11 ローランドと移動販売
ルイーズは保存食作りが好きだ。
もともとは夢の中での話から始まる。夢の中の母親は「備えが大切」と口癖のように言って、水、食料、日用品などをあれこれと備蓄してはそれを暮らしの中で使いながら入れ替えていた。
それに比べてここの生活はあまり備蓄をしない。数日分のすぐ食べられるものが無いのはなんとも心細い。
まあ、この国の地面は揺れることが無い。台所は薪だし水は井戸だし近くには畑がある。馬に乗れば海もあるから食べ物に不自由はしないとわかっているのだが。
それでも保存食があるとルイーズは安心する。繰り返し作ったのでコーンドビーフと砂肝はすっかり得意料理だ。
今作っているのはニンジンのジャム。りんごとレモンも入っていてフルーティーな味。ルイーズはこれが大好きだ。バターと相性が良くて、フライパンにバターを敷いてカリッと焼いたパンに塗って食べると幸せな気持ちになる味だった。
テーブルには既に作って瓶に入れられ並べてあるカボチャジャム、ミルクジャム、レモンジャム、りんごジャム、マーマレードがずらりと明日の出番を待っている。
煮込んでいる間に、思いつきでゴマ入りのクッキーも焼く。これも保存食のひとつ。缶に入れておけば結構日持ちするのだ。
ルイーズは夢の中でも今も料理が好きだった。
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朝 ローランドがラカン商会に着くと、満面の笑みのネールが出迎えてくれた。
「あら、ローランドさん、早いですね」
「昨夜はごちそうさまでした。それよりネールさん、お尋ねしたいことが」
そこまで言ったところでネールにグイと腕を引っ張られて玄関脇に連れて行かれた。
「先日は助けて下さってありがとうございました。ほんとに助かりましたよ」
そう来たか。自分の勤め先のお嬢さんを探していたことについてはとぼけるつもりらしい。
「落とし物の持ち主がすぐ近くにいてよかったですね」
「ええ。歳をとるとすっかりやることがおかしなことになってしまってねぇ。悲しい限りですよ」
互いに相手から目を逸らさずに作り物の笑顔で応酬する。
ふと背後に気配を感じて振り返ると、玄関のところに立ってルイーズが怪訝な顔でこちらを見ていた。
「ほら、お仕事お仕事。頑張ってお嬢様をお守りくださいまし」
ネールは話を断ち切りローランドは「ではまた今度」と返事をしてルイーズに挨拶をした。
「おはようございます。本日から五日間、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
ルイーズは薄く化粧をして髪をリボンでひとつに縛っている。淡い水色のワンピースドレスがよく似合っていた。
「今日は繁華街へ行きます。日用品は足りている地区なので、手作りの保存食を中心に売ります」
「わかりました」
今日のルイーズは昨日とは違ってちゃんと目を合わせてくれるし、笑顔だった。それだけでだいぶホッとする。昨日は虫の居所でも悪かったのだろうと思うことにした。
二人で小型の馬車に乗り込んだ。小型の馬車は御者席も狭い。大柄なローランドが乗るとルイーズと距離が近くなるのが落ち着かない。
「昨夜はごちそうさまでした」
「いえ、どういたしまして」
好きな女の子と二人で並んでいる気まずさでソワソワする。時折りふわりとルイーズのいい香りがしてくるのも面はゆい。
(いやいや、なに考えてんだ。仕事に集中しろよ俺)
程なく馬車は賑やかな通りの洋品店の前に停められた。毎回ここを利用させてもらっているのか、ルイーズが店主と笑顔で挨拶している。幌を開いて商品を見やすく並べて準備していると、すぐに客が来た。
「コーンドビーフはありますか?うちの主人の大好物なの」
「毎度ありがとうございます。量はどうなさいますか?」
笑顔でテキパキと接客しているルイーズは楽しそうだ。中年の婦人の次は老年の紳士だ。
「ジャムをみせてくれるかい?あんたの作るミルクジャムは本当に旨い。なくなりそうになると慌てるよ」
「まあ。ありがとうございます。嬉しいです」
ローランドは商売の邪魔にならないよう、馬車の陰になるような位置に立って辺りを見回した。
すると、いつ来たのか身なりの良い男が通りの向こうからこちらを見ていた。客ではなさそうで警戒心が湧く。自分の存在を目立たせるようにして少し前に出ると、男と目が合った。男はスッと視線を逸らすと姿を消した。
ルイーズに気がある男だろうか。マチアスからはその手の注意は受けていなかったが。
「今日は順調です」
そう言われて品揃えを見ると、まだ開店して早い時間なのに馬車に積まれた商品は結構売れていた。
次々と街の住人たちがジャムや保存の効く肉類、瓶詰めのタレ、クッキーなどを買っていく。どれも美味そうで、ローランドも買って食べてみたいと思った。
「ニンジンやカボチャのジャムは食べたことがないです。もし残ったら俺も買いたいです」
「ありがとうございます」
ルイーズの白い頬がみるみる赤くなり、耳まで赤くなる。
(可愛い……)
彼女と初めて会った時、ローランドは十七歳だった。まだ少女だった頃のルイーズにも会っているのだが記憶は曖昧でどんな少女だったか覚えていない。当時は他に頭に入れるべきことが山ほどあったのだ。
それがルイーズが十五、六歳くらいから、見かけるたびにどんどん美しくなり、ここ一、二年は駆け足をしているかのように大人の女性へと変わっている。彼女の姿を記憶から消そうとしても思い通りにいかず、ローランドは困っていた。
昼ごろまでには大半が売れてしまい、ルイーズは商品を真ん中に寄せて並べ直していた。見ると残念ながらジャムは全部売り切れだ。
ローランドの視線に気づいたルイーズが
「野菜のジャム、今度作ったら差し上げます」
と言う。
「いや、それではけじめがつきませんからお金は払います。昨夜もたいへんなご馳走をいただきましたから」
そういうとルイーズが少し悲しい顔になる。
(え。代金を払うのはダメなのか?)
この手のことにはとんと疎いローランドは(この場合の正解はなんだ?厚かましくタダで受け取るのが正解なのか?いやまさか)
と答えを求めて頭をかきむしりたくなる。
「そういえば」
さっきの男のことを確認しなくては、と話を変えた。
「歳の頃は三十くらいの身なりのいい男があなたのことをずっと見てましたが、知り合いでしょうか。中肉中背の茶髪の男です」
ルイーズの表情が曇る。
「その人は、多分ですけど縁談をいただいた方のような気がします。お断りしたのですが、なんだかまだ揉めてるらしいです」
縁談と聞いてローランドはハッとしたが平静を保って「そうでしたか。注意しますね」とだけ答えた。
ルイーズは「ありがとうございます。心強いです」とは言うものの、表情は優れない。
「明日は山の村へ行くんでしたね」
「はい。少し遠いですが、皆さんが待っていてくれるので私も訪問するのが楽しみなんです」
「そうなんですか」
「ネールとも、そこの村で知り合ったんですよ。ネールったらね……」
思いがけずローランドはネールの情報を手に入れる。彼女は山村の住人だったそうだがそうは見えず、生まれ育ちは違うのではないかと思った。
ほのぼのした会話はラカン商会に戻るまで続いた。そして到着したラカン商会では騒ぎが起きていた。