ただ君に生きてほしい
私は母が大好きだった
私の家族は母と父と私の3人で、兄弟はいない
母は私を産んだあと頻繁に体調を崩すようになった
はっきりとした原因はお医者さんにもわからないということだったが、
私が5歳になる頃には入院と退院を繰り返すようになった
母が入院している間は父と私の2人で暮らしていた
母のお母さん、つまり私のお婆ちゃんが頻繁に私達の様子を見に来てくれたのを覚えている
父は母がこうなってしまったのは全部私のせいだと私を恨んでいた
その態度はわかりやすく、普段一緒に生活していても私の目を見ることすらなかった
私はというと、ただ単純に父に共感した
全く傷つかなかったわけではないが、私が産まれてこなかったことで母が元気で生きていられるのであればそのほうがいいと素直に思ったのだ
母は私をとても愛してくれていた
いつも私に優しく、怒られた記憶は一度もない
ただ私はもともとわがままを言ったり自分の意見をいうことがなかったので、母はそういう私の性格を心配していたように思う
父の私に対する態度のことは一度も母に話したことはないが、母は気づいていてた
そのことを悲しんで父を説得する母を病院の部屋の外から盗み見たことがある
その時父は泣きながら母に、ただ君に生きてほしいんだと母を抱きしめていた
その光景を見た私は、なんて素敵なんだろうと思った
当時私は8歳だったが、父が母を想う気持ちに心を打たれたのだ
母は父にその愛を私にも向けてほしいと伝えていたが父は無言でなにも答えられずにいた
私は父を憎むことも、恨むこともしなかった
ただ父に同情し、共感した
そんな私は変わっていると周りからよく言われる子供だった
小学生の頃は特別に仲が良い友達がいたわけではないが、みんなと分け隔てなく仲が良かったように思う
そんな私にある日事件は起こった
小学3年生の夏休み明けに隣の席の女の子が突然イジメられはじめたことがあった
ことの発端はクラスの中心的存在の男の子がその女の子のことを
「臭い、こいつお風呂に入っていないと思う」と
突然言い出したのがきっかけだった
他のクラスメイトもその男の子と一緒になって臭い臭いと言い出した
私は我慢できずに隣の席の女の子を庇った
「1学期の間ずっと隣の席だったけど1度も臭いなんて思ったことないよ、嘘つくのは良くないと思う」と言ったのを覚えている
正直その女の子のことはよく知らなかった
けれど目の前でいじめられている子がいるのに助けない他の人の気持ちのほうが私には理解できなかった
それからの私のあだ名は偽善者
小学生から中学を卒業するまでずっとその名で呼ばれつづけた
そしてしばらくの間いじめの標的は私になった
その時はじめて他のクラスメイトはもし自分が庇ったらこうなるということを予想していたから助けなかったのだと気づいた
でもそれでもやはり私はこの選択をして良かったと思った
気づけば隣の席の女の子は他のクラスメイトと一緒になって私をいじめていた
次またいじめの標的にされるのが怖いのだろうなとその子の気持ちを理解した
いじめの内容は教科書にらくがきされたりペンや筆箱を隠されたりというものだった
これも父親の時同様に傷つかなかったわけではないが、いじめる側や傍観者になるよりは気持ちが楽だと思ったし、人の気持ちを理解できた時、それがどんな感情であっても気持ちが軽くなってゆく感覚があった
いじめは2学期の間続いたが、私の反応があまりにも面白くなかったようで2学期が終わる頃にはいじめは終わっていた
みんなが言うように私は偽善者なのだろうか
ただ昔から人を助けたい、人のためになりたいという気持ちが人より強かったとは思う
放課後は母の病院に寄って帰るのが日課だった
病院まではバスを乗り継いで40分ほどかかるのでその頃小学生だった私には大変なことだったのを覚えている
ただ母と会える、会いに行けるその時間は私にとって至福の時だった
私の10歳の誕生日の1週間ほど前、いつものように放課後母の病室に行くと母が私を見て突然泣き出し、私を抱きしめてくれたのを覚えている
そして一言、あなたを産んでほんとうに良かったと私に言った
私が10歳の誕生日に母は亡くなった
それはまるで私が誕生したことが母が亡くなる原因だと改めて突きつけられた気分だった
母を亡くした私は空っぽになった
寂しさと悲しさと不安と恐怖が入り混じった感情だった
大好きだった母がもぉこの世にいないこと、会えないこと。母の他に私を愛してくれる人はいないということ。
寂しいな。
深い暗闇に吸い込まれるような感覚、孤独を感じる
「…りあい様、りあい様」
遠くで私を呼ぶ声が聞こえる
聞き覚えのある、とても心地の良い声だ
声のするほうへ向かっていくと
暗闇の中に光がさした