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5 詰め寄る小箱

 王宮の壮大な建物群は、見上げるほど高い石の塀でぐるりと囲まれている。


 正面は豪華な門と美しい装飾付きの制服を着た護衛騎士が守っており、平民用の門は実用性重視の造りで守っている兵士たちも簡素な兵士服だ。


 その平民用の出入り口で黒目黒髪の体格のいい男が検査を受けている。


 両手を肩の高さで伸ばして全身を触られ武器の有無を調べられている。事前に籠に入れて渡した自前の武器は木札と交換され、帰りまで預ける規則だ。


 男は丸腰になり前に進むと、出迎えに来た顔見知りの文官に挨拶をした。


「お久しぶりです。報告に参りました」

「ご苦労。その汗臭い服を制服に着替える前に湯を使うといい」


 文官は神経質そうに眉をひそめるだけでなく結構な距離を取って会話しており、自分はそんなに汗臭いのかとローランドは苦笑する。


 貧乏な傭兵が泊まるような宿を選んだから湯船はなかったし、服を洗濯に出したくても翌日の朝には宿を出る身だ。どこで誰に見られてもいいようにちゃんと傭兵らしく過ごしてきたのだが。


 利用を許可されている建物で久しぶりに湯を使い、伸びた髭も剃ってさっぱりとしたローランドは制服に着替えて廊下を進んだ。


 通された部屋はさほど広くはないが豪華な造りで、そこには宰相に次ぐ立場の次官がいた。


「久しぶりだな、ローランド」

「ご無沙汰しております。ご報告に参りました」

「うむ。頼む」


 ローランドは簡潔にイーダスの状況、治安の様子、他国から運ばれて売りさばかれる商品の大まかな内容と行き先などを報告した。


「なるほど。後で文書で出しておいてくれ」

「はっ」


 そこで次官から予想していた話が出された。


「そろそろお前も嫁を持たないとならんな。ビアンカは当分今の仕事から離脱させられないのだ」

「そうですか」


 文官は感心したような目でローランドを眺める。いくら間諜の仕事と言えど、若い時から夫婦という設定で一緒に暮らしていた女だ。多少の情はありそうなものなのに、ローランドはビアンカの現状に関心を持っていないように見える。そう見えるだけかもしれないが。そしてそれは他の間諜も似たり寄ったりだ。


 ビアンカは他国との取り引きを大規模に行っている貴族の好みにピッタリだったので、呼び戻されて現在はその貴族の愛妾として仕事をしている。


「嫁が出て行ったことにしてもう三年だ。新しい嫁を迎えねば不自然だろう」

「そうでしょうか」


 次官の整った顔が少しだけ面白そうなものになる。


「なんだ、惚れた娘でもできたか」

「いえ」

「違うのか?」

「違います」


 報告を終えてローランドは元の部屋に戻り、制服を手早く脱いで傭兵の普段着に着替える。着てきた服は洗濯に出されたらしく、似たような平民の服がきちんと畳まれて籠に入っていた。


 鍛えられた身体に清潔な服を着込んで、手荷物預りの木札を手にして平民用の出入り口に向かった。


「ちょっと飲むか」


 手元に戻された愛用の武器のあれこれを再び身につけ終わるとそうつぶやいた。まだ日は高かったが今日はもう為すべき仕事は無いし報告書は既に提出してある。


 ローランドは何度か入ったことのある酒場を目指して歩き始めた。


 王都は相変わらず賑やかで、多くの人が忙しそうに行き交っている。王都の育ちのローランドだが、長いことのんびりした海辺で暮してきたせいか、注意を払って歩かないと急ぐ人たちの邪魔をしてしまいそうだ。


 やがて目当ての酒場に着いて腰を落ち着けた。


 安くて強い酒と一緒につまみをいくつか注文して待っていると、店で働く若い女性がすぐにやって来て話しかけてくる。


 ほどほどに愛想良く、ほどほどに距離のある会話をして届けられた酒を飲む。女性店員はこれ以上は距離を詰められないと悟って離れて行った。


 十五歳で王都軍に入り、戦場で戦って生きていくつもりだったのに、どこを評価されたのか間諜になるよう命令された。専門の教育期間の後、イーダスで働くようになってもう長い。


 年に二度ほどこうして報告に来る以外は手紙が主な連絡手段だ。


 ローランドは大柄で大人びた顔つきなせいか、どこでも実際の歳より上に見られる。イーダスでは四歳多く年齢を偽って夫婦者ということで暮らし始めた。今は三十歳ということになっているが、実際はまだ二十六だ。


「どうしたもんだろうな」


 少し酔ってきたところで思わず心の声を漏らしてしまう。そしてそれに気づいて誤魔化すように酒を飲んだ。


 週に一度か二度海辺で挨拶をしていた少女は、数年のうちにどんどん女らしく変わっていった。だがいまだに挨拶だけの関係だ。


 外国とのつながりの多い海辺の都市に住んで必要な情報を集めて報告する、それが与えられた仕事だ。


 両親を早くに亡くして食うために入った軍なのだ。ありがたい仕事と思えば良いのだと、今の暮らしへの不完全燃焼の気持ちは飲み込んで考えないようにしている。


 そんな生活の中で、ローランドの暮らしに明るい色彩を加えてくれるあの存在は、日に日にローランドの心に根を下ろして育っていた。


「どうしたもんだか」


 再び心の声を今度は口の中だけでつぶやいて、ローランドは強い酒を飲み干した。



 昼酒は回りが早いというが、その日のローランドは珍しく酔った。


 酔ってフワフワした感覚を楽しみながら王都の街中を見物して歩く。地方には売っていないようなお洒落な小物、服、靴などを見ると(買って手渡したら喜ぶだろうか)と思うが、なんと言って渡せばいいのか。


(嫁に逃げられた三十男の傭兵と思ってるんだから、贈られても迷惑だよなぁ)


 だが、あまり使い道のない給料は貯まる一方で懐は暖かい。そんな気の緩みと昼酒の勢いで、明るい金髪に似合いそうな髪飾りを見つけて衝動買いをしてしまった。小粒なガーネットをいくつか埋め込んだ艶のある木製の髪飾りだ。


 ガーネットは髪留めによってそれぞれ色味の違うものが使われているので、落ち着いた深い赤を選んだ。


 支払いを済ませてごつい手のひらに載せられた小さな紙箱は、綺麗にリボンをかけられている。


 小箱は(で、ちゃんと渡してくれるんだよね?)とローランドに詰め寄っているような気がする。

 

「そのうちな」


 小箱を眺め、声には出さずにつぶやく。



 ローランドは故郷の王都からイーダスに向かう乗り合い馬車の中で(早くイーダスに戻りたい)と思いながら過ごした。




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