18 王都での暮らしは
初めて見る王都は驚きがたくさん詰まっているおもちゃ箱みたいだった。
とにかく人が多い。商店や屋台が多い。まだ中心部まで行っていないのに、もう賑やかさで圧倒される。
「まずは私たちの家を探さないと」
「住所からするともうすぐだ」
そして見つけた私たちの新居はパン屋さんが一階に入っている三階建ての建物の二階だった。既に父さんが手入れをさせていたらしく、室内の壁は塗りなおされ、床はピカピカに磨き上げられていた。それだけではない。
「これはまた」
「お祝いということかしらね」
備え付けの家具と食器、日用雑貨が全部新品だった。
「なんだかマチアスさんに世話になりっぱなしだな」
「父さんは母さんの分まで私に何かしたかったんだと思うんです。二人で働いていつかお返しをすればいいんじゃないでしょうか」
「そうだな」
難しい。
父さんの私を思う気持ちはよくわかる。お金をかけることしかできないから、これは精一杯の父さんの愛情の形だ。
でも、与えられ過ぎるとローランドは嫌じゃないだろうか。夫として立つ瀬がないっていうか。そういうことを気にしない男性もいるだろうけれど、ローランドは気にするタイプじゃないかしら。
こういう時、ネールさんがいてくれたら相談するんだけどな。王都にはローランド以外は知り合いもいない。なんとなく心細く思うのはきっとそれもあるわね。
「よし、知り合いを作るところから頑張るわ」
「突然どうした?」
「あなたしか頼る人がいないと精神的によろしくないと思うの。だからどんどん知り合いを作ろうと思って。まずは近所の方々から」
ローランドの顔が少し困ってる。なぜ。
「イーダスと違って王都には悪い人間が多いんだ。どこが安全でどこが危険な地区かわかるまでは一人で出かけないでほしいんだが」
シューと心の空気が漏れる。
だめか。そんなに危ないのか。それとも私はよほど危なっかしいと思われているのか。
「窮屈だろうけど、しばらくはそうしてほしい」
「わかりました」
のんびり始めればいいと思うことにした。本当はどんどんやりたいことに挑戦したかったけど、ローランドに迷惑をかけないように、ゆっくりやろう。
王都暮らしが始まってすぐ、ローランドは仕事を見つけてきた。学生相手のベスカラ語の家庭教師だ。
学生が下宿に帰ってくる夕方から夜にかけての仕事だ。その上私の昼間の用事に全部付き添ってくれている。
「ローランド、あなた一日中休む暇がないじゃない」
「平気だよ。疲れるようなことは何もしていないし」
「もう私も一人でも街を歩けるわ。昼間はゆっくり休んでもらいたいの」
「いやいや、君が一人で不慣れな王都を歩いてるかと思うと心配で休めないよ」
過保護か。
ローランドを心配させずに自分の計画を進めるにはどうしたものかと悩んでいるうちに、ローランドに昼間もベスカラ語の仕事が入った。今度は商人の仕事の翻訳の手伝いらしい。家庭教師の人が紹介してくれたそうで、私の夫は着々と信頼と実績を積み重ねている。
一方私はまだまだ何もだ。移動販売の営業許可証を手に入れただけで、どこで何を売るかも決まっていない。
近くの商店街は安全だから自由に歩いていいよと言われているから、カフェでお茶とサンドイッチを頼んで今後の計画を練ることにした。
人が多い広場で軽食を出せたらと、あちこちのお店を回って勉強しようと思っている。のんびり食べていると店に入ってきた人が声をかけてきた。
「あれ?ルイーズさん?」
一緒に野宿をした親子の息子さんの方、たしかクリストフさん。
「まあ、お久しぶりですね。王都にいらしたんですか?」
「ええ。仕事でこの辺りによく来るんです。お一人ですか?」
「はい。ローランドは仕事なので」
「向かいの席に座ってもいいでしょうか」
イーダスなら問題はない。でも王都ではどうなんだろう。結婚してる女性はどうすれば失礼にならずに断れるのだろうか。
「ええと、何かご用でしょうか」
「あなたと話がしたいだけですよ」
そう言うとクリストフは向かいに座った。
私、何も言ってないのに。これ、ローランドが見たら不愉快よね?
「あの、大変申し訳ないのですが、私はそろそろ帰る時間なんです。ごめんなさい」
「それでは家まで送りますよ」
いやだ、と思った。この人に家を知られたくない。どうしたらいいのか。
「あら、ルイーズ様、こちらにいらしたんですね」
とても懐かしい声。
「ネール!どうしたの?あっ、クリストフさん、ごめんなさい。そう言うことなので、ここで失礼しますね」
そう言って返事を待たずにネールの肩を抱くようにして歩き出した。ネール、救いの女神。
「お部屋に行ったらお留守だったもので。パン屋のご主人がこちらの方に歩いて行ったと教えてくれたんです。いえね、旦那様が心配ばかりしてらっしゃるから私が偵察に参りました。新婚さんのお邪魔をしないようにちゃんと宿も取ってありますからご安心くださいませ」
二人で家に向かいながら、私は自分がどれだけ心細かったのか気がついた。
「父さんが心配?元気だって手紙に書いたのに。そうそう、ネールに相談したいことがたくさんあるの。あのね……」
そこまで話したら鼻の奥がツンと痛くなった。
「あらあら。そんなことじゃないかと思ってましたよ。来てみてようござんした。まずは今の男が誰なのかから話をおうかがいしましょうか」