3 まるで王子様を見るような
「なんで戻るの?」
「それは紫水晶じゃありません。紫色のサファイアです。色味と透明度も違いますが値段が比べ物になりません。それ一粒でこの馬車なら三台は買えます」
「三台……」
「それを納屋の家賃代わりに手放した男も紫水晶だと思ったんでしょう。本来の持ち主ではないと思いますよ」
切り返しができる場所まで進んでから馬車を村に向けると、コズモは馬たちを急かした。
「頑張れよ!帰ったら砂糖とりんごをくれてやるぞ」
「ヒヒーン!」と返事をしたのは母馬のカリータだ。しばらくしてコズモは村から少し離れた場所に馬車を停め、馬たちを木にくくりつけた。
「お嬢は私の後ろにいてください。村に入ったら離れるように」
「わかった」
コズモは村に入り、自分たちに気付いた村人には唇の前に人差し指を立てて声を出さないよう合図をした。
ところが村の奥のネールの家まで差し掛かったところで運悪くネールが籠を抱えて出てきてしまった。
「あらあ、コズモさんにルイーズちゃん。忘れ物かい?」
コズモが再び「チッ」と舌打ちした直後、納屋の扉が開いて男が硬い顔で出て来た。男は状況を理解したのかネールに走り寄り、彼女を羽交い締めにした。
「やめとけよ。丸腰で俺とやり合うつもりか?」
薄く笑うコズモはなんとも凄みがある。若い男の方は顔が引き攣り動転していた。
「近寄るな。この婆さんが死ぬぞ」
「ふん。年寄りを連れて山ん中を逃げるのか?諦めて降参すれば無駄な怪我をしないで済むぞ」
男はギリッと歯を噛み締めて辺りを見る。村の女たち、まだ村に残っていた数人の男たちが何かが起きたことを知って、手に鉈や鎌、こん棒を持って周囲を固めつつあった。
前方へは逃げられないと判断した男はネールを思い切り突き飛ばすと山の方へと逃げ出した。
そこからのコズモは速かった。逃げる男の後ろから飛びかかり、二人で倒れると同時に男をうつ伏せにして腕を背中側にねじり上げた。
「逃げられないように脚を折ってやってもいいんだぜ?」
あまりの手際の良さ、吐いたセリフの馴れ具合にルイーズは驚いたが、それ以上に驚いたのは村の女たちのようだ。縄でぐるぐる巻きにした男を連れてコズモが馬車に向かったが、コズモに向けられる視線は全て、まるで王子様を見ているかのようだった。
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男は宝石と共に警備隊に突き出された。二頭の馬たちは頑張った褒美に砂糖とりんごを貰って喜んだ。
夜、父の部屋に呼び出されたルイーズは事の真相をコズモに聞かされた。
「しばらく前に貴族の娘が乗った馬車が襲われまして。金目の物は残らずむしり取られたんです。後から貴族のお抱え警備兵たちが探索して大体は捕まったのですが、野盗の人数が多くて取りこぼしがあったんです。なので奴がそれだと思いました」
「そうだったの。事件の話を私は聞いたことがなかったわ」
「貴族の娘が襲われても親は知られないように手を打ちますから。でも、ジワジワと漏れるもんです、その手の話は」
「そうなのね」
「私がうっかり納屋を貸したためにご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」
頭を下げたのは片腕に添え木をして包帯を巻かれているネールだ。突き飛ばされて地面に手を突いた時に骨にヒビが入ったらしく、青黒く腫れていたので「一人暮らしなのだから置いて帰るわけにいかない」とルイーズが半ば強引に連れて来たのだ。
やがてルイーズは自分の部屋に戻り、部屋にはマチアス、コズモ、ネールだけが残った。
「さてネールさん、ここからは本音で行きましょうか。あなた、あの若造が野盗だと知っていて匿ったのでは?」
「あら、いやですよマチアスさん。そんな訳ないじゃありませんか。足を挫いて二日も食べてないって若者を、追い返せなかっただけです」
「そんな訳ないだろう、ネミル。自分の目がそこまでガラス玉だとでも言い張るつもりか?」
するとネールは「はぁ、やれやれ」とため息をついてから素朴な山暮らしの老女の雰囲気を脱ぎ捨てた。
「なぁんだ、知ってたのかいコズモ。何度も顔を合わせたけど気づいてないようだから安心してたのに」
「二十年ぶりだったが、最初に会った時から気づいていたよ。お前さんが素性を隠して真面目に暮らしているならとそれに合わせていただけさ。だけど野盗と繋がりが有るんなら話は別だ」
「繋がりなんて無いさ。あの子は水晶とサファイアを間違えるような間抜けなんだ。使われただけの小物に決まってる。だから賭けに出てみたんだよ。ブレスレットに編み込んだ宝石で気づかれればあの子の運もそこまで、気づかれなければ怪我が治るまで庇ってやろうかと思ったのさ」
「毒蛇のネミルがずいぶんと優しくなったもんだな」
ネールことネミルは顔だけは微笑みながら鋭い眼差しでコズモを睨みつけた。
「二人ともやめてくれ。そんな事のために呼んだじゃない。どうだい、ネミル、我が家に腰を落ち着けては。うちは母親がいなくてルイーズが主婦代わりをしているんだが、そろそろその役目から自由にしてやりたくてね」
「あら、それは結婚の申し込みかい?あたしは年上が好きなもんでお生憎様だね」
マチアスとコズモが同時にクスリと笑った。
「ネミル、ここで治療して、治ったらうちでメイドをやらんか。子供たちの相談相手になってくれると助かるんだが」
ネミルは少し考えた。
「あのお嬢さんに結婚の話は?」
「ああ、あちこちからな」
「本人はそのことを知ってるのかい?」
「いいや。まだ」
ネミルは自分の顎を指先でさすりながら答えた。
「そうかい。私はもう詐欺の世界からキッパリ足を洗ったけど、こうやって二十年も昔のことを知ってる人もいるんだよ。お嬢さんに迷惑をかけることにならないかね」
「しがない何でも屋の娘だ。お貴族様に嫁ごうってんじゃなし、気にすることはない」
「私の昔のことは娘さんには内緒にしてもらえるかい?」
「ああ。もちろんだ」
「それじゃこれからもネールで頼むよ。いえ、お願いしますよ。それと、過去に傷のある者を集めてる理由を聞いても?」
マチアスはしばらく言葉を選んでいた。コズモは何もない床をジッと見つめて動かない。
「それはな、ネール。俺自身が傷物で、そんな傷物を愛してくれて真っ当にしてくれたのが妻だからだよ。他の連中もそうだ。表向きは俺が彼らを拾ったことになってるが、本当は妻が救っていたのさ。そのリゼットが亡くなったのなら俺が彼女の心意気を受け継ぐべきだろう?」
「……そうでしたか。娘さんと息子さんはマチアスさんの傷のことは?」
「子供たちは知らない」
「そうですか。わかりました。そのお話、ありがたくお受けいたします」
こうして元毒蛇のネミルはネールとしてラカン家のメイドとなった。