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24 退職と就職

 ローランドの勤め先の商会長と貴族の装いをした年配の女性が向かい合っている。


「どう言う意味かしら?」


「ですから。あなたの商会を援助してらっしゃるアーノルド伯爵は私の古い知り合いですの。彼が騙されているのを黙って見ていられなくてね。あなたが若い従業員を家に連れ込んでいると知ったら、彼はどう思うかしら。今更アーノルドに愛想を尽かされたら、そのお年で新しいお相手を探すのは少々苦労しそうね?」


「あ、あなた、私を脅すつもり?」


「あら。そんな下品なことはしないわよ。でも、そうねえ、なんなら伯爵夫人にお話ししてもいいのよ?アーノルドは伯爵家の婿ですからね。あなたのことが露見したら、とても愛人のお世話はできなくなるのじゃないかしら」


「っ!」


「さて、忠告はしましたよ。もう失礼するわね。あ、そうそう。私がここに来たことをアーノルドに喋らない方が身のためよ。あなたなんかのせいで私とアーノルドの友情が損なわれたら、あなたをとことん追い詰めなければなりませんから。そんな手間はとらせないでちょうだいね。じゃ、失礼」


 高価なドレスを着込んだ年配の女性は、優雅に微笑んで商会長宅を後にすると、家紋の入っていない上等な造りの馬車に乗り込んだ。




「全く、欲深いったらありゃしない。貴族の世話になっているんなら大人しく身の程をわきまえていればいいものを」


 待たせていた馬車に乗ると急に口調を変えた女性が独り言を言う。もちろん女性はネールだ。彼女は昔の仲間を探し出して例の女性の商会のことを調べ上げてもらっていた。


 たちまち彼女が形だけの商会長であり、実際の経営者はネールと同じ年代の伯爵、それも入り婿だという情報を手に入れることができた。


 馬車で待っていた男が話しかけた。


「ネミル、足を洗って長いお前さんだが腕は鈍ってなかったかい?」

「まあまあさ」


「また困ったことがあったらいつでも声をかけてくれよ」

「あんたに頼ることはそうそう起きないほうがいいんだけどね」


 男は昔、ネールと共に詐欺の手先にされていた仲間だ。昔はいつも腹を空かせた少年だったが、今ではすっかり裕福な中年である。彼は毎日のようにネールに食べ物を分けてもらっていたことを忘れてはおらず、二つ返事でネールに協力したのだ。


「ネミルは繰り返し『あんたはこんな所から逃げ出せ』って心配してくれてたな」


「そこそこは真っ当に働いているようで安心したよ。ドレスも手配してくれてありがとうよ。助かった」


「そこそこって言うなよ。ちゃんとまともにやってるさ」


「それなら良かったよ」



♦︎




 ローランドは商会の事務書類の翻訳の仕事をやめた。最初、女性商会長はずいぶん引き留めていたらしい。ところがある日ピタリと引き留めなくなり、ローランドの退職に応じたそうだ。


「あんなに引き留めていたのに、急にだよ」

「まあ、何にしろやめることができて良かったじゃない?」


 ネールが料理しながら聞き耳を立てていたようだが「ふふん」と満足そうに笑った。私が台所に戻ると話しかけてきた。


「やっぱり私の見立ては正しかったですね。ローランド様に限って浮気はありえませんから」


(いやいや。あなた住宅街で二人を見た時、顔が虚無だったじゃないの)とは思うがそれは飲み込む。


 仕事が家庭教師だけになったローランドは新たな仕事を探していたが、なんと高等学院のベスカラ語の臨時講師に雇われた。


「以前の仕事の一番上の人が紹介してくれたんだ。仕事を辞めてからも散々復職しないかと誘ってきた人なんだ。断り続けていたら最後には仕事を紹介してくれた。ありがたいけどよくわからない人だ」


 ローランドがそう言う。


 上司って?復職って?と思うけど、それ以上は聞かなかった。昔のことはいつか必ず説明する、とだけ言われているから。


 亡くなったローランドのご両親の教えてくれたベスカラ語が、我が家を支えてくれる。ローランドはまだご両親を許せないのだろうけれど、私はご両親に感謝している。


 私は毎月一度は王都の墓地に行き彼のご両親に祈りと感謝を捧げることにしている。


 ローランドはお葬式の時以来、一度もお墓に行ってないと言う。いつか二人でお墓に行けたらいいなと思うが無理強いでは意味がない。


 私はビアンカさんに黒い感情を持っていた時のことを忘れられない。彼女を嫌ったり恨んだり憎んだりすると、その感情は、強ければ強いほど私の精神をザリザリと削ってきた。あれはとても苦しいものだった。


 だから彼がご両親を許せる日が来てほしい。ローランドの心の平和のために。






 リカルドさんは移動販売で大活躍してくれている。私はずいぶん楽になった。無理せず細く長く働きたい。


 最近人気の惣菜は、ピリ辛の羊肉。

ぶつ切りにした羊肉のバラ肉に塩を振って、たっぷりの油で金色になるまでじっくり炒める。金色になったら取り出して刻んだネギ、にんにく、生姜、白ゴマ、トウガラシ、砂糖、魚醤を絡めながら別の鍋で炒め煮する。

 ざく切りキャベツを敷いてから提供している。


「今日の惣菜はなあに?」

「ピリ辛の羊肉です」

「待ってたわ!それ、家族みんなが大好物なのよ。家ではなかなか作れないから助かるわ」

「ありがとうございます」


 そんなやりとりが楽しい。


 その他には粉にした黒胡麻をパン生地に巻きこんだ渦巻き蒸しパン。パン生地にゴマ粉をたっぷり振ってから棒状に丸めて、輪切りにして蒸す。

 ゴマの部分が甘いのと塩味のと二種類作る。塩味の方がよく売れる。


 この蒸しパンは私の思いつきなんだけど、どこかで見た気がするのよね。夢の中かもしれない。あの長い夢の中には美味しいものがたくさん出てきたから。


 最初の記念すべきお客さんの男性は今も毎回食べに来てくれる。あの男性が来なくなったら、私は寂しくてがっくりくるに違いない。我慢してるけど、本心ではあの男性と友達になりたいくらいだ。

 

 さすがに嫌がられるかな、と思って我慢してるんだけどね。

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