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幼き門  作者: マダムコスモス
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3 福井行き


三姉妹の末に生まれた私も新しく出来た幼稚園に入る事になりました。二人のお姉さんの時は無くて私の年になって〜昭和二十四年の四月の頃です。ー藤野さん幼稚園出来たんよ。今からでも間に合うから行ってきたら。ーと近所の人が言いました。そして私と母は小学校の一隅の仮住まいの様な感じで逢坂幼稚園に入園しました。職員室に通された私は大きい声でー滋賀県大津市寺町十五番地ー藤野京子。とその場の状況も考えず、何時もうちで母に教えられている通りに言いました。幼稚園の先生方が四、五人居られる処で普通より小柄な私が大きい声で言ったものだから、今から思えば先生方は何か歓声を上げた様です。後でその時の事〜そう、その自慢話を何度も何度もまわりの人するものですから、私はかなり閉口しました。ー子供って日々成長している物なのに小学生になっても、未だ母が幼稚園時代のことを自慢している物ですから恥ずかしくて仕方ありませんだした。後に私が二人の子供の母親になって、ーやはり次男が修学前に世界地図を書いた話を、何度も何度もまわりの奥さん方に自慢したことがあるので、やはり私も私の母と同じいわゆるー親ばかーだなとおもいました。みんなと一緒に七月まで通園しましたが、私と母は滋賀の北に位置する福井県に行く事になりました。二人の姉は学校もあるので大津の家に居ました。その後七月から翌年の二月まで福井に居ましたが、いよいよ私も小学校に入学です。上のお姉さんがセーターを編んでくれました。後一ヶ月で学校に行くんだと思ったら、やはり嬉しいでした。母が学用品を買い揃えてくれました。更に上のお姉さんが1年生用のノートを買ってくれました。一年生で一番前でした。歌が得意だったので、いつも独唱で歌わされました。後に母が残して置いてくれた通信簿ニー声量がある。そして母にー歌は見込みがある。と言われたそうです。小学三年生の時歌で東京まで行ったことは、我が家では伝説になっております。後年変声期の時に声も音程もダメになり、本当に私が子供の頃歌で東京まで行ったという事は誰も本気にしません。今では老人会のカラオケ大会で私が一番点数が低い様です。だからー岸壁の母ー一本槍にしています。セリフがありますのでかろうじて、皆さんが聞けるようです。歌が良かったのは本当に私にとって伝説上のことになりました。


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