言葉って使わないと錆び付いちゃうし、廃れちゃう。実際第2方言?が錆び付いちゃった鶴舞が語る。「みんな方言を使おう!」って話
みなさん。方言、使ってますか?
「方言」というと、関西方言を除けば、あまりプラスのイメージをもつ人は多くないと思います。
U字工事さんとかロケット団さんとか芸人で意図的に使っていらっしゃる方もおられますが、それは笑いがとれて「おいしい」からではないでしょうか。
つまり、「方言」は「笑いをとれるもの」であるということになりますので、方言話者でも笑われたくない人は使用を避けるケースが多いのではないでしょうか。
そんな風潮が強い中、私は敬語を使わなければならないような畏まった場は別ですが、普段はある程度意図的に方言を使うようにしています。
私の生まれた地域は、県内でも「ふぐ着て、くづ履いて」と他地域から馬鹿にされていたような方言のきつい土地です。
そんな場所なので、我々田舎者の会話に、都市部の出身者が混じっていると意味が理解できないこともあるようなのですが、集団の中で特定の方とだけ共通語(いわゆる標準語)で話をするのは壁を作っているようで嫌なのと、地域に溶け込むためには方言を知っておいた方がいいだろういう観点から、あえて都市部の出身者に対しても話しぶりを変えないようにしています。
まあ、いくら田舎とはいえ、関東なので、基本は語尾が訛ったり、一部単語が濁音・鼻濁音化したりするぐらいです。そのぐらいは慣れればすぐ聞き取れるようになるはずです。
『慣れればすぐ聞き取れる』
何でそんなことがわかるかというと、私は大学時代を東北のある地方都市で過ごしていたからです。
先ほども書きましたが、私の田舎は腐っても関東。「○○べ」と語尾が訛ったり、一部の単語が濁音・鼻濁音化したりすることはあっても、江戸方言をベースに作られた全国共通語と語句にはほとんど差がありません。
ところが、大学のある地域は違いました。通常の会話の中で、今までに聞いたことのないような単語が大量に出てくるうえ、単語も文章も短縮化するのが特徴の方言だったので、方言メインで話されると内容を理解するのにだいぶ難渋しました。
まあ、私は語尾が訛るのは気にならなかったので、東京や横浜出身の友人と比べると、理解は早かったとは思います。
それでも、友人たちの会話に完全に混じれるようになるまで数ヶ月。農村部のおじいさんおばあさんたちの会話を理解できるようになるまでには1年以上かかりました。最後は地方芸人の方言トークを聞いて爆笑できるくらいにまでなっていましたので、リスニングは相当上達していたと自負しています。
ただ、スピーキングはどうやっても完璧とまでは行かなかったようです。
私は教職課程をとっていましたので、4年次に市街地から20kmほど離れた村の学校に教育実習に行きました。
小さい学校でしたが、授業をボイコットするような不良もいました。ただ、ボイコットしても田舎過ぎて行く場所がないので、校内の図書室にいるwという何とも長閑な学校でした。そこである日一人の生徒にこう聞かれました。
「せんせは、なに弁しゃべっちゃんず(共通語訳:先生はどこの方言をしゃべってるの?」
私は土地の方言を完璧に話している(※語彙の間違いは一切無かったはずです)つもりだったので、土地の言葉を話していると力説したのですが、そんなはずはないと生徒たちからは笑われてしまいました。
衝撃でした。どうやら私の話す言葉は、よく見かけるエセ関西弁のようなもので、ネイティブな話者からすると、相当な違和感があったようなのです。
その後、私は大学を卒業し、地元で就職するために東北を離れました。が、大学のあるあの街は私にとって第2の故郷のようなものでしたから、コロナ禍に入る前までは、少なくても年に1回、普通は2~3回のペースで訪れておりました。
数年前、県境近くにある秘湯F温泉を訪れたときのことです。浴場に行くと、先客がお一人、浴槽の湯が川のように流れる床に寝そべっていらっしゃったのですが、私が入ってきたことに気付くと、おもむろに話しかけてきました。
「%#&’&)(’(~=~~~~=(~=’(&$%’#$”’&」
ショックでした。何を言っているのか全くわかりませんでした。
さっぱりわからないながらも必死で相槌を打っているうちに、どうやら『この温泉はとても体にいいんだ。自分は飲泉を始めてから体調がすごくよくなった』という趣旨のことを話されているんだとわかってきました。それにしたって身振りや文脈から察しただけであって本当にそういう話だったかは怪しい限りです。
私は大学時代からF温泉が大好きでした。未舗装の林道を通らないと行けないという厳しい条件も相まって、行けたときには必ず1時間は温泉を堪能していたのですが、この日はあまりにもいたたまれず、20分もしないうちに逃げるように去りました。
言葉は使わないとどんどん衰えるどころか、聞かなくても衰えていくのだということを身をもって知った出来事でした。
メディアの普及で全国どこでも共通語話者が増えています。特に関東の一部エリアのような方言と共通語の差が少ない地域では、その影響で方言の衰退が激しくなっています。
別のエッセイでも書きましたが、方言は大切な文化です。方言なら一言で伝えられるのに、共通語で説明するためには複数語が必要な単語もあります。そして、誰も使わなくなったらその言葉は死んでしまいます。地域の文化を後世に伝えるためには、誰かが使って残してやる必要があるのです。
私は仮に田舎くさい奴だと思われようが、今後も方言をどんどん使ってやるつもりです。




