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かえらない  作者: 森永盛夏
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第十話

 帰りの電車に揺られながら俺が考えたのは、劇団の名前なんかじゃなく今後の身の振り方だった。高嶋は妙にやる気を出してしまっているし、暮太の勢いは凄まじい。どうやったらこの話をパスできるのか、それだけを考えていた。そもそも俺はもう一生演技なんてするつもりはなかったわけだ。あそこで高嶋がやるなら俺もやってもいいと言ってしまった自分を悔やんだ。

 地元の駅に着いて、そこからは自転車で家を目指す。実家住みなので、この時間になれば大抵は母がリビングでドラマを見ているか、もしくはものまま居眠りをしている。今日はどっちのパターンだろうかと考えながらドアを開けると、そこには懐かしそうな顔でテレビを見つめる母の姿があった。俺の帰宅に気がついて、一言おかえり。と言った後、ちらりと壁掛け時計の時刻を確認すると、

「あら、もうこんな時間。」

といってテレビを消して立ち上がった。まるで何かを隠すように。台所に立った母は、なんとか隠しきったような顔をしていたけれど、俺は真っ暗になる前のテレビの画面をしっかりと覚えていた。

「お母さん、なんであんな昔のビデオ見てたのさ。」

テレビに写っていた、小学三年生の俺。猫耳のカチューシャを付けた女の子になにか訪ねていた。

「懐かしいでしょ。竜也がどんぐりと山猫やったときのやつ。あれからもう十年も経つんだなって思ったら見たくなってさ。」

野菜を包丁で刻みながら母は続けた。

「目をきらきらさせて言ってくれたの、覚えてる?」

「なに、なんか言ったっけ。」

「俺は将来、テレビドラマに出てお母さんに見てもらうんだー!って、言ってたじゃない。」

なんだそれ、暮太みたいだな。

「なにそれ、全然知らない。」


俺は母との会話にまで暮太が出現することに苦しくなって、適当に苦笑してリビングを出た。階段を上がって、自室に入る。壁際には本棚がある。受験期にもかかわらず読んだ漱石や、大学に入ってから出会った小説達が所狭しと並んでいる。今日はなんだかそのお気に入りの本棚を見るのも辛くて、さっさと布団に潜り込んだ。


 大舞台、何の装飾も施されていない。殺風景な場所に俺一人。眠い目をこすりながら起き上がる。するとそこへ、妖精のような妖怪のような、はたまたただの少女のような暮太夏が登場する。俺は暮太に誘われるように、二人して舞台から姿を消す。

 今度は誰も居なくなってしまった、何もない世界。そこにゆっくりと現れる高嶋。舞台中央に立つと、気をつけ礼して語り始める。

「これは、俺たち三人の、復習の物語である。」

照れくさそうに笑う高嶋を俺と暮太は舞台袖から嬉しそうに見守っていた。


 目が覚めると、電気をつけないままで居た部屋はもう真っ暗だった。布団に入るとすぐに眠ってしまう癖は早く直さないと。俺はさっきまで見ていた夢の内容を忘れよう忘れようとして、スマートフォンの電源を入れた。

 高嶋は、どうして一度目の誘いを断ったんだろう。ずっと不思議だった一つの疑問が、寝覚めてすぐの脳みそを支配する。俺が居たからだろうか。それとも…。結局俺も高嶋も、きっかけが欲しかっただけなのではないか。自分が夢を目指しても、過去の自分が許してくれそうなきっかけを。苦しみながらもがいたあの頃が、それなら仕方がないと言ってくれる理由が、欲しかったんだ。

「入っていい?」

部屋入口へのノックとともに、母の声が聞こえた。

「いいよ。」

がちゃりと扉を開けて入ってくる母。部屋に電気のついていないせいか、どこか心配そうな顔に見えた。どうしたの。俺が聞いた。母がなにもないのにわざわざ俺の部屋まで来るはずがないことを知っていたからだ。

「やりたいことがあるんならやりなさい。今の貴方があの頃みたく俳優になりたいって思っているかはお母さんにもわからないけれど、後悔先に立たずって言うよ。お母さんだって後悔してることたくさんあるんだから。竜也にはそうなってほしくないわ。」

どうやら本当に俺のことを心配してくれていたらしい。

「ありがとう。」

こんなにも気持ちのこもっているありがとうは、久しぶりに言った気がする。母が部屋を出ていった後、俺は劇団の名前を考えることにした。

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