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御津奈々子の部屋に黒澤駿河という人間は実の所入ったことが無かった。というのも例えばアパートの内の数人で誰かの部屋で飲み明かそうとなった時に選ばれるのは大体筒賀か冴木の部屋だったからだった。
冴木が駄目なら筒賀の部屋で、筒賀が駄目なら冴木の部屋で、もしくは外に出ていくかで大体成り立っていた。
たまに御津の部屋の提案を駿河がしても、提案をすると決まって筒賀が何故か是非私の部屋でと積極的になり、ついに今まで入ったことは無かった。御津が嫌がっている訳ではなかったのだが。
ピンクの小物が多く置いてあった。正直意外といってしまえばそれは少し御津の事を偏見の目で見ていたことになってしまうからそう思いたくはなかったのだが、これから御津に話そうとしていることを一瞬忘れてしまいそうになるくらいには女の子らしい部屋だった。
プラスティックのこじんまりとした収納の上に乗っているぬいぐるみはどこかのテーマパークで人気を博しているキャラクターだったし、至るところにそういう可愛いものが見えた。
その一つのぬいぐるみが駿河の眼に止まった。辺りを見回しても一番大事そうに、テレビの横の、硝子窓の本棚の上に綺麗に置いてあるものだ。最も大事そうに置いてあるのだが最も年期が入っているように見えた。流石に駿河にもそれが子供の頃から大事にしてきたモノであろうということは推察がついた。
「おい」
いきなり後ろから声が聞こえた。
振り向くと御津がカップを持って立っていた。
御津が目の前に紅茶が並々と注がれたカップを置いた。駿河は顔を見上げた。いつの間にか俯いていて、見上げた先には御津の顔が見えた。
「これうっかり淹れすぎちゃって溢れそうになってるけどごめんな」
「僕にはそうは見えませんよ」
「そうか? 気を遣わなくてもいいぞ。それよりも、なんなんだ? 紗綾ちゃんの事で話があるって聞いたけど何かあったのか? このアパートの管理人が変わるとかそういうことか?」
「いや、そういうことではないです」
「じゃあなんだよ黒澤。まさかタダで紅茶を飲みに来たとか? それとも私に会いたくなったとか?」
御津がからから、と笑った。落ち込んだ人間に元気付けようとするときの御津の癖だ。冗談混じりにそうやって笑う。そうか、僕は落ち込んでいるのか。
言葉が出てこないということはやはり僕はそう見えるだけでなく実際にそうなのだろう。
鬱窟としている。口を開けると空気がひゅうと吐かれた。
「部屋に入るなり黙ってどうかしたのか? 心が落ち着かなくて私のところに来たって理由でも私は本当に一向に構わないぞ。気持ちは少しは分かるし」
「御津さん。今、僕は紗綾ちゃんのことを整理をつけようと自分なりにあの日の事を調べてるんです」
「そーか」
「紗綾ちゃんの死は自殺ではなく他殺だと思っています」
駿河のために笑顔を作っていた御津の表情が固まった。
「他殺? そう思いたい気持ちも分からないでもないが、それは本気で言っているのか?」
「本気で言っています」
真剣な目で駿河は御津を見つめた。御津も駿河のそんな迫真の表情の中に、冗談ではない気持ちで言っているのだと気付く。
「んじゃあ誰だよ? 紗綾ちゃんを殺す動機なんてある人間なんてそうは居ないだろ?」
駿河はすうと大きく息を吸った。
「御津さんは紗綾ちゃんに借金がありましたね?」
その言葉に、御津は目を大きく開けて驚いた。驚き? それだけではない色々な感情が御津の心に刹那の間にせめぎあった。驚愕を初めとする、羞恥心、それに警戒しようとする感情だ。
「お前はどうしてそれを知っている?」
御津の目の奥に、刃のような鋭さが宿ったのを駿河は見逃さなかった。
御津は見たことのないような目をしていた。自分も今、そんな目をしているのだと思う。
くつくつ、と御津が笑った。
「なるほどなあ。確かに私は紗綾ちゃんを殺す動機はあるんだよなあ。それで私を疑っているとでも言うのか? なるほど、確かに、なるほどだ。親の借金を子の借金というならば、駿河の言った通りだよ。私の父は紗綾の両親にかなりの借金をしているよ」
「いえ疑ってません」
「なんだと?」
御津の長い睫毛がゆっくりと動いた。つられて駿河も目を瞑った。
「紗綾ちゃんが死んだところで御津さんの借金が無くなる訳じゃない。借金は動機足り得ませんよ」
「言われてみれば確かにそうだと思うが、それで更に私は謎が深まった。お前は何の為にここに来たって言うんだ?」
「この手紙を読んでもらいたくて」
駿河は懐に入れていた一通の手紙を取り出した。白色の綺麗なモノで、外には可愛らしい文字で如月紗綾よりと書いてある。そして大きく赤色で(注、私が良いというか良いと言えなくなるまで絶対開けないでください)という文字も見えた。
「如月紗綾より? 紗綾ちゃんのお前へのラブレターか?」
「違いますよ」
御津は駿河の手から手紙を貰った。そして、滑らかな手つきで綺麗に折り畳まれた手紙を一つ一つ丁寧に開いていった。指で紙の表面を繊維が指に人懐っこくひっかかって、くすぐったかった。
駿河はその手紙から少し目を逸らした。




