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「開けてくれ。冴木」
駿河がドアを叩いても何も音は返ってこなかった。
普段は気にしていなかったものの今一度よく見直してみると、ドアの塗装がはがれかけていた。
「____なあ、居るんだろう」
音がない。チャイムも幾度か押したが返事がない。ドアは固く閉ざされていて、何かを拒むようだった。
「居ませんか」
「いや、居るはずだ」
駿河はもう一度ドアを叩いた。
「なあ、冴木。居るんだろう。開けてくれ、少し話がしたいだけなんだ。冴木、お前だって僕に積もる話があるはずだ。清濁合わせて話を聞かせてくれ」
「……駿河か。甘利ちゃんも隣に居るのか?」
ドアの向こう側から低い声が帰ってきた。
「ああ、そうだ。僕と甘利ちゃんはここに居る。なんだったら僕は扉越しにこうやってお前と話しても良い。真剣なんだ」
カチャリ。ドアが開かれた先には冴木が立っていた。冴木の目が幾分か腫れぼったく見えたことに、駿河は得たいも知れない不安感を募らせた。
「あがれよ」
*
冴木良平の部屋は少しばかり暗かった。重い空気が澱んでいた。
机を挟んで、対面する駿河と冴木は目を合わせないで、そんな二人を心配そうに甘利が見ていた。甘利だけが正座をしていて、冴木と駿河は体を崩しているように座っていたが、どちらも甘利よりも楽そうな顔などはしていなかった。黒色の時計がコチコチと時を刻んでいて、部屋には針が進む音だけが満ちていた。
「黒澤、……死にたいよ俺は」
唐突に、冴木がそう言い出した。その声音は恐ろしいほどに平坦なものだった。重い、黒い空気を鋭利な刃物のように切り裂いた。
「一言目がそれか?」
冴木は自嘲気味に頬を緩めた。
「分かってる。俺の彼女というわけでもない管理人さんが自殺したくらいで何を大袈裟な事をって言うんだろう? でもさ、たとえ叶わないとしても大切に思いたい人が居たって、その人が幸せになってくれればそれでいいって純粋に思える人が居たっていいじゃないか」
「紗綾ちゃんの死を弔う気持ちが大袈裟なんて言うわけないじゃないか。僕はただお前の口からそんなネガティブな言葉が出てきたから心配しただけなんだよ」
「……白々しいな」
「何がだ?」
「ふん、黒澤はいつもそういう奴だったよな」
「そういう奴ってどういうことだ?」
「自分の中にある優越性に気付かないで何喰わぬ顔で劣等感を与えるような奴ってことだ。傍に居るような人間の劣等感を大きくするような人間なんだ、お前は」
「冴木? 何言ってるんだお前?」
冴木はまた、自嘲気味に、今度はより大きく鼻をならした。
「どうせ俺は負け犬だよ。負け犬だと悟って管理人さんがお前とくっついてくれればなんてまあそんなようなよく分からない自分が納得したいような状況を作って逃げて、それすらも敵わなくなった今後悔に押し潰されそうになってる負け犬だ」
「そんなに自分を卑下することないじゃないか。今回は仕方なかったんだ。誰にとってもマイナスで、誰もが傷付いてる。だけどみんな、それを乗り越えようとしてるんだ」
バン!
冴木が机を思いきり叩いた。
「俺がお前の気に入らないのはそこがだよ。乗り越えようとしてる? そうだよな、お前は乗り越える事が出来そうだから、そういうことが言えるんだよな。不公平じゃないか? 俺は乗り越える事が出来るかどうか分からないほど傷ついているっていうのに、管理人さんにより近かったはずのお前は随分と平気に見える。少なくとも俺の心配が出来るほどにはな」
冴木が立ち上がって、駿河の胸ぐらを掴んで目の奥を睨み付けた。
駿河も同じようにして冴木に応える。平気? 何処がだ?
「僕が紗綾ちゃんの死を軽く思ってるとでもいいたいのか?」
「それ以外の意味に聞こえるのか? 俺を気遣えるってことが一番の証拠だ。俺はお前を気遣うことなんて出来やしないのにお前はそれを平然とやってのける。俺よりも近い存在だったくせにどうせお前にとって管理人さんは、俺が望んでいた近さよりも遠くに居た女性だってことなんだろうが」
「おい、ふざけるなよ」
駿河は冴木の手を荒く振りほどいた。
「やめてください!」
今まで沈黙を守り続けていた甘利が、耐えきれなくなって声を張り上げた。瞳は潤んでいた。一筋の涙が甘利の頬を伝っていった。
「なんでです。どうしてです。どうしてそんなに二人ともいがみあうんです」
どうして、どうして、と甘利が二度繰り返した
「だってさ。黒澤センパイ」
冴木が駿河から手を離した。駿河は冴木の手を払った。
「冴木。僕だって泣きたいさ」
「……帰ってくれ。今は頭の中が滅茶苦茶なんだ」
それから駿河は、一言だけ冴木に、邪魔をしたと告げて部屋から出ていった。




