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6 初めての縁談

「だあぁっ!これはもはや片想いじゃない。こじらせ過ぎた初恋でもない。これは、これは、もはや呪いよ。おぞましい!」


 なぜルイーズがこんなことを一人で喋っているかというと、さっきぼんやりしている時に『ビアンカさんがこのままずーっと戻らなければいいのに』と考えてる自分に気づいてしまったからだ。


 ローランドのことを思えば無事にビアンカが戻ってくることを願うべきだろう。たとえ本音は違っていても自分のためにローランドの不幸を願うなんてあまりにも自分が情けない。


 自室のテーブルをバンと叩き、足でドンと床を踏む。自分に腹が立つ。いつから自分はこんな浅ましくなったのだ。


 これはもう熟成させ過ぎた片想いを封印しよう!と決めた。

 

 そうやってルイーズが「こじらせた片想いを封印する儀式」を一人でしている間、隣の部屋で弟のアランは怯えていた。


(怖い。お姉ちゃんが怖い。父さんを呼んでくるべき?それとも知らん顔するべき?)


 悩んだ結果、アランは音を立てずにソッと階下へ避難した。


 

♦︎



 ルイーズは「こじらせた片想いを封印する儀式」の後、その朝は海ではなく草原に向かって愛馬のベントニオを走らせた。


 たっぷり運動して家に戻るとコズモがいない。代わりにアランがリストを見ながら積み荷のチェック作業をしていた。最初にルイーズがチェックし、他の者がダブルチェックをするのがラカン家のルールだ。


「あれ?アラン、コズモさんは?」

「大事な用事だって。すぐ帰るって言ってたけど」

「ふうん、そう」


 弟が自分の目を見ないで返答しているのが不思議だったが、難しい年頃はそんなもんかと問いただすこともなく売り荷に目を向けた。


 今日は東地区の外れに仕事に行く。


 やがてコズモが母馬カリータに乗って帰ってきて、アランと交代した。アランは父と一緒に仕事に回る。少しずつ父の仕事を覚えているところなのだ。


「おかえりなさい、コズモさん」

「はい。遅くなりました」


 やがて準備は終わってルイーズとコズモは出発した。


「コズモさん、父さんの仕事が忙しい時は私一人で大丈夫よ?」

「いえ、そういう訳じゃないんで。大丈夫です」

「そう?」

「ええ。それにお嬢一人で出かけさせて何かあったら困ります」


 二人とも前を見ながら会話している。


「そう言えば夕べ、父さんがカルダノ商会の息子さんの縁談の話をしてくれたわ。私を見かけて気に入ったんですってよ。話が来たってことだけね」


「カルダノ商会の。てことは長男のトニオ・カルダノでしょうか」


「多分その人。いい人なら前向きに考えてみようと思う」


「すぐには返事をしないで下さい。俺がちょっと調べてみますから」


 なんとなく不安を掻き立てられてルイーズはコズモの横顔をチラリと見た。コズモが野盗の男を捕まえた時の様子が脳裏に浮かぶ。地面に押さえ込まれているのが顔も知らないトニオ・カルダノになってる場面を想像した。


「大丈夫。自分の目で確かめる」

「そうですか」


 苦笑してる横顔を見て、ルイーズはちょっと傷つく。


「もう十九だもの。商売もしてるし、良い人か悪い人かくらい、私にもわかると思う」


 コズモは返事をしなかった。


 しばらくして契約しているパン屋に着いて、ルイーズが焼きたてのパンを布巾を敷いた木箱に二つ受け取って馬車の中に収めた。


「さっきの話ですが。俺が知ってるクズは、世間では評判がいい人間も結構いましたよ」


「そうなの?」


 コズモが頷いて話を続ける。


「そんな男が家の中で女房子供を奴隷のように扱ってたりすることはわりとある話ですよ。あとは女癖や酒癖が悪かったり」


「でも一度は会ってお話ししてみる。自分も含めて完璧な人間なんていないんだし」

「そうですか」


 やがて東地区のいつもの空き地に着いた。ここでも待っていてくれる人たちがいた。手早く注文されていたパンを渡したり本や油、王都から仕入れた上等な布などが売れていく。このあたりはそこそこ裕福な家が多い。それでもこうして重い物や近くで手に入りにくい品は喜ばれる。


 大部分を売り切って釣り銭箱に鍵をかけ、馬車の幌をかけて「さあ、戻りましょうか」と言うところで声をかけられた。


「ルイーズ・ラカンさんですか?」

「はい。あの、あなたは」

「トニオ・カルダノです。カルダノ商会の。あなたが毎週ここに来ると母さんに聞いてやって来ました」


 トニオ・カルダノはいかにもいいとこの育ちを感じさせるおっとりした笑顔の青年だった。


「ご用件は何でしょう」


 コズモが笑みを浮かべて割って入った。


「君は?」

「コズモと申します。ラカン商会の従業員です」

「ああ、君には用はないよ。ルイーズさんに話があるんだ」


 ルイーズはさっき思い浮かべたコズモがトニオを地面に押さえつけられる場面が現実のものになるような気がして慌てた。


「あの、お話って何でしょう。私、昨夜父から貴方様のお話を聞かされたばかりで、まだなにも……」


「昨夜?昨夜初めて僕の話を聞いたの?それはひどいな。うちの母さんが君の父親に話をしたのは三ヶ月も前なんだ。その後も母さんは何度も返事を催促してたんだけどな」


「まあ。それは父が大変失礼しました。でも私、まだなにも……」


「僕の母さんが君のことをとても気に入っていてね。母さんに君のことを教えてもらったんだよ。素敵なお嬢さんがいるわよって」


「お母様が?」


「そうだよ。母さんは料理がとても上手いから、今度うちに食べに来ない?母さんも会いたがってるんだ」


「そうでしたか。あの、カルダノ様、大変申し訳ありませんが次の仕事がありますので、今日のところはこれで失礼させてくださいませ。また改めて」


「そうか。残念だけど仕事じゃ仕方ないね。じゃ、また!」



 そのあと、コズモもルイーズも口を開かぬままで、あと少しで家、と言うところまで馬車を進めていたが、ルイーズが突然コズモの持っていた手綱を掴んでソリーゾを止めた。


「コズモさん。言いたいことがあるなら言えばいいのに」

「はい?何のことです?」

「トニオ・カルダノのことよ」

「私は別に、なに、も、プッ!クククク」


 コズモにしては珍しく長く笑っている。しばらくそれを睨んでいたルイーズも、やがて困った顔で笑い出した。


 二人とも息を整えてから会話を始める。


「お嬢、あの男があの短い時間に何回『母さん』て言葉を使ったか知ってますか?」

「さあ?ずいぶん繰り返してたけど、五回くらい?」

「七回です」


「数えてたの?意地が悪いわね。あの人、歳はいくつかしら。あんなに『母さん』を連呼する大人がいるものなのね。アランだってあんなには……」


「あれはやめた方がいいです。最後まで自分のことは語らなかった」


「『母さん』のことはあんなに語ったのにね。そもそも私を気に入ったのはあの人じゃなくて『母さん』だったのね」


 二人でトニオとの会話を思い出して苦笑した。やがてコズモは真面目な顔になるとルイーズに忠告した。


「あの手の男は母親がルール、母親が法律。母親が死んだ後まで『母さんはこうした』『母さんならこうするはずだ』と。それが自分の妻を苦しめることに気づかないタイプですよ」


「うん」


「彼はきっと善良な人間でしょう。母親もね。だけど、善良な人間が良き家族になるとは限りませんから」


「とりあえず父さんにはお断りしてもらうわ」

「それが良いです。そうしてください」


 コズモがソリーゾに合図を送り、馬車はゆっくり動き出した。


「人生初の縁談だったけど、なかなか道は険しいということはわかった。とりあえずこの話はおしまい!」


 コズモは再び返事をしなかった。



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