涙でぬれた顔を上げると、二十歳そこそこくらいのギャルっぽい女の子がペットボトルの水を持って立っている。派手な感じだがそれが似合っていて、かわいらしい子だ。

「気分が悪いんですか?」

 答えようとするのだけど、のどがひくひくと波打つみたいになって、うまく声が出ない。女の子は私のとなりに座り、

「お水、飲めますか?」

 私の返事を待たず、ペットボトルをこちらに押しつけてきた。未開封のもののようだ。私はありがたくそれを受け取り、蓋を開けようとしたのだが、手が震えて力が入らない。女の子は、ペットボトルを私から引き取り、蓋をゆるめてから再びこちらに渡してくれた。

「ありがとうございます。少し落ち着きました」

 水を飲んで深呼吸をすると人心地がついて、ちゃんと話せるようになった。バッグからハンカチを出して涙を拭う。

「なんだか、急に身体の力が入らなくなっちゃって……困ったな」

 最後のほうは独り言みたいになってしまった。女の子は、「疲れてるんですか? ちゃんと栄養のあるごはん食べてます?」と、心配そうな表情でお母さんみたいなことを言う。そういえば最近は栄養補助食品やインスタント食品ばかり食べていた。正直にそう伝え、私はゆるゆると首を横に振った。

「そういうの、便利ですよね。たまに活用するのはいいと思う。だけど、ずっとそれだけじゃ身体がもたないよ。外食でもお惣菜でもいいから野菜とお肉をよく噛んで食べなきゃ。身体と頭を動かすエネルギーをつくるためだよ」

 年若い女の子に、すごく当たり前のことを言われてしまった。だけど、私はその当たり前のことすらできていなかったのだ。

「おねえさん、うちにこない?」

 唐突に女の子が言った。いつの間にか敬語が消えていたけれど、気にならなかった。こう思うのも偏見なのかもしれないが、こういう気軽な話し方のほうが彼女に似合っている。

「あたし、ひとり暮らしだから、遠慮はいらないよ。なにかつくるから、いっしょに食べよ」

 女の子の気軽な親切さに急に不安になって言う。

「待って。そんなの駄目です。私が悪い人だったらどうするの」

 自分で言うのもなんだが、こんな素性のわからない怪しい人間を自宅に招待するなんて、不用心がすぎる。

「悪い人なの?」

 女の子は笑いながらそう尋ねてくる。

「ちがうけど……」

 私の答えに、「じゃあ、大丈夫だよ」と女の子はまた笑う。

「ねえ、いいから、ごはん食べにおいでよ。自分のごはんをつくるついでだから、本当に遠慮はいらないって」

 そう言われると、誰かのつくってくれたごはんを食べたい、という欲が内側からあふれ出てきてしまう。実際、お腹もすいているのだ。

「立てる?」

 私は女の子に支えられて立ち上がる。

「よかった、大丈夫みたいです」

 さっきみたいに踏ん張りがきかないなんてことはなく、ちゃんと歩けそうだ。

「あの、申し遅れましたが……」

 私はバッグから名刺を取り出して、女の子に渡す。女の子は一瞬、きょとんとした表情をしたあと、両手で名刺を受け取った。

「ご丁寧にどうも」

 女の子は微笑みながらそう言って、「綾乃さん」と、私を下の名前で呼んだ。

「あたしは、亜貴っていいます。青蓮大学の二回生」

 彼女は、バッグから学生証を取り出し、私に見せた。

「亜貴ちゃん」

「ほら、これで知り合いだから、大丈夫でしょ」

 大丈夫かどうかはわからないが、お互いの身元を確かめ合うことによってなんとなく安心したことは確かだ。

「そういえば、亜貴ちゃんはこんな時間にどうしたの? 夜にひとりで歩くのは危ないよ」

 大学生なので、飲み会かなにかだったのかもしれないと思いつつ、女の子が夜道をひとりで歩いているのは心配になる。

「あたしは塾の帰り。ていっても、講師のほう。バイトしてるんだ」

「塾かあ、懐かしいな……」

 私も、中学高校と塾へ通っていた。あのころの塾の先生たちも、思えば大学生だったのだろう。まだ学生なのに遅くまで働いてるんだなあ。そんなことを考えていたら、足もとがふらついてしまった。

「大丈夫? 危ないからあたしの腕につかまって」

 亜貴ちゃんが言い、私はもうなんの遠慮もなく亜貴ちゃんの腕につかまらせてもらった。

 亜貴ちゃんに導かれるままに、夜道をふらふらと歩く。かわいい女の子に連れられて、まるで夢を見ているみたいにふわふわとした気分だった。少しわくわくしている。

「あ、なにか手土産を持って行かなくちゃ」

「いいよ、そんなの」

「そういうわけにはいかないよ」

「んー、わかった。綾乃さんがそうしたいなら」

「亜貴ちゃんは、なにが好きですか?」

「もなかとか?」

「渋いね」

「えー、もなかおいしいじゃん」

「うん、もなかおいしいよね」

「でしょ?」

 友だちみたいな会話をしながら、商店街の和菓子屋で最中を購入し、私は再び亜貴ちゃんにの腕につかまって歩く。

 路地を縫って縫って、その先にこじんまりとしたかわいい平屋が現れた。

「ここが、あたしんち」

 古そうだけど清潔感のある外観に、ちゃんと手入れが行き届いていることがうかがえる。ひとり暮らしだと言うので、アパートやハイツを思い浮かべていた私は意外に思った。

「本当は、おばあちゃんちだったんだけど、おばあちゃんが亡くなって、いまは伯父が管理してるの。大学に通う間だけ住まわせてもらってるんだ」

 亜貴ちゃんは、私の思考を読んだかのようにそう言った。玄関の扉にはステンドグラスのはめ込み窓がついていて、私はそれを「かわいい、素敵だな」と思った。そして、なにかをかわいいとか素敵だとか感じることが、ずいぶん久しぶりのように思えた。

「この窓、かわいい。素敵」

 そう声に出して言ってみた。

「でしょ?」

 亜貴ちゃんはうれしそうな笑顔を見せた。

「あたしのおばあちゃん、趣味がよかったんだよね」

 亜貴ちゃんはおばあちゃん子だったのかもしれない、と、その反応を見て思う。

「上がって」

 亜貴ちゃんにスリッパをすすめられ、

「おじゃまします」

 私は清潔に保たれた家に上がらせてもらう。まず洗面所に案内されて、手洗いとうがいを済ませる。次に、短い廊下の奥にあるらしいキッチンのほうへ案内され、食卓に座らされた。

「綾乃さんって、他人の握ったおにぎりって大丈夫な人?」

「うん、大丈夫」

 私はエプロンを着けた亜貴ちゃんの後姿をぼんやりと眺めながら答える。

「炊飯器はねえ、帰る時間に合わせてタイマーにしてんの」

 亜貴ちゃんは私のほうを振り返って言う。

「野菜も肉も切ってから冷凍してある。こうしておくと、ごはんつくるときラクなんだよ」

 そんなふうにおしゃべりしながら、亜貴ちゃんがちゃきちゃきとつくってくれたのは、おにぎりとスープだった。口の中に自然と唾液がわく。

「おいしそう……」

 ふたりで手を合わせていただきますをし、私はおにぎりにかぶりつく。

「ゆっくり、よく噛んで食べてね」

 亜貴ちゃんが心配そうに言う。

 おにぎりには梅干しとおかかが入っていて、スープの具はいろんな野菜と鶏のササミだ。

「おいしい」

「本当? よかった。本当は味噌汁にしたかったんだけど、味噌が切れてて」

 亜貴ちゃんが笑う。私の視界はぼやけ、また涙が出た。亜貴ちゃんが黙ってティッシュの箱を私のほうへよこしてくれた。

 こんなに幸せな気持ちでごはんを食べたのは、本当に久しぶりだった。おにぎりの塩加減も絶妙だったし、あたたかいスープは身体中にエネルギーを運んでくれているような気がした。私はいつも、身体を使うだけ使っておいて、エネルギーをつくることを怠っていたのだ。

「綾乃さん、明日はお仕事お休み?」

 亜貴ちゃんが言った。

「うん」

「じゃあ、泊まってってよ」

「さすがにそこまで甘えるわけには……」

「でも、これから帰るのも面倒でしょ。ここで体力を回復して、明日帰ればいいよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 私は目の前に差し出された快楽を突っぱねることができず、頷いていた。


 後片づけはふたりで終わらせた。私がやると言ったのだが、亜貴ちゃんが「いいからいいから」と全然やらせてくれないので、間を取ってふたりですることになったのだ。

「綾乃さん、お風呂わいたから、お先にどうぞ」

「え、私はあとでいいよ。亜貴ちゃんからどうぞ」

 お風呂も結局順番が決まらず、なぜかいっしょに入ることになってしまった。

「こういうの、高校の部活の合宿以来かも」

 すごく広くはないけれど、脚を伸ばせる湯船に浸かりながら、ぼんやりと言うと、

「綾乃さんて何部だったの?」

 亜貴ちゃんがシャンプーを泡立てながら言う。亜貴ちゃんの胸は私のささやかなものとはちがい、ボリュームがある。やわらかそう、などと思いながらそんなことを思ってしまったことが申し訳なくて目をそらす。

「バレー部」

「すごい、ガチの運動部じゃん。かっこいいね」

 シャンプーのあとのコンディショナーを流し、亜貴ちゃんは身体を洗い始めた。

「べつに格好良くはないよ。亜貴ちゃんは部活やってたの?」

「あたしは高校は部活やんなかったんだよね。中学のときはソフトテニス部だったけど」

「テニス続けなかったの?」

「うん。中学のときも、友だちがテニス部入ったからいっしょに入ったってだけで、別に好きってわけじゃなかったから。それより、おばあちゃんにくっついて家でこまごました作業してるほうが好きだったんだ。手芸部とかあったら入ってみたかったけど、うちの高校、手芸部なかったし」

「そっかあ。自分の好きなものがちゃんとわかってていいなあ」

「バレー好きじゃなかったの?」

「うーん、好きだったけど、またやりたいとは思わないかな」

「そっか。バレーはもういいんだ」

「うん。だから、いま自分の好きなものがわからない。休みの日に好きなことするのが理想だけど、好きなことがわからないから、いつも最低限の家事をする以外は寝るだけで終わっちゃう」

「寝るのが好きならそれもいいと思うけど」

「確かに寝るのは好きだけど、もっとこう、趣味みたいなものがあったらいいなって思うよね」

「綾乃さん、おにぎり好き?」

 身体の泡を流して、亜貴ちゃんはするっと湯船に侵入してくる。

「好き」

 亜貴ちゃんの入るスペースを空けながら、私は答える。

「もなかも好きでしょ?」

「好き」

「綾乃さんの好きなもの、きっといっぱいあるよ。気づいてないだけでさ」

「そうだね」

「各コンビニのおにぎりを全種類制覇したり、マイベストオブもなかを探す旅に出たり、趣味ってそういう感じでもいいんじゃない?」

 亜貴ちゃんの言葉に、確かに、と目から鱗が落ちる思いがした。

「うん、すごく楽しそう」

 そう言葉にすると、本当に楽しい気分になってきた。亜貴ちゃんを見る。目が合って、私たちはどちらともなく笑う。メイクを落とした亜貴ちゃんの素顔は、眉毛が薄くてつるんとしていた。なんだか幼くてかわいい。


「え、すごい。ジェラピケ? 初めて見た」

 お風呂から上がって、亜貴ちゃんが貸してくれたパジャマは、ふわもこでテロンとしたやわらかい素材だった。自分ではきっと買わないような素材だ。

「そんなわけないじゃん、しまむらだよ」

「そうなんだ。でも、かわいい」

 自分が着るにはずいぶん若いデザインだったけれど、私はありがたくパステルカラーのそのパジャマを借りた。さすがに下着は借りるわけにはいかないので、自分のものをそのまま身に着ける。やわらかくてふわふわしたパジャマに身を包み、なんだか久しぶりにほっとする。自分の家でもないのに、それどころか、初対面の女の子の家なのに不思議なものだ。

「お茶淹れるから、綾乃さんのもなか食べよ」

 亜貴ちゃんの淹れてくれた緑茶といっしょに、ふたりでもなかを食べる。

「もなかって、ありえないくらい口の中にくっつくけど、おいしいんだよね」

 亜貴ちゃんは幸せそうな表情で言う。

「夜に甘いもの食べるなんて、悪いことしてるみたい」

「そう。夜の甘味は、罪悪感が楽しさを倍増させるよ。時々にしとかなきゃね」

 他愛のない会話、だけど胸が躍る。こんな、なんでもない会話をきっと私は欲していたのだろう。だって、とても楽しい。

「歯ブラシ、予備あるからこれあげる。使ってね」

 眠る前には歯みがきをする。私は亜貴ちゃんから新しい歯ブラシを受け取る。

「なにからなにまで、ありがとう」

 私は心からお礼を言う。久しぶりに自分がちゃんと人間だったと実感した気がしたのだ。


「夜が明けて、朝になったらデートしよ」

 亜貴ちゃんが言った。

「デート?」

「うん。素敵な服を見に行って、毒々しい色の綿あめやパンケーキを食べようよ」

「ああいうのっておいしいの?」

「おいしいし、なにより目と心が楽しいでしょ」

「目と心かあ。うん、確かにそうだね」

「もし、そういうのがしんどいなら、ただ、このあたりを散歩しよ」

「うん、散歩もいいね」

「そのへんをぶらぶらして、『あっ』ていうもの見つけたら写真撮ろ」

「『あっ』ていうものって?」

「たとえば、変わった看板とか、かわいい雑草とか、ご当地マンホールとか」

 こぢんまりとした和室に布団を並べて敷いて、真っ暗な中、私たちはおしゃべりをする。

「あたし、猫たちのたまり場を教えてあげられるよ」

 亜貴ちゃんの声が自慢げに弾むので、私はそれをかわいいと思う。

「猫の写真も撮ろ。猫の写真は落ち込んだときに眺めると元気が出るから、いいよ」

「じゃあ、亜貴ちゃんの写真を撮らせて」

 私はそうお願いする。

「落ち込んだときに眺めて、元気出すから」

 私の言葉に、亜貴ちゃんは「んふふ」と、くぐもった笑い声をこぼす。

「……やば。いまの、きゅんとした」

 明日を楽しみに思いながら眠りにつくのは、本当にいつぶりだろうか。最近は、明日がこなければいいとずっと思っていた。朝になると気分が重かった。だけど、こんなふうに他愛のないおしゃべりができる相手がいるというだけで、気持ちがずいぶんと変わるものだ。たとえ、さっきまで見ず知らずの他人だったのだとしても、私たちはきっと、もう仲良しなのだ。

「ねえ、綾乃さん。綾乃さんがよければ、あたしたち、これからもこうやって定期的に会おうよ」

 亜貴ちゃんが、少し遠慮がちな口調で言う。

「もちろん、どっちかが疲れててもうダメってときは、無理に会わなくてもいいんだけど、もし、またこんなふうにいっしょにダラダラおしゃべりできたら楽しいなって」

 亜貴ちゃんのその言葉に、楽しいと思っていたのが私だけではないということがわかって、うれしくなる。

「おしゃべりしながら寝落ちして、朝になったらデートして、そんで、昼になったらまたダラダラすんの」

「それ、最高」

 私は感動にも似たきらきらしたよろこびを感じながら言う。

「でも、疲れてるから会えないっていうより、疲れてるから亜貴ちゃんに会いたいってなっちゃいそう」

「……綾乃さんって、結構タラシてくるよね」

「タラシって……初めて言われた」

 私は、明日の朝を楽しみに目を閉じた。亜貴ちゃんは今日初めて会った女の子だけど、なぜかもう知らない人という気はしなかった。私たちはこれからどんどんお互いを知っていくのだし、私はなんだかすごく安心して、どろんと眠ってしまった。明日が楽しいとわかっているなんてとても素敵で、夢みたいな夜だった。



ありがとうございました。

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