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8 樹上のローランド

 ローランドはいつもの時間に家を出た。


 ポケットには王都で買った髪留めの入った小箱が入れてある。小箱は殺風景な家の中で存在感を主張し続けていた。


 しかし海辺に出てもあの娘はいなかった。あの娘は毎日来るわけではなかったから(そうか)と思っただけで、ローランドはギルドに向かおうとした。


(あれ?)


 左手の松林の中に人がうずくまっている。女性だ。怪我でもしてるのかと声をかけてから近寄った。


「どうしましたか?怪我でもしましたか?」


 ごつい男がいきなり近寄ったら怯えるだろうと配慮したのだ。その女性は顔を上げるとパッと笑顔になり


「足を捻りまして。痛くて歩けなくて困っております。人のいるところまで肩を貸してはもらえませんか」

と言う。


 近寄って様子を見るが足首は両方とも腫れてはいない。それに気づいたのか年配の女性は恥ずかしそうに


「いえ、捻ったのは足首ではなく、こちらの方で」

た右足の股関節をスカートの上から指さした。


「そうでしたか。失礼しました。それでは肩をお貸しします」


 ローランドは女性を立ち上がらせて身体を支えた。


「ありがとう存じます。お忙しいでしょうに」

「いや、俺は大丈夫ですよ。それよりどこに行くんです?そちらにも連絡が必要でしょう?相手が心配する」


 すると女性はフルフルと首を振るとそれは大丈夫だと言う。


「たまにすれ違うお嬢さんが落とし物をしたのを拾いましてね。大事なものなら返してあげたくて待っていたんですよ」


『お嬢さん』と言う言葉に反応しかけたが、そこは聞き流した。


 老女は「いたたた」と言いながら足をかばいつつ歩いている。


「そうでしたか。もうすぐ民家のあるところに着きますが、馬車を呼んできましょうか?歩けないのならその方がいいでしょう」


 すると老女が思いがけないことを言う。


「お見かけしたところ、あなた様は傭兵様でしょうか。時間分のお代金はお支払いいたしますので、少し痛みが引くまで私の護衛ということでお付き合い願えないでしょうか」


 ローランドの中で何かがチクリと警告する。流れるように話を持っていく様が、どうも上手すぎないか?


(やめとけ)という声と(本当に痛いなら気の毒だ)という声がせめぎ合っていたのは短い時間だ。


「いいですよ。代金は不要です。困った時はお互い様です」


「申し訳ありません。助かります。あの、拾った落とし物はこれなんですが、もしやお知り合いの方の物なんてことはありませんよね?」


 道端の切り株に腰を下ろし、老女は手提げから特徴のない白いハンカチを取り出した。


「さあ。見覚えはありませんが」

「そうですか。ふわふわの長い金髪で、目は濃い青の、馬に乗っているお嬢さんなんですけど。ちょうどこの時間にこの海辺ですれ違ったんですよ。もしかしてお知り合いではありませんか?」


 ローランドは目を宙にやり、考えるふりをした。怪しいといえばかなり怪しい。偶然といえば偶然に思える。だが馬に乗ってすれ違った人物の目の色を、一般人がそこまで見えるものだろうか。


 が、ローランドの神経を一番刺激するのはこの老女の口調だ。


 おしゃべりが好きな人はたくさんいるが、彼女のは少しそれとは違う。何というか、『上手い』のだ。


 それに普通の老女は、人けの無い場所で大柄な若い男にここまで気を許して喋るだろうか。肝の据わり具合が良すぎないだろうか。


 世間を知らない金持ちの奥さんならあるかもしれないが、金持ちの奥さんは共を連れずには出歩かない。服装を見てもそれほど裕福には見えなかった。色々とちぐはぐだ。


「いや、わかりません。お役に立てず申し訳ないです」


「そうですよね。私ったら。傭兵さんが来てくれてホッとしたもので。傭兵さんはこの辺にお住まいなのでしょう?」


「ええまあ」

「独身?」


 ローランドは苦笑して答えなかった。


「やはり馬車を呼びましょう。俺もそろそろ仕事に行かないと」


 ほんの一瞬老女の顔によぎった表情は何だ。忌々しそうな顔をしたように見えたのは見間違いか。しかし老女はすぐにローランドに無邪気な笑顔を向けて首を振った。


(この人、若い頃はかなりの美人だったんだろうな)と思わせる顔立ちと人を惹きつける笑顔。髪はだいぶ白くなっているが、ワイン色の髪に濃い灰色の瞳は知的な印象を与える。


「そうですか。ありがとうございました。だいぶ痛みも引きましたので、家に帰ります。ゆっくりなら歩けます。ほんとに助かりました」


 老女は何度も頭を下げてヨロヨロと歩き、振り返ってはまた頭を下げた。自分も頭を下げてギルドの方に向かった。


 街道沿いの松林の角を曲がり、老女の姿が見えなくなったところで少し奥の松の大木に登った。手近な枝に手をかけて乗り、更に上の枝に移動する。針のような葉がたっぷり茂っている枝にたどり着くと、しゃがんで身を隠した。


 そこから老女の姿を眺める。老女はローランドが立ち去った方をしばらく振り返っていたが、軽く頭を振るとスタスタと歩き出した。股関節が痛む様子は全くない。


(ほう。面白い)


 イーダスに来て何度か危ない目にも遭ったが、それらは全部密輸入に関することばかり。こんな老女の出番はなかった。あれはどこかの間諜だろうか。


「いや、ないな」


 あの歳まで生き残れないというより上からお役御免を言い渡される。


 老女がたっぷり離れるのを待って、ローランドは老女を尾行し始めた。


 ゆがて街道の奥から馬が出てきた。乗っているのは中年の男だ。老女は男に手を添えられて馬に乗り、二人乗りの馬はやや急いで去って行った。


(あれは……)


 男はラカン商会の者だった。ラカン商会はイーダスに来たばかりの頃、地元との繋がりを持つべく引き受けたたくさんの護衛の仕事先のひとつだ。その後も何度か荷馬車の護衛を頼まれた。そして何よりあの娘の家だ。


(男はたしか、商会長の右腕だ)


 あの男のことなら覚えている。足音も気配もさせない身のこなしが、何らかの暗い過去を感じさせた。警護の仕事の合間、試しに離れた場所から殺気を向けてみたら即座に振り返った。


 訓練中に上官が見せてくれたことはあったが、実際に反応する民間人を見たのは初めてだった。うっかりそのことをビアンカに話したら、「余計なことをするんじゃないよ、ガキが!」とこっぴどく叱られた。


 ギルドに行き、王宮からの偽装依頼が無いことを確かめてからローランドは朝からやってる店で茶を飲んでいた。


(これは報告するべきこと、だよな)


 間諜の自分に探りを入れたひと癖ありそうな老女。それを迎えに来た男は殺気を感じ取り気配も消せる。報告をすれば自分は場所換えだ。そしてラカン商会はしばらくの間は監視対象のひとつになるだろう。


「もう少し様子を見るか」


 ビアンカがいたら即座に叱り飛ばされただろう。だがローランドは彼らの行動の理由を知りたかった。



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