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「アパートの住人から紗綾さんに、恨みをもっていて、ましてや殺すなんて、甘利は信じられません!」
「僕はね自分なりに整理をつけようと思っただけだ」
駿河は項垂れるように頷いた。ただ、紗綾が他殺であった場合、アパートの住人の誰かであることは____確信に近いものを持っていた。
「甘利は先輩のこと凄く心配です。見てられません……だから」
「何だ?」
「いいえ、何でもありません」
空気は日毎に冷たくなっていく初冬の報せを舞い落ちる木の葉が示していた。
*
ぼやけた部屋の照明は、内側から光が滲み出ていて、眩むほどだった。ただ、ついていた照明は一つだけで廊下は奥へ行くほど暗くなっていた。
自分の肩が震えているのが分かった。キイイイイインと、高音域の音が耳に絶え間無く聞こえてくるのがこの上なく不気味だった。……本当に聞こえているのではない。ただ遠くの方から高い音が聞こえてくる……気がした。
紗綾ちゃんの事を考えた。最初に会話したのは何が切欠だっただろうか?
紗綾ちゃんは何を僕に訊ねて、僕は何と返したのだったろうか。もしかすると僕から何かを訊ねたのが僕と紗綾ちゃんの初めての言葉だったかもしれない。
隣の部屋からは何も聞こえない。冴木は出掛けているのだろう。隠してある開いた穴の方を見た……ボロボロなアパートだなとぎこちない苦笑をした。そういえば____昔。
____ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴り響いた。……誰だろうか。
「……甘利ちゃん?」
栗色の髪を束ねてポニーテールにした甘利が立っていた。少し俯き加減で目を合わせようとしない。
「あの、私も先輩の力に……いや、違いますね、先輩はどうせ分かってますよね」
……何が分かっているというのだろう? 僕は何も分からないのに。
「甘利は先輩が本当に心配なんですよ。紗綾さんが居なくなってしまって、先輩も、なんだかおかしくなっちゃって、紗綾さんの後を追うんじゃないかって……。心配なんですから……」
甘利は今にも泣きそうだ。
小さく身を縮こませて震えている。駿河の袖をか弱い力で握って、引き止めるように、握る力よりももっとか弱い力でその袖を自分の方へと引っ張っている。
「……分かった。ありがとう。その気持ちだけでも貰っておくよ」
「いえ、そうでなくて、私にも先輩のお手伝いをさせてください。傍に居ないと先輩がいつの間にか甘利の前から消えていってしまいそうで心配なんです」
掠れ、震えた声で甘利が頭を下げた。
僕の、お手伝い……? ああ、そういうことか。甘利ちゃんは僕が紗綾ちゃんの後を追うとでも思っていて、それが心配で僕の近くに居たいがために、そんなことをいうのか。
だけど、それには。
「甘利ちゃんだって、僕の疑惑から抜け出してはいないよ」
「ええ。分かります。先輩がアパートの住民を疑っているということは甘利のことを疑っているということでもありますから」
「人詰め草の伝承を聞いたのだけど、誰に聞いても、図書館へ行って文献を読んでも甘利ちゃんが言ってくれた伝承は無かったんだよ。これどういうことかな?」
甘利は首を傾げた。
「すいません。分かりません。私は母からその話を聞いたまま喋っただけで、そもそも無かったなんて話を今初めて聞いたくらいです」
「伝承なんかで物語が解決に導かれるのなら、苦労しないか。……うん、ありがとう甘利ちゃん」
「お力になれなくてすいません。でも今多分不安定になっている先輩の力にはなりたいんです」
「それじゃあさ明日。僕の所に来てくれよ、甘利ちゃん。まず、冴木の所に行こうかと思うからさ」
「冴木さんですか?」
駿河の表情が曇る。……今の冴木を見るのは、なんだか辛い。
「冴木は今回のことで多分凄く傷ついてて……正直僕だけで行くのは何が起こるか僕にも分からなかったから不安だった。明日、着いてきてくれ」
「……はい。あと、絶対に私に嘘はついてないですよね? 先輩は先輩ですよね? 変なこと考えてませんよね? 約束してくれますよね?」
「……うん。約束するよ。今日はもうおやすみ」
こくり、と甘利が頷いた。
「甘利も、紗綾さんのために何か出来ることがあったら、何かをしたいんです」




