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4 お見通し

 ネールがこの家で暮らし始めてひと月が過ぎた。骨折も治り、今はメイドとして働き始めている。


 ネールはラカン家に住み込むにあたって「ネールさん」と呼ぶルイーズとアランに

「メイドとして雇われたのですから、もう私は利用客ではありません。どうぞネールとお呼びくださいませ」

とけじめをつけた。


 ネールがメイドになって家で暮らすようになり、十五歳のアランがほっこりしている。


「朝起きて下に行くとさ、朝ごはんを作りながら笑顔でおはようございますって言ってくれるネールがいるの、すごくいいよね」


 ルイーズはそう言われて、アランが喜んでいるなら何より、と微笑む。が、ふと思いついて言葉を返した。


「私も毎朝ごはんを作りながら『おはよう』って言ってたけどね。あんた、私にいつもたいして返事もしなかったし仏頂面しか見せなかった気がするわ」


 アランは少し慌てる。


「え。いや、違うよお姉ちゃん。それは眠かっただけだよ」

「そうでしょうとも。別に怒ってはいないから大丈夫よ」


 アランはぼりぼりと頭をかきながらルイーズの前から退散した。




 ネールは料理が好きらしく、楽しそうに厨房に立つ。母が亡くなった後はルイーズも料理を頑張っていたが、ちょっとした隠し味などはやはりネールの方がずっと上手い。 料理の作り方も尋ねれば教えてくれて、ルイーズはアランの気持ちがわかる気がした。


 そのネールが小イワシをカラリと揚げて、薄切りの玉ねぎや庭の月桂樹の葉、唐辛子と一緒に甘酸っぱいマリネ液に漬け込んでいる。小イワシに味が染み込むのを待つ間にハマグリたっぷりのクリームシチューも作っていた。


 どちらも亡くなったリゼットがよく作っていた料理で、ネールはアランやルイーズにそれとなく母親の思い出話を尋ねては、話した当人が忘れた頃にその料理を作って出してくれる。


 ネールはそれとなくルイーズとアランの亡き母への思いを大切にしていた。そんなルイーズが隣で手順を眺めていると話しかけてきた。


「ルイーズ様は幸せな恋をなさってますか?」


 ルイーズの心臓がドクンと跳ねた。そして勇気を出して聞いてみる。


「以前ネールは『好きな人と添い遂げられなくても、想い続けるだけの人生も味わい深い』って私に言ってたわね」


 ルイーズにそう言われて、ネールは鍋に視線を向けたまま微笑んで会話を続ける。


「覚えてましたか」

「ええ。どういう意味かなって思ったものだから」

「そのままの意味ですよ。想いが叶わなくても自分の想いを貫き通す幸せってのはあるんです。でも、その道を選ぶと言うことは、好きな相手と二人で人生を歩く喜びは全部諦めることになりますね」


 少しの沈黙が二人の間に居座る。


「ひとつの道しか選べないから世の親たちは自分の子供には添い遂げる道を歩かせたいんです」

「そうね。ネールはそんな経験があるの?」

「ええ。ですが若かった私は途中から欲張ってしまいました。あれも欲しいこれも欲しいとやってしまって、結局は好きな相手も自分も不幸にしたことがございますよ」


 ゆっくり鍋の中をかき回しながら、相変わらずネールはこちらを見ない。


「ルイーズ様は村で仲の良い夫婦を見た時などに寂しそうな表情をなさる時があったものですから。つい余計なことを申し上げてしまいました」


「そう……。ネールは何でもお見通しね。でも、今は何も言いたくないの。ごめんね」


 ネールはやっとルイーズの顔を見た。


「ルイーズ様はまだ十九歳ではありませんか。時間はたっぷりございます。恋に悩むのも人生の醍醐味ですよ」


 ルイーズは思わず笑い出した。


「ネール、世間では『もう十九歳』って言うのよ。十九歳だから早く結婚しろって。私の友達はみんな結婚してしまったわ。でも、ネールにそう言われたら慌てなくてもいいかなって思えるわね」


 笑ってたはずなのに泣きそうになっているのに気づいてルイーズは慌てる。


「ルイーズ様、つらい時はいつでも、私の胸も背中もお貸しします」


 ルイーズはネールの肩にそっとおでこをくっつけて少し笑った。


「ネールは私より小さいから、借りるなら肩がちょうどいいわ。ありがとう、ネール」

「恋の悩みならいくらでも聞きますよ。百戦錬磨のネールにお任せくださいませ」


 おでこをネールの肩にくっつけたままルイーズが笑う。


「うふふ。百戦錬磨なのね」

「ええ、百戦錬磨でございますよ。泣かせた男は星の数ほどです」

「ふふ。ありがとうネール。頼りにしてます」




 夕食の前にルイーズは弟の部屋のドアを開け、

「ネールがいるっていいわね。アラン、あんたの気持ちがよくわかるわ」

とだけ言ってドアを閉めた。


 本を読んでいたアランは閉められたドアをしばらく眺めていたが、

「お姉ちゃんがご機嫌ならよかったよ」

とつぶやいて本に視線を戻した。




 夕食は小イワシのマリネとハマグリのシチュー、サッと茹でた青菜を刻んだものに砕いたナッツと岩塩を振ったもの、丸パンだった。


 それをラカン一家の三人とコズモが食べている。マチアスとコズモはエールも飲んでいる。ネールは何度誘っても「私はあとでゆっくり食べますから」と座らない。


 やがてラカン一家はそれぞれの部屋に戻り、台所兼食堂はコズモとネールの二人になった。


 ネールはササっと食事を済ませると洗い物を始めた。椅子にもたれてタバコを吸いながらぼんやりしているコズモにネールが背中を向けたまま話しかけた。


「コズモ、あんたはルイーズ様の想い人が誰なのか知ってるかい?」


 コズモはちょうど煙を吸い込んだところだったので派手にむせて咳き込んだ。やっと咳が収まると心底驚いたような顔になる。


「想い人?いや、いないだろ?お嬢が外に出かける時は必ず俺が一緒にいるが、そんな男はいないはずだ」


 ネールは「はぁ」とひと息吐き出して顔の右側だけをコズモに向けた。


「そんなこったろうと思ったよ」

「寄ってくる男はいるさ。だけど俺がやんわり注意してるからな」

「やんわり、ねえ」

「手を出してなければやんわりだろう」


 ネールはフンと鼻を鳴らして最後の皿を籠に立てかけると、手を布巾で拭きながら椅子に腰を下ろした。


「本当にいつもあんたが一緒なのかい?ルイーズ様が一人で家を出ることはないんだね?」


 コズモが指のタバコを眺めて考え込む。


「ない……いや待て。週に一度か二度、朝早くに海まで馬を走らせに出かけてるな。でも本当に朝早くだ。それに海まで行って帰るだけの時間しか家は空けてない。男とイチャつく暇なんか無いはずだ」


 ネールが無言のままなんとも言えない表情でコズモを見た。


「やめろ。ゴミを見るような目で俺を見るな」

「あんたがルイーズ様くらいの頃にどれだけ周りの娘たちを食い散らしてたか、ちょいと思い出しただけさ。あの頃のあんたの節操の無さと言ったらまあ……」


 コズモが目を閉じて苦悶の表情になる。


「若い時の話だ。その辺で勘弁してくれネミル」


「ネールと呼びな。間違いは私だってあったさ。だけど、あんな真っ直ぐな心根の子はそうそういないからね。足場の悪い道をたっぷり渡り歩いてきた身としては心配になるのさ」


「そんな相手なのか?」


 コズモはルイーズがオムツをしている頃からこの家で働いている。コズモにとって、もうルイーズは娘のような存在だ。


「まだわからないけどね。どうも相手は訳ありな気がするよ」


 そのあと二人はしばらく真面目な顔で話し込んでいた。



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